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note開始1か月で初めて得た感覚

ちょうど1か月前の6月6日にnoteで文章を公開し始めて、今日まで毎日投稿を続けてきました。

noteさんにもバッジをもらえました、ちょっぴりうれしいです。

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振り返るとnoteをやる前後では自分自身が変わったとの実感があり、書き起こしてみたいと思います。


生み出すことで得られたもの

早速結論から言ってしまいますと。
生みの楽しさと苦しみを初めて味わい、そして素人の私ですらそんな感覚を味わえるということに気付かされ驚いています。


あれ、この感じ、なんだろう…

noteを始めるにあたって、人と交流したい・書く力を身に付けたいという目標感は持っていたものの、こういう感覚を得られるとは特に予想はしていなかったんです。

「生みの楽しさ・苦しみ」だなんてかっこいいですよね。
こういった感情の起伏はクリエイターさんやアーティストさんといった、特定の方々(プロ気質の人だけ)だけが味わえる特権だと思っていました。


好きなことと向き合う楽しみ

好きなことに取り組む程、より深く掘り下げたい・ノージャンルでより広げていきたいという欲求が湧きました。

割と無欲な人間なので、腹の底から湧いてくる未知の渇望感にいくらか戸惑いながらも…
今のところは毎日向き合えています。


そして、生み出す苦しみ

楽しみと同時に、悩みや苦しみも生まれました。

この先どう展開していこうか。
考えやアイデアをどう表現したらいいんだろう。
表現に納得がいかない。

悩んで時間が取られることも多いです。
まだまだ道半ばです。


その裏には努力がある

これらを実現していくには、生み出す気力や集中力が必要だったり、有限の時間を捻出することが不可欠です。

それらをやってのける方々の熱意に感心しました。

そして、私自信も少しはしてこれたんだ、というちょっとした自信につながりました。


やるか、やらないか

みな平等に実行する権利はあります。

やらない人はやらない、知らないまま。
やる人は鍛錬されて、素人もプロになる。
誰もが最初は素人ですもんね。


今までなんだったんだろう?

そうは言っても、私も会社員時代は企画や提案活動をしたことがあり「生み出す」作業はあったはずでした。

自由に生み出すといっても「誰かが作った枠組みの中でやる」という感覚が無意識のうちにあったのではないかと、今になって思います。

noteを書くときは自由にできます。
枠組みはありません、あるとすれば自分で作る枠組みだけです。

その自由さが気持ちいいです。


生み出すことで拓ける世界がある

1か月でこんなものなんだから、もっと続けて言った先にはどんな世界があるんだろう?
この1か月は山のふもとから徐々に登るようでした。
(拙い絵で恐縮です)

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予想するに、コンテンツがより強固で大きくなればなるほど、今まで知り得なかったものが出てくると思います。

高く登れば見たことない絶景に出会えるように、人と交流する楽しみや人間関係が生まれるかもしれない。
同時に過酷な環境にもなるように、批判を受ける苦しみも出てくるかもしれない。

適切に装備して自分の腕を磨きながら、まだ見ぬ世界を知ることが楽しみの1つになりました。


【まとめ】知ると体験するは違う

知らない / 知見として知っている / 体験して知っている
これらには大きな隔たりがあると感じました。
少なくとも私自身、1か月前の自分と今の自分は別人のように感じます。

だから新しいことに体験することを恐れないようにしたいです。
そして結果はすぐに現れるとも限らないので、ある程度続けてみたいです。


おわりに

ご覧いただきありがとうございました。

今日はnoteを書くことについてお話しましたが、普段はサラダにまつわる生活や手軽な情報を書き起こしています。
よければご覧くださいませ。

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