第8話「高く、白く。月は昇る」

「失礼致します。ユキコお嬢様をお連れ致しました。」
「おお!そうか。まあ入れ入れ。」
 頭歪と共に、蒼く四角い鉄製の扉をくぐると、待っていたのは『全国蟹動画クリエイター協会』会長、須鯉 緒治(スゴイ オジ)さんであった。
「やはり、叔父様でしたか。また何の用なんです?私は仕事中なんですよ。」
 ユキコは頭歪を押しのけて、書斎に入る。まず目に飛び込んでくるのは、入って真正面にある、縦横1m程のタカアシガニの標本だろう。部屋はやけに殺風景なコンクリート張りの壁と柱に囲まれて、天井は空調設備が剥き出し。全ての壁に面して置かれているのは、この島の周辺の豊かな海で捕獲された蟹、カニ、かにの水槽。裸電球の光が水槽に乱反射し、部屋はゆらゆら揺れているように見えた。くすんだ蒼のビーカーに、一輪のピンクの薔薇が差して机の上に置いてある。薔薇の向こうに、須鯉の銀髪が見えた。
「いやあ、ユキコちゃん。許してくれよ。あのクソガキの目を盗んで君を連れ出すのは、なかなか大変だったんだからね。」まあ、何か飲むかい?と、ステンドガラスで四方を張られたショーケースからボトルとグラスを取り出す。勿論、ステンドガラスの柄は、丸く大きな鋏をもった蟹だった。
「ふーん。アレックスのことね?叔父様は、彼のことをどう思っているの。」ユキコがいらないわと首を振ると、須鯉はちょっと溜息をついて、一人でウイスキーを開けた。
「個人的には、イヤなやつだと思う。」
「ビジネス・パートナーとしては?」
「そりゃ、ヤツはこのツクール島では、経済的にも政治的にも、支配者に等しいからな。しかも金持ちの集まるリゾート地だったこの島を、さらに科学技術研究の一大拠点に仕立て上げた男だぞ?実力は本物さ。だから仲良くせざるおえん・・・」
 50代前半にしてナゴーヤ帝国の経済を牛耳る男、須鯉はビジネススマイルで鍛えられた顔をしかめながら、一気にグラスに注いだ茶色の液体を飲み干す。
「それで叔父様は、私にどうして欲しいの?」
 叔父の酒臭い息が届かない場所まで静かに後ずさりしながら、ユキコが言った。須鯉が口を開いた。だが、声は出なかった。目が大きく見開かれ、グラスが手から滑り落ちる。彼は息を荒げながら、膝をつく。
「叔父様!!」
 ユキコが急いで駆け寄る。
「おお・・・ユキ・・・コ」
「呼吸困難・・・まさかお酒に毒が・・・早く医者を!」
 部屋には気づくと、秘書の頭歪の姿が消えている。ユキコは出入り口のドアを開けようとしたが、鍵が掛かっていた。
「ち・・・がう。部屋の・・・空気が・・・」
「そうなのね。分かったわ。兎に角、ここを出るわよ。」目を閉じ、胸に手を当てた。淡く白い光と共に、月白の銃『アルマジロ』が、その手に握られた。
「最初から罠だったのね。やるわね、アレックス。だけど・・・」
 ドアの錠前に向けて3発打ち出す。鉄製のドアにも関わらず、3発目で貫通した。思いきりユキコが蹴り上げると、100㎏のドアが3m程飛んで行った。
「これであなたは私を完全に敵に回したのよ。脳天私にぶち抜かれても、後悔しないでよね。監視員『J』さん♪」
 ユキコが振り返った目線の先にあったのは、書斎に飾られたタカアシガニの標本の二つの目だった。目に取り付けられたカメラを通して、須鯉を担いで部屋を出ていくユキコを見下ろす者がいた。
「・・・素晴らしい。さすがはあの方の最高傑作・・・何処までも美しく、そして隠し切れない破壊的性質を持っている・・・」
 ユキコの様子を見ていた道化は、少し興奮気味で一人呟いた。

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『10秒前、9、8、・・・』
ズゴン!
『従業員以外立ち入り禁止』の札に目もくれず、繰り出した鋏はとうとう鋼鉄製の扉に穴を開けた。その隙間から覗いたのは、頭から流血したサングラスの男、ZUWA-Ⅰだった。
「貴様がトラフだな。逃がさん。」地の底から響くだみ声。トラフと目が合うと、男はニヤリと笑った。
「黙れロブスター男。」女性店員を抱きかかえて椅子に座り、トラフは自慢の拳銃、『クラブの3』をちらっと見た。銃身が光り、トラフの手に飛び込んできたタイミングで撃たなくてはならないのだが、今は少しも光を発していない。
「早くこっちに来てみろ。その毒入りの内臓をほじくり出した後、焼いて食ってやる。」
 鋏の片刃を亀裂に突っ込み、ガリガリと削り出す。鋼鉄の扉が悲鳴をあげる中。
『緊急脱出。自動運転システム、作動。』
 蒼い部屋は鋼鉄のセダンに変貌し、二階から飛び降りた。
「アディオス!ロブスター男!!その美味しそうな腕を味わう機会を逃して、全く残念だよ!」振り向きざまにトラフが叫んだ。
 セダンは店の裏手の道路に着地すると、島の奥へと続くトンネルの中に姿を消した。

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