第7話「紅と蒼」

狭い蒼い部屋だった。
やたらに分厚い蒼い壁に囲まれ、三か所の四角い切れ目に、曇りガラスとブラインドが嵌められている。
部屋に入って大股5歩くらいでどん詰まりで、金属製の机と革張りの椅子が、床や壁に固定されて一対あった。
「ようこそ。エージェント番号○○3、トラフ様。緊急時は、引き出しの中にある脱出ボタンを押してください。」
机の上のラックトップから、キンキン声のガイドがしゃべった。
トラフは椅子に腰掛けると、ポケットからハンカチに包まれた、ユキコのリボンブローチを取り出した。真珠部分を回すと、リボンが解け、中から機械の匣、紅と蒼の導線がバラバラと出てくる。機械の匣に差さったカードを取り出すと、ラックトップに差し込んだ。
音声データと、「全国蟹動画クリエイター協会」と書かれたファイルが入っていた。

音声データを再生する。
「動画クリエイターの、ユキコさんですね。」
「ええ!そうですが。えっと、どちら様で?」
「ユキコ様に、ご伝言をお伝えするために参りました・・・」
「・・・もう!あなたたちとは、縁を切ったと以前申し上げたでしょう。」
ザザッと雑音が流れた後、ユキコの声が響く。
『彼の名は頭歪 紅太郎(ズワイ コウタロウ)。事前の調査書ではアレックスの部下になってたけど。同封した協会のファイルに、彼の名があったわ。この協会から、アレックスの元に送り込まれたスパイだったのね。』
再び雑音が流れ、男が喋り出す。
「存じております。ですが、貴女様を連れてこいというボスの命令です。失礼ですが、従って頂かなければ・・・お分かりですね?」
「そうですか・・・ほんと、物騒な方々ですこと。分かりましたわ。」
「では、ボスの元へご案内致します。」

 そこで終わりだった。
(何故ユキコは、そんな「蟹動画クリエイター」とかいうオジサンくさい協会と知り合いなんだ?)
 トラフはもう一つのファイルを読んでみることにした。

 コンコンコン。
「失礼します。コーヒーをお持ちしました。」女性店員の声に、トラフはビクッとした。
「あ、ありがとう。入ってくれ。」コーヒーを頼んだことをすっかり忘れていた。
「すみません。ドアを開けて頂けませんか。両手が塞がっていまして・・・」
「おう、すまないね。少し待ってくれ。」席を立つと、ドアの方へ歩く。ドアの前に突っ伏して、下の隙間から向こう側を覗いた。
 見えた靴は、2人分だった。女性の後ろに、かなり大きな革靴が見えている。店の前にいた異形の大男だろう。トラフは立ち上がり、小口径の銃を音もなく構えると、
「今開けるね。」
 そう言って一気にロックを解除し、扉を引いた。ドアの後ろに体をくっつけて、壁側に下がる。
 と同時に、女性の顔程もあるサイズの鋏が一本、トラフの目前を掠めていった。女性店員の悲鳴が上がるのと、トラフが発砲するのがほぼ同時だった。顔を撃たれた男が、後ろによろめいた隙に、女性を部屋の中へ引っ張り、ドアを閉める。自動ロックがかかった。
 女性を肩に担ぐと、トラフは机に駆け寄り、引き出しを開ける。中には真っ赤なボタンが一つきり。
 迷わず押した。『緊急脱出システム、作動』という音声と共に、部屋の中全体が鳴動し始める。
「大丈夫か?けがはないか?」女性を椅子に座らせた。頭の三角巾がなくなり長い黒髪は乱れ、清潔なエプロンは腰の辺りが大きく破れている。返事はなく、気を失っているようだ。
『脱出、30秒前、29、28・・・』律儀な秒読みと共に、部屋全体が変形していく。蒼い壁の内と外がひっくり返り、中に折りたたまれていた機械が回転し、2人を押し潰そうとするかのように迫ってくる。
「おいおいおいおい。この脱出システムは、人間にとって安心安全なものなんだよな?」兎に角、椅子に座って縮こまるしかなかった。
ゴン!ゴン!ゴン!
トラフはドアの方を振り返る。
部屋に鳴り響く警報音にも負けじと、外の男が金属の扉を破ろうと叩いている。
「・・・」
ゴン!ゴン!ゴン!
男は無言でひたすらに、硬い鋏を扉に突き立て続けていた。銃の効かない相手だ。経験豊かな中堅エージェントも、今は唯、息を呑んで待つしかなかった。

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