本が読めるまで。(小休憩)
「本が読めるまで」ということで、本が読めない(?)筆者の日々の記録の、今日はちょっとした小休憩コラムです。
〈本が読めない〉ということで自分の中の課題として取り組んでいますが、自分の周りに読書家だらけかというと全然そんなことはないです。むしろ私生活で出会う人には一人も見当たらない……。これいつもすごく不思議なんですよね。
もちろん「みんな本を読め!」みたいなことを言っているのではなく、このことはコミュニティというものを考えるときにおもしろい事例だなと思うのです。私は本を読む人たちの組織に属しているので、そういう場所にはたくさんの自分と同じ境遇の人たちがいます。そのコミュニティの中にいる人はめちゃくちゃ読んでいる。そんな領域まで? というぐらいです。でも私生活では軽い読書であってもそれをする人に出会わない。
いくつか理由は考えられるけど、ひとつには、言ってないだけというのもあるかもしれません。実は読んでるけど、まあ周りに言う必要もないかな、というような。これは意外と多いように思います。もうひとつには、これがおもしろいんだけど、〈そういう人は隠れている〉ということがあるように思えてきました。それはこそこそしてるというような意味ではなく、出会いづらい、でも確実にいる、というような意味です。
例えば私はnoteを始めて、読書に関する投稿をするようになって、いろいろな領域の読書家の方たちと出会うことができました。医学系とか芸術系、読書そのものとかいろいろな領域の方です。出会うといってもそこまでのことではないですが、リアクションが来たりすると、世の中にはこういう人がいるんだなと感じます。これは不思議で、世の中には多分たくさんいるんだけど、普段の生活ではなかなか出会えない。書店や古本屋、読書アプリや古典的な本の出版がなくならないのはサイレントマジョリティー的なこういう方たちが多くいるからでしょう。
そういう意味ではSNSというのは不思議なもので、かつ有益なところがあるなと思います。ある投稿をすればそれに関する人たちが集まる、これは日常ではなかなか難しいことです。でもやはり一長一短でそうじゃない人とは出会いにくくなる。自分のSNSのコミュニティなどを見れば明らかですね。いつも同じような結びになりますが、サービスというのは上手くつかってこそ、だと思います。ただ私にとってこの発見は大きなことであり、noteでのさまざまな出会いは大事なものになっています。
(おわり)
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