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子供に可愛い服といい靴を与えたほうがいいのに、できないって話

子供のころの記憶って、大切だと思うんです。
前の記事で「小さな私の癒し方」という本を買ったと書いたのですが、そのサブタイトルは「幼少期の記憶で人生は9割決まる」となっています。
(実は、まだこの本を読めていません。勝手満足するタイプ。。)

カウンセリングを受けた時にも、自分の幼少期の記憶をたどることをしました。私の場合は、小学生の時に仲間外れにされた記憶が傷として残っていて、それによる思考の癖がついていたことに気が付きました。

その思考の癖は、今、こじれた形で出てきてしまって、困っているわけなのですが、この思考によって、今まで自分を守ってきたわけなので、悪いだけではないんですよ。との事。

こうしたカウンセリングを受けると、改めて、自分を客観視したり、俯瞰してみる事ができるようになったりします。

子供の服を買うときに、ブランド物を買う親もいれば、西松屋で買う親もいるし、どこで買うとかでなく、いいと思ったものを買う。という基準を持った親もいますよね。私は子供はすぐに大きくなってしまうから、できるだけお買い得なものを買いたいタイプ。
しかしながら、すぐに大きくなるからと、お買い得なものをワンサイズアップで購入したりして、ずーーっと着ることになり、いつの間にかみすぼらしい感じになってしまったり、安いものを買ったらすぐによれよれになってしまったりと、後悔もします。

靴もまた然り。男の子の靴なんて特にすぐにダメになりますよね。
すぐにダメになるから、安いものを買いたい。
安いものを買うから、すぐにダメになる。
どっちなんだろう。。。と思いながら、2か月で穴の開いた靴を捨てて、今日また3千円の息子の靴を買ってきました。

でもね、ハタと気が付いたのです。
私はどうして子供の服や靴にお金をかけられないんだろうって。
(高所得者ではないからっていう理由ももちろんあるのですが。。)

私は子供のころに、高い靴や服を買ってもらった記憶がないんですね。
(お金をかけてもらったなぁ。って自覚があるのは高校生の頃かな。)
私が小学生の頃の記憶としては、安くてダサい靴を買い与えられて、コレ嫌だ!って親を困らせた事を思い出すことができます。
あとは、あんまりオシャレではなかったなぁ。
田舎に住んでいたのも大きいだろうけど、動きやすい服ばかりで、可愛い服ってあまり着ていなかった。
自分が可愛い服を着ていた記憶がないので、残念ながら、娘にも可愛い服を着せたい!って想いが薄いのです。

その事に、今日、息子の靴を選びながら気が付きました。
私は、自分を否定したくない(自分の過去・幼少期を否定したくない)から、どうしても、自分に寄せて子育てをしてしまうみたいです。

そして、もしも娘が子供を産んだ時に繰り返される事なのかな。って思いました。それはちょっと、、嫌かな。と。

なので、次の休みには、娘と一緒に娘がいいと思った服を買いに行きたいな。と思いました。
思考の癖はすぐには取れないし、まだ稼いでいないので安くて可愛い服が多そうなGUにでも行こうと思います。

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