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プロローグ:ユクスキュル研究に向けて

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Jakob Johann Baron von Uexküll
1864年-1944

 このnoteでは次の個人的な関心に絞って記事を書いていきたい。

① :ユクスキュルに関連する資料(ドイツ語あるいは英語)の翻訳とその要旨
② :①に関連するキーワードの紹介と考察

 以下はnoteに記そうと思ったきっかけである。

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 最近、環世界 Umwelt」という生物学の古典的概念が再注目されている。国内のみならず、海外でもそのような傾向がある。あらためて総論されたり、他分野に環世界の考え方が流用・応用されたりと、領域を超えた動きが出てきている。過去にもこのような流行はあったそうだ。今になってまたその小波がぽつぽつと生じているということが、私の知る範囲でも感じられる。

 環世界とは、エストニア出身の生物学者、ヤコブ・フォン・ユクスキュルが提唱した概念で、生物が独自に体験する主観世界を指す生物は、身の回りの環境を種固有の知覚で切り取って、自分と関連付ける、つまり「意味付ける」ことで、環境を自分のものにしている。だから混沌とした自然環境の中でも彷徨わず生きていける。それは実際に生きた生物をよく観察すれば見えてくる。ダンゴムシにはダンゴムシの、ヒトデにはヒトデの、ハクチョウにはハクチョウの、人間には人間の知覚と行為の図式あり、その知覚と行為のセットで事物をつまんで我が物にしている。そして、その世界(環世界)にどっぷりと浸って生きているんだ。さらに、それら無数の環世界は過去・現在・未来の中で糸を縫うように関係し合い、鳴り響きながら、常々調和しているんだ。環世界には、こうしたユクスキュルのいきいきと、かつ壮大な自然観が込められている。

 私たちヒトという動物は、他種を含めた生命とどう向き合い、共存していくべきなのか。この葛藤やビジョンをどのように表現していくべきなのか。このような現代の問いに対して、ユクスキュルの環世界論は、重要な示唆を与え続けてくれるに違いない。

 さて、現在、日本語に翻訳されているユクスキュルの著作は以下の4つ(『意味の理論』を含む)。いずれも、ユクスキュル自身が一般に向けて書いたものである。

①『生物から見た世界』(1973、思索社)
(岩波文庫にはない、小論『意味の理論』が掲載されている。)
 → 絶版になっている。しかし重要な『意味の理論』や、ユクスキュルの息子(トゥーレ・フォン・ユクスキュル)による環世界説の評論が入っているので、可能ならこちらの版を読んだ方がいい。

②『生物から見た世界』(2005、岩波書店

③『動物の環境と内的世界』(2012、みすず書房)

④『生命の劇場』(2012、講談社)

 これらを読めば、ユクスキュルの自然観や環世界論、ユニークなアイデア、生い立ちの大枠を知ることができる。しかし、一般向けに書かれたものとはいえ、ユクスキュルの独特な比喩や難解な言い回しゆえに、読みやすいとは言えず、精読した人は少ないかもしれない(それぞれの本についての解説をいずれ書きたい)。

 問題は日本語で読める、ユクスキュル関連の資料の少なさである。ドイツ語で書かれた原本を読めばいい、という話にしてしまうと可能性は閉じてしまう。国内の事情に絞れば、ユクスキュルの著作として最も有名な『生物から見た世界』は、もともと昭和17年に神波比良夫氏によって訳されたものである(畝傍書房:)。その後、昭和48年に動物行動学者の日高敏隆氏、ドイツ語研究者・翻訳家の野田保之氏によって新訳(思索社)されることとなった。神波比良夫氏が訳し、さらには日本における動物行動学の先駆けである日高敏隆氏がこれを訳し直し、色々な機会に学生や一般に分かりやくす紹介した意味合いは大きい。

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『生物から見た世界』の原本(ドイツ語)
:Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen: Ein Bilderbuch unsichtbarer Welten(動物と人間の環世界への散策:見えない世界の絵本)
 Berlin: J. Springer, 1934, 102 pp; repr. Hamburg: Rowohlt, 1956, 182 pp; 1958; 1962; Frankfurt am Main: S.Fischer, 1970, 206 pp. Illustrated by Georg Kriszat. 

 外国の本が使い慣れた母国語に翻訳されることで、自分ごとになる可能性は格段にあがる。自分ごとになれば誰かに語りたくなる。語られれば領域を超えて、また誰かにとっての自分ごとになる。こういった連鎖の起こりは、ある原石を発見してしまった誰かがやるべき仕事である。

 ユクスキュルの描いた自然観は、環世界という概念やそれに付随する概念(例:機能環、トーン)をさらっと知っただけではつかみきれない。彼の具体的な研究方法や研究の魅せ方、発展性も、ヨーロッパ圏のわずかな専門家の中で研究されるか、未だ資料としてただ保管されている。

 ユクスキュルに再びスポットライトが当たり、議論されるのは素晴らしいことだが、実りある議論にしていくには充実した資料がなければならない。現段階で、ユクスキュルの重要な著作である『Theoretische Biologie(理論生物学)』さえ日本語に訳されていない。ネット上で無料でダウンロードできる英語版があるが、いただけない英訳だと教えてもらった(エストニアのユクスキュルセンターに問い合わせた)。

 ユクスキュルの資料のアーカイブを有するハンブルク大学によれば、ユクスキュルが関わった出版物は約100あるという。当時〜最近までの関連資料等(※)を含めると、膨大な量が多くの一目にふれず、眠っているような状態にあるだろう。

※ 例1:ユクスキュルの誕生日に際して作成されたNDR(北ドイツ放送)の動画
  例2:ユクスキュルが研究に用いた連続写真技術と映画理論の関連の論文
Invisible Worlds, Visible: Uexküll's Umwelt, Film, and Film Theory”(Inga Pollmann)

 とにもかくにも、まずは掘り当てる作業から。地道に資料の発掘と、翻訳を頑張っていきたい。

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