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評価経済社会について考える

1 評価経済は一長一短ではない
2 貨幣経済と評価経済を並べてこんな図を作ってみた
3 能力が開花されていない貧困層を考えてみる
4 マネタイズを求めないセーフティネット

1.評価経済は一長一短ではない

評価経済とは。

「評価」を仲介として、モノ、サービス、お金、が交換される社会。相互レビュー社会。

既存の貨幣経済社会では「貨幣」を仲介にして「モノ」「サービス」が交換される社会だった。お金が不要になるわけではなく「お金」が「評価」に従属するようになる。

日本は先進国の中でも社会が均一化されているほうなので、世界でも最も早く評価経済社会への移行が進む可能性があるという。1億円持ってる人より、Twitterのフォロワーが100万人いる人のほうが偉いという価値観。ハテナキーワードより抜粋

これについてのメリットは、お金がなければ評価を稼げばいいということになるのだろうけど、家入一真さんの「なめらかなお金がめぐる社会」において以下のようなデメリットが存在するという。

今後は個人の評価を各社から吸い上げてクラウドで共有する信用情報機関が出てくるのは間違いない。もうしそうなると、過去にメルカリで商品未発送などの事故を起こした個人が、Airbnbで使用をブロックされてしまうといったことが十分起こりうる。

そうなると、僕たちは何をするにも「いい人でい続けないといけない」という同調圧力が働く時代になっていくと思っていて、根はいい人なのに性格が素直じゃないとか、正義感が強すぎるあまり人と衝突することが多い人とかが、本当に生きづらい社会になるはずだ—

なめらかなお金がめぐる社会。 あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。

僭越ながらこれは確かになぁと思っている。

というよりSNSのフォロワー至上主義はすでに開花していて、フォロワー数が多ければ多いほど影響力を持っているし、そこに比例してヒト・コト・カネが自動集中するシステムになりつつある。

評価経済において、信用を稼ぐことがお金という形で賄われるのだとしたら、確かにお金そのものを稼がなくても評価を稼げばいいということになるのだろう。

しかし、もっと極論というか身も蓋もない話をすると、可能性という分野において確かに救われる人が出てくるのは間違いないのだけど、これにはある程度リスクを背負って活動する必要も出てくる。

例えば、ユーチューバーや有名ブロガーはかなり個人情報に近いものをさらけ出すことで一定の評価を得ている。もちろんそれだけではなく、文章力や表現力といった継続する努力と相応のリスクを背負っているからこその評価ではあるんだけど。

でもそういった立場になる人は、基本顔出ししてるし、なんなら住んでいる部屋だってオープンだぜーって感じだ。

相方がたまに見ているねこてんというユーチューバーの方がいるんだけど、最近身バレしたり、卒アルが流出したりといったアクシデントが起こって本人も激怒しているらしい。

これは有名ブロガーの人にも言えることで、身バレ全然OKという方以外はかなりリスキーな評価の稼ぎ方といえる。

もっともある程度の評価を得ていくうちにマスコミの目に止まって、本人の意志とは無関係に有名になってしまうこともあるだろうけど。

2.貨幣経済と評価経済を並べてこんな図を作ってみた。

●イノベーター:冒険心にあふれ、新しいものを進んで採用する人
●アーリーアダプター:流行に敏感で、情報収集を自ら行い、判断する人。
他の消費層への影響力が大きく、オピニオンリーダーとも呼ばれる。
●アーリーマジョリティ:比較的慎重派な人。平均より早く新しいものを取り入れる。
ブリッジピープルとも呼ばれる。
●レイトマジョリティ:比較的懐疑的な人。
周囲の大多数が試している場面を見てから同じ選択をする。フォロワーズとも呼ばれる。
●ラガード:最も保守的人。流行や世の中の動きに関心が薄い。
イノベーションが伝統になるまで採用しない。伝統主義者とも訳される。

ちょっと無理矢理感が出てるけど、評価経済については火付け役から波及効果までを考えてイノベーター論を抜粋してみた。

貨幣経済はすでにある職業から所得順に並べたが、これもあくまで自己バイアスがかかってるので一概には言えないところではある。

ここで思うことはイノベーターには多くのヒトが集まり、資本家には多くのカネが集まるということだけど、実際問題これは同義なのではないかと思う。

ヒトが集まる≒カネが集まる

これはどちらにしても相互補完し合っている関係になるだろう。

ヒトが集まればカネが集まるし、カネが集まればヒトを集められるということだ。

実際前述したようにユーチューバーや有名ブロガーにヒト(視聴者・閲覧者)が集まり、それがマネタイズされる。

つまりこれはルートが違えど、似たような場所に到達するうえで必要な『稼ぐ』という基本的な行為に変わりはない。ただ稼ぐ対象がカネから評価になったということだろう。

このことについての良し悪しは語るつもりもなく、平坦な目で見れば時代や思考の変化として当然のことだと思っている。あるいはクラウドファンディングなどの選択肢が増えたことにより、従来より生きやすい社会になってきているのは間違いないと思う。

評価経済はある人々にとって大きなキャズム超えを迎えている証であり、転換期にさっとうまいこと才を発揮すれば問題ないのだろうけど、それでもまったく変化のない人々が一定数存在することに変わりはない。

それが黄緑色から下の層(低所得・ニート・非正規・ラガード・生活保護)だ。

3.能力が開花されていない貧困層を考えてみる


なぜラガードと低所得層を並べたかというと、組み合わせとして一番貧困・孤独状態に陥りやすいと考えたからだ。

ラガードの特性として情報格差があり、低所得層はフリーターやニートといった社会的立場上、孤立状態にならざるを得ない状況にある。もちろん全員がそうではなく意図的に情報を遮断しているけど、別に貧困ではないという人もいるだろう。

僕自身もそうだけど、レールから外れてしまった今となってはかなり孤立状態にあるといっていい。最近はあまりないけど、十分な所得を得られていないことや世間的な肩書がないことに負い目を感じて、友人や知人を遠ざける傾向があった。

そしてこれは勝手な想像だけども、イノベーターやアーリーアダプターと呼ばれるクラスタは、何らかの能力者である可能性がとても高い。

なぜなら、常に先見の明があり時代の変化に敏感な層というのは、情報収集を欠かさない猛者だからだ。いち早く情報を掴める人が、何の能力も何の繋がりもないということは考えにくい。

敏感なアンテナにはそれなりの知やヒトが集まっているはずだと推測できる。

それを決定的にしたのはちょいちょい触れているベーシックインカムハウスの話だ。

詳細はコチラ→A1さんが書くベーシックインカムハウスの記事

社会実験として大いに賑わっているベーシックインカムハウスで、これはすごい試みだなぁと感心している。polcaで煙草一箱分くらいの投銭はしたものの、現状が現状なだけに現地に行ってはいないんだけど、ブロガーさんの記事を通して何となく追っている感じだ。

まぁこれは現地にいった方の情報ではあるんだけど、とにかく入居者全員が何らかの能力者(しかもかなり高次元)だということ。

おそらくイラスト・料理・プログラミング等々のプロ集団的な感じだろう。

中でも「アプリ開発で企業から1億円調達」というのはもはや次元が違う(笑)というか、ベーシックインカムハウス利用しなくても余裕で生きていけそうだ…w

まぁそれはそれで個人の自由というものだけど、中には一番予期していた感想の記事を書いた方がいたということ。

僕が思うところの実際は、能力というのは人間誰しもが持っていて、ちょっとしたきっかけで開花したり潰されたりするものだと思っているから、もともと『能力がない』なんてことは絶対にないと信じている。

ただ、自分の能力さえも曖昧だけど、ラガードや低所得層には能力が開花していない人はかなり多いのではないか。

それは一旦は社会に出たものの、何らかの理由(パワハラ・セクハラ・長時間労働)によって人生に疲れ切っている人だったり、あるいはその開花となる『きっかけ』さえも奪われている人たちだ。

僕はベーシックインカムハウスを悪くいうつもりは毛頭ないんだけど、それとは別に例えば本当に焦点をあてるべきはこういった層にあるのではないかと思う。

もちろん個人単位の規模では初期段階でのブーストや拡散力、最終的な成功事例といった形を納めないといけないから、能力者を選別しなければならない葛藤や厳しさもあるのだろう。

4.マネタイズを求めないセーフティネット


評価経済や貨幣経済にしろ、アイディアを具現化できる行動力や相応のコミュ力、そして何らかの技術力があれば、仮にベーシックインカムやクラウドファンディングなんてなくても余裕でヒト・コト・モノを集めてマネタイズすることができる。

しかし、その三種の神器を兼ね揃えている人はそう多くいないのが現実だと思う。

例えそういった能力を保持していても、それもまたビジネス性に比重を置いているのと、喜捨精神でやっているのではまるで話が変わってくるものだし、中にはその光属性を利用して詐欺的なことをする人も現れるかもしれない。

そう考えると結局のところ、どのような経済になっても一長一短があって、必ずその選択肢を取れない一定数が出てくる。そして、その層からすれば評価だろうが貨幣だろうが無関係に辛い世の中なんじゃないだろうか。

本当に豊かな社会というのは、例え人が社会から阻害されるであろうすべての要因を保持(反社会的という意味ではなく)していたとしても、支援されることが当たり前にあることで、そこにリスクや負荷やノルマがあってはいけない、そういった無常のシステムのことだ。

だから何らかの能力を有していないとその恩恵にあずかれないという判断基準は寂しい気もする。

友人はいなくても良いものを持っている人はたくさんいるし、険がないことで既に十分過ぎる性格の人だっている。しかし、それが故に孤立を歩んでいる人が多すぎると思う。

完全にマネタイズを求めないセーフティネットというのはかなり難しいけども、もし自分が有り余る資金があったらぜひ活動してみたいことの一つ。

無責任な理想論かもしれないけど、常に底辺にいる僕からすると何に関しても必ず敷居があって、それは決して軽い気持ちでできるものではないのだと感じるのだ。

とはいえベーシックインカムハウスの行く末は、この評価経済の問題とは関係なく応援したい気持ちです。それこそ行く末が気になりますので。

今日はそんなことを考えていました。

お読み頂きありがとうございます。

サポートは僕だけのものではなく、また誰かにサポートするためのものだと思っています。そうやって次世代までバトンを渡していきたいです。