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エッセイ始めます。

どうも、シンタローです。

毎日くだらないことが頭に浮かんでは消えている私ですが、わざわざお金と時間をかけて、その "ナイスアイデア" をノートにしたため始めたのが11月中旬頃。

くだらなさの中の面白さと言いますか、我ながら意外な一面があるものです。

尊敬するオードリー若林さんのエッセイに触発されたこともあり、この想いをインターネットに放出させていただきます。

つまり。

シンタロー、エッセイを始めます。

…まずエッセイとはなんですか?

自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。

なんとも自由ですね。

早速。

今日は "オードリー若林正恭" について。

先程、「触発されて」と書きましたが、オードリー若林さんもエッセイをnoteで書かれています。芸人の傍ら、雑誌の連載をされていたこともあり、本も出版されています。独特の視点で世間を切り取る表現で、読むたびに気付きを与えてもらっています。

"お笑い芸人" としての若林さんと言えば、じゃない方だったり、ひねくれ者だったり、人見知りだったり、根暗だったり。

世間ではネガティブなイメージが強いと思います。今までの芸能人像(芸人も含めた)がクラスの人気者や生徒会長などのポジティブ(陽)だとすれば、真逆である陰のイメージ。

表で陰の部分を全開にしてる芸人さんはあまり見たことがありません。お笑いは陽のイメージ。机上では噛み合ってないように感じますが、それでも若林さんのエッセイやラジオのトークはめちゃ面白い。熱量がハンパないからだと思うんです。つまり、嘘じゃないんです。全力で陰を叫んでいる、変な人です。(笑いは共感から生まれると思っているので、陰の部分を色濃く持つ人に支持されたのかなとも思います。私もその1人ですが。)

若林さんのエッセイを読んでいると、「こんなに正直に生きていたいのに、よくテレビの仕事ができるな」と思います。(若林さんに言わせると「お仕事してる」なんでしょうけれども)

「たりない」と自称するほどの自意識の高さと社会への順応力の低さに悩んできた若林さん。調べて、聴いて、悩んで、試して、経験して。そういう時って苦しいんだけど、自分の事が分かることが嬉しくもある。楽しいと思えるかは人それぞれだけど、人生の充実感はハンパないと思います。

思えば若林さんが30代だった頃のラジオは120%の熱量と抜群のトークセンスで一番面白かったな〜と感じます。(もちろん今も面白いです。)

「たりない」理由を探していた時期は終わり、「たりない」目的を探す時期を経て、40代は「たりない」ことを捨てる時期に。紆余曲折、綺麗な道だったかどうかは分かりません。でも一つ一つ確実に何かを選んできた轍が見える道を、私も歩んでみたいと思わされます。

そんな泥臭い生き方に、若林正恭という人間の魅力が詰まっている気がしてならないのです。





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