本義としてのスロー

「スロー・イズ・ビューティフル」という本を読んだ。要約を載せたいが、要約できるほど腹落ちしていない。
速いことが良いこと、大きくするのが立派なこと、成長し続けるべき、といった現代の暗黙的な?考え方への疑問と、「ゆっくり」を選択する人々の思想や取り組みが書いてある本、だと思う。

語り口は静かだ。著者の文化人類学の講義を受けているようでもあるし、たまたま出会った旅のおじさんに隣で語ってもらったような雰囲気もある。
この本を読んでいる時間がずっと続けば良いと思った。なにか豊かなものが根底に流れている気がする。

私は家族にのんびりした顔をさせたいと考えているし、焦らず急がない精神を身に付けたいと思っている。だが、それはどこかで、(外で忙しく仕事をするのが普通だから家では)のんびりしたい、とか(最短で適切な判断と行動ができるように)急がない、というカッコ着きのスローを想定していたのではないかと思う。

仕事に関しては、規模の大きいチームは嫌だ、少人数の方が気軽だ、給料を多くもらうことより負荷をおさえて家で過ごす時間を増やしたいと考えていた。しかし一方で、会社の売り上げを伸ばし、規模を大きくするのが生き残りの道だ言われれば、反論や疑問などなかった。
家庭では、のんびりと思っても時計は気になるし、家事は効率的にこなすべきで、家に流れる時間そのものを楽しむような視点は持ち合わせていなかった。

本の影響を受けて、今を未来の準備にあてるのではなく、今そのものを楽しむ、大事にすることを考えると、急に生活のいとおしさが増してきた。

スピードアップする手段が提供されているからといって、自分の暮らしのペースをスピードアップしなければいけないという道理はないということを学んだように思う。規模を大きくできるかどうかと、実際に大きくするかどうかは独立している。大きくしない、速くしない、現状維持やスローダウンも選択できるのだ。

スローであることを本義とする生活を志向して良いのだと背中を押してもらっているような気がした。はやくできないから仕方なく、という言い訳じみたのんびりではなく、「ゆっくり、のんびり」そのものを選択していきたい。

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スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化
辻 信一
株式会社平凡社 2002.5.20 初版第8刷

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