自分しか自分の課題じゃない

「活動メンバーと意見が違う場合にどうしたらよいですか?」という相談が寄せられた。いっしょに活動しているメンバーと意見が合わないことがあり、いったん落ち着いてもまた別件ですれちがい、その調整にかなりの労力が奪われ、しかもその間にかなりひどい言い方もされる。
というお話です。

この場合、「どうやって意見をすりあわせるか?」の前に、「この人といっしょにやりたいか?」という問いを立て、それを相手にもぶつけてみるとよい。「私たちいっしょにやりたいのかな?」という問いだ。
もし、この問いに対して双方が「YES」なら、意見をすりあわせる作業に入ればよいが、どちらか一方が「NO」なら、もういっしょにやらなければよいし、意見をすりあわせる必要がなくなる。

また、この問いを自分にも相手にも投げかけてみることで、議論のテーマから一歩離れて冷静になれるし、「YES」と応えた時には双方の感情がが変化し、少しちがう景色がみえてくるかもしれない。

また、ここでもう少し踏み込んだ話をすると、人間同士、波長が合う合わないという問題は常に存在する。
ぼくは常々、波長が合わない人とは距離をおくのがよいと考えており、無理に寄り添わない方がよいと思っている。無理をすると双方にとって幸せではないからだ。

しかし!ここで大事なことは、その時の自分内部の思考だ。
ぼくも含め、このときの感情として次のように考えがち。
「この人とは合わない。それは自分にも相手にも問題がある。それは仕方がない。ま、いったん離れとこう」

これ、悪くはないのですが、「成長の保留」という気がする。
ここで「ぼくにはまだこの人を受け入れる度量がないんだな。それは仕方がない。いつか受け入れられる時がくるといいな」と考えてみる。
こう考えてみるだけで、いったん離れることには変わりないのだが、未来像が変化する。
未来のイメージが変化する。変化後の自分をイメージできるのだ。

逆に、相手の変化を望む気持ちは減退する。
個々が重要ポイントだ。
相手のことは相手の課題であって、自分の課題ではない。
にもかかわらず、相手の変化、周辺環境の変化、社会の変化を求めすぎている。

「まずは自分から変わる」

使い古された言葉であるが、この言葉の意味をちょっと奥で理解したい。

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