私とVtuber
今の職場である本屋に勤務を始めてから11年が経過しようとしている。
勤務以前の、それこそ学生の頃は本を執筆して発刊してみたり、当時まだまだマイナーな考え方であったプロゲーマーを目指してみたりもした。今考えてみれば夢多き学生だったように思う。
そんな折、当時爆発的に増えてきたYouTubeでの投稿に私も例にも漏れずアップしたりしてもみた。動画作成方法についてはこの時に学ぶことが出来たが、今と違い光回線もなく、リアルタイム配信もないような時代ではあったけれども、コミュニケーションツールの役割も担っていたMMO泰明期のファイナルファンタジー11やラグナロクオンラインといったゲーム内の交流とも違った刺激があった。
社会人となり、ニコニコ動画が人気を博し始める頃、職場では自らの行動・理念についての考えを真っ向から叱咤され、夢を追いかけることも忘れ始め、ただ煩雑に日々を過ごしていた。人間不信や鬱にもなっていった。
今思えば、いや今もそうではあるが、まだまだ社会人としての覚悟も協調性にも欠けた半端者だったように思う。
前置きが長くなってしまったが、そういった大半の社会人が同様であるように、つまらない社会人としての人生を送っていた私であったが、本屋で多少なりとも実績を残し、3年前から店長になった私はスタッフと話すうちに、今のYouTube、特にVtuberのことについて耳にすることが多くなった。
「キズナアイ」など、以前から名前は知っていたが、ネットの情報から正直、インターネット上のキャバクラに近いものを感じ取っており、あまり良い感情は抱いていなかったのは事実で、観ることを意識的に避けていた。
ただ、熱意を持って話すそのスタッフと、「星街すいせい」などのVtuberによるCDやDVDの発売が多くなっていくことで、無視することが難しいコンテンツだと感じた私は、そういった先行した負のイメージを持ったまま、ホロライブ数人のVtuberの配信を観ることにした。
実態としては、企業に所属するVtuberはスパチャによる投げ銭が多く、配信内容も企業案件による収益化が目的なものが多く、あまりいい気持ちにはなれなかったのは確かだが、配信を行っている本人たちは熱意を持ち、リスナーに楽しんでもらおうという気持ちがはっきりと伝わってきた。
確かにこれは面白いと感じはしたものの、では自分の発したコメントをあの濁流のように流れ続ける中、反応してもらえるかと思うとそうでもなく、大半の配信者へのコメントは、おそらくは目を通してもらうこともなくただ大海に流れ落ちるだけであった。
そんな時、ちょうどゲーム配信で流行っていたスイカゲームがスマホでできるようになったので、ダウンロードしてプレイしてみたら非常に面白く、もっともっと上手くなりたい。あわよくばダブスイ(ゲーム上で一番大きい果物のスイカを2個作ること)を達成してみたくなり、YouTubeの攻略を見ていくうちに、とある個人配信の女性Vtuberの配信を見てるうちに応援したいと思えるようになった。
最初はどのみちコメントは貰えないだろうと、ROMだけで見ていたものの、頑張っているのをみるうちに自分の気持ちを届けたいと思うようになり、試しにコメントを送るとそれに返答があったことが心より嬉しかったのを覚えている。
その後はコメントをよく行ううちにゲーム配信にも参加するようになり、他の配信者のゲーム配信にも積極的に参加するようになっていった。
ゲームは仕事の拘束時間が長く5年以上まともに触れていなかったが、久しぶりに誰かとゲームをするのはすごく新鮮に感じられ、また楽しかった。
長年凍ってた自分の気持ちが溶かされる感覚がそこには確かにあった。
人との付き合いが希薄な昨今、このような経験ができるのは個人でやっている方々の優しさから来ているものだと思うし、また、取り巻くリスナーの方々を含めて盛り上げていきたいという感情が芽生えてきた。
以前作っていた動画や、今回のように文章として残していきたいという活力が出てきた。それはとてもいい傾向だと考えている。
私自身、職場の部署異動により、またなかなか配信者の方々と交流していくのは難しくなってくるが、今後も時間の許す限り、配信者やリスナーさんとの繋がりを大切にしていきたいと思うのです。