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気付けば私も、貧困女子。(後編)

※こちらの記事は、後編になります。
前編は、下記のURLよりどうぞ。

https://note.com/kali_/n/n190d0108030c

退職してから、全く働いていなかった訳ではなく、ご縁があり、副業程度の収入で、いくつかお仕事をさせて頂いた。

それ以外の時間は、物思いに耽りながら、普段はしない間食をする時間に消えていった。

僅かばかりの退職金は、時々狂ったように頼んでしまうUber Eatsに消えていった。

このままでは駄目だという気持ちと、
今までちゃんと真面目に生きてきたのに、
ちょっと横道にそれたぐらいで、一体何が駄目なんだという気持ちが、ずっとせめぎ合っていた。

ある日、朝起きてキッチンに向かうと、
昨夜飲みかけのワインボトルと、空いたグラスが置いてあった。

暗いキッチンで電気もつけないまま、少しだけ残ったワインを、グラスに注いで飲み干す。
昨夜1ピースだけ残しておいたチーズも口にする。

虚しかった。

高校時代の同級生の中で、大学時代の同級生の中で、こんな愚かな事をしているのが私以外に誰かいるだろうかと思うと、泣いてしまいたかった。

人生にとって重要な事は、真面目に生きる事ではなく、世の中に迎合しながら生きる術を見つける事だと、今更思い知った。


この2月のある日の朝の事は、今でも脳裏に深く焼き付いている。


冬が明け、寒さが和らぎ始めると、
気持ちの上では、少しだけマシになった。

4月から、地元を離れて関東の大学に行く事が決まった弟の為に、自分も束の間、東京へ遊びに行く事にした。
弟を心配する叔母から、「飛行機代出すから、弟について行ってあげて」と渡された4万円を頼りに。

友人と遊ぶのに、お金の心配をするのはつまらないので、東京ではただ、食べたい物を食べ、行きたい所に行き、会いたい人と会い、買いたい物を買い、申し訳程度に、新生活を始める弟の買い出しにも付き合った。

こうして気ままに楽しんでいると、来月ぐらいになったら事態は好転するんじゃないかという気が、勝手にしてきた。

その予兆なのか、東京から戻って来て暫く後、また1つ、週1程度の仕事を始めた。
その翌月には、週4でのお仕事が決まり、6月から、半年ぶりの「普通に早起き」生活が始まった。

だけど、それだけではもう、限界だった。

日に日に減っていく通帳残高を見て、このままこの生活を続けていく事が出来ないと、今更悟った。

身体を整える為の習慣になっていたジムを休会した。
楽しみにしていた原書で読む韓国語教室も辞めた。
オンラインで受けたいと考えていたベリーダンスのレッスンも諦めた。

「今日はもうご飯作りたくない。」
そう思った時、外食してもお金は足りるか、心配しながら過ごす日々が始まった。

母親から電話が入った。
「市県民税の請求が来てて、金額が結構大きいけど、合ってるかな?」

市県民税?
今まで正社員だったから、税金を自分で払いに行った事がなく、何も分からなかった。
そもそも、市県民税を払う事自体、頭の中から抜け落ちていた。

払えない。今、市県民税なんて払えない。

幸い母が、「どうせお父さんの分払いに行くから、一緒に払っておこうか?後から少しずつ返してくれたら良いから。」と言ってくれたお陰で、一旦は救われた。

でもこれから、家族への借金生活が始まる。

私とは無縁だと思っていた「貧困女子」。
気付けば私が、「貧困女子」。

フリーター、派遣、子育てとの両立、結婚による最前線からの離脱、制度からは見えない隠れた男女不平等。

働いているのに、いや職種や働き方によっては、働けば働くほど、貧困のスパイラルに陥る。

こうして私達女性は、前の時代と変わらず、こう叫ぶのだ。
「専業主婦になりたい。」

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