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共鳴。

取るものも取り敢えず、小さめのボストンバッグ1つで、逃げるように東京からここまで来た。

観光シーズンから外れた山梨県の山奥は、2月にしては温かい日とはいっても、人は殆ど出歩いていない。

清里へ行く電車の乗り継ぎまでまだ時間があるので、小淵沢駅の周りを散歩してみる。店は殆ど閉まっていて、時折地元の住民とすれ違うだけ。
その地元住民も、さっきから私に対して訝しげな視線を投げかけてくる。

いくら観光シーズンから外れていたって、時々はスキー客もいる訳だし、そんな冷たい目で見なくても、と思ったところで、場違いな自分の装いに気付く。

オシャレ重視なデザインのダウンに革のボストンバッグ、きれいめなテイストの黒のスニーカー、 防寒具は革手袋だけ。連れ合いはなし。

防寒具でしっかり身を固め、友だちや家族と連れ立って、笑顔でスーツケースをごろごろ引いているスキー客とは、明らかに様子が違う。


蒸発。

そう思われているのかもしれない。

遊びたい盛りの20歳前後に、火遊びから生まれた幼い子を置いて、まだ若い女が一人、 人目につかないところへ逃避行でもしているのではないかと。

考え過ぎだとは思うけれど、何だか段々と外を歩いているのが恥ずかしくなってきて、足早に駅へ引き返し、今度は駅の屋上展望台でただ一人、目前に連なる八ヶ岳をひとしきり眺めた。

思えば、冬の山なんてまともに見たことがなかった。
大学4年生の3月に、ドイツで鉄道に乗って、窓から残雪の山を見たことがあったけれど、 山があまりに間近に迫っていて、却って山の全景が分からなかった覚えがある。

鳥の声、霧に見え隠れする山々。
馴染みのないそれらからはまだ、私は何のメッセージも読み取ることが出来ないうちに、 清里行きの電車が出発する時間になった。

2両ほどの小さな電車の中、50代くらいの夫婦から、これまた訝しげな目線を感じながら15分揺られると、小淵沢よりかは幾分明るく見える清里駅へ到着した。

店の建物やのぼりのおかげで有彩色の景色にはなっているけれど、殆どの店は閉まっていて、閑散とした雰囲気は小淵沢とあまり変わらなかった。

駅からまっすぐに15分、冬の季節でも空いているオルゴール博物館を目指して下り坂を歩く。

途中、中国人観光客の面々と出会う。
写真を撮っている所を私が横切っても、何の反応もない。
彼らの中にいると、自分が透明人間になったような気分になる。
広大な大陸では、声を張り上げ、誰かの肩を叩いて話さなければ、誰にも気付いてもらえず、存在しない人間も同然なのだろうか。

幸い、と言っていいのか、オルゴール博物館には彼らの侵略の手は伸びておらず、居心地の良い人混みだった。

ちょうど演奏会が行われるタイミングだということで、ホールへ向かう。
観客は、私と、夫婦と3歳くらいの娘1人の3人家族、30代半ばの女性3人組。

3人家族の方は、奥様が日本人で、旦那さんが西洋の方のようだった。

30代半ば(と思われる)の女性3人組の方は、オルゴールに結構ご執心の様子で、キャッキャ言いながら、係員の解説を聞いていた。

係員の女性が、ホール内にある大小のオルゴールを、順番に解説しながら鳴らしていく。

電気を使わず、楽譜上にある突起が振動板を弾くことによって音が出るオルゴール。

当時はもちろんスピーカーは存在しないから、音量は、その共鳴によって大きくなっていく。

空気を揺らし、私の耳から身体の中へ入ってくる音楽。

限りなく自然に近い、自然の基本的な原理を活かした人工物なのだという気がした。


女性3人組のうちの1人があまりに熱心なので、係員からここで働かないかと誘われて
いた。
オルゴール大好きだなんてメルヘンだよなと思いつつ、それでも好きなことがあるっていいよな、と思いながら、温かい雰囲気から残雪の残る外へ出た。


もう夕方、でもまだ日は沈んでいない。
暗くなる前に、宿泊先のペンションへ行こう。
ここから歩いて20分ちょっと。ほぼ真っすぐだから、迷わないはず。

車通りは結構多いのに、歩く人は少なく、殆ど人とすれ違わない。
10分ほど歩くと道が狭くなり、駅から続いた下り坂は、登り坂へと変わった。
ボストンバッグが次第に重みを増してくる。

明かりがついたペンションをいくつか通り過ぎ、人の気配はおろか車の往来も消え、別荘と思われる家々ばかりが目につくようになって不安が増してきたころ、 目的地のペンションが見えてきた。

木々に隠れた、白くて小さなペンション。
息を弾ませ、先ずはペンションの外観と、周りの景色をビデオに映す。
10秒ほど動画が進んだところで、背後から勢いよく鳥が飛び立つ音がして、驚いて携帯を落としそうになる。
歓迎か、不歓迎か。

ペンションに入るとすぐ、ロビー兼食堂になっていて、バーカウンターと3、4卓のテーブルが目に入る。
昔ながらのスナックか喫茶店といった雰囲気だ。

ロビーには先客の女性がいて、テーブルに座って珈琲を飲みながら、カウンターの中にいる男性と言葉を交わしている。

隣のテーブルに腰掛け、2人の会話を聞くともなく聞いていると、後ろから別の女性に声をかけられ、チェックインが始まった。
きっと、この女性が奥様で、カウンター内にいる男性が旦那さんなのだろう。

夫婦2人で営むペンションというのは、いかにもアットホームなイメージがするけれど、実際の経営はどうなのだろう。

名前や住所を紙に記入し、夕飯の時間を取り決め、部屋に案内してもらう。
ロビーから個室へ向かう途中に通った部屋は、休憩室のようになっていて、壁には本がずらりと並んでいる。
棚の上、低い天井ぎりぎりまで、ぎっしりと本が埋められている。
先代の時からあるそうで、既に5000冊以上だとか。
実は、ホームページで調べた時に、本がたくさんあることを知って、密かに楽しみにしていたのだ。
後でゆっくり物色するとしよう。

お風呂を既に沸かしてくれていたので、先ずは湯船で旅の疲れを癒やす。
寒いところで温かい風呂。
ゆっくりお湯に浸かりながら、今夜はどんな夜になるのだろうと考えてみる。

お風呂から上がって夕食までの間、先程の休憩室へ行き、本を物色した。
さすがは先代から続く宿なだけあって、置いている本の中に、かなり年季の入ったものも見られる(愛国軍歌集とかね)。
お客様から読まなくなった本を寄贈頂いたものもあるらしく、ジャンルはさまざまだ。

あっちを開いたり、こっちを開いたり。
今夜どの本を、腰を据えて読もうか迷う。
小林秀雄も読みたいし、おーなり由子も読みたい。

廊下の方を見れば、漫画もたくさん置いてあった。
漫画はあまり読まないんだよなと思いつつ、一応ひと通り目を通してみることにする。
懐かしい漫画が少しと、その他多くの知らない漫画。
その中に、本もちょこちょこ置いてあった。

「冬のひまわり」

手に取ってみる。
五木寛之作。
どこかで聞いたことがある。

そうだ。
仕事で金沢のガイドブックを制作した時に見たんだ。
確か、金沢に移住していて、金沢に関するエッセイを書いている人だ。

この人小説も書いていたんだ。
というか、本業はこっちか。
分量も、今夜中に読み切るのにちょうどいいページ数だ。

「冬のひまわり」を持って部屋まで戻り、10ページほど読んだところで19時になった。
食事をしてから、またゆっくり読もう。

ロビーへ向かい、先程の女性と、先刻と同じポジションで、席につく。
今晩の宴は、私達2人だけのようだ。

ディナーは、カジュアルなフレンチ。
鴨肉、お魚、オニオンスープ、サラダ、ライス。
コース料理のように1皿ずつ運ばれてくる訳ではなくて、テーブルいっぱいに、どーんと、全てのお皿が並べてある。
アツアツを出すのがいいのでは?という余計なひと言は、食前酒の甲州産ロゼワインと共に飲み込む。

食事を進めながら、隣の女性に話しかけられた。
料理をしているのは、マスター(旦那さん)であること、冬の特に寒い日は、清里の売店や食堂が割引になること、100円レンタカーという非常にコスパのいいレンタカー屋があること等々、次々に清里情報を流し込まれ、適当に相槌を打ちながら食べ進める。

50代くらいと思われるその女性は、マスターと話している感じから察するに長年の常連かと思いきや、初めて来たのは去年の12月のクリスマスイブで、今回で3回目らしい。
クリスマスイブには、居合わせたカメラマンと、マスター手作りのブッシュ・ド・ノエルを食べたとか。

クリスマスイブに冬の清里に来るなんて、何があったのだろうか。
私と同じように、現実から逃げるようにここまで来たのだろうか。
彼女は凄くお喋りな方だったけれど、そういう身の上話は出てこなかった。

テーブルの上に並んだ料理を平らげると、デザートにチョコレートケーキが出てきた。
隣の女性曰く、いつも手の込んだデザートが出るわけではないらしい。
2人して、ケーキを2切れも平らげ、ワインの続きを飲みながら、マスターも入れて3人、四方山話に花を咲かせる。

どういう話の流れだったか、マスター曰く、このペンションの近くに、自殺スポットとなっている橋があるらしかった。
この手の話を聞くと、私は分かりやすくテンションが落ちてしまうので、早く明るい話題に移行したかったけれど、思いのほか話が膨らんだ。

隣の女性が、「何でこういうふうに、スポットが出来るのかな?調べて来るのかな?」と疑問を口にする。
そしたらマスターが、「そういう願望がある人たちは、何か共鳴するものがあって、ひきつけられて、ここまで来るんじゃないかな」と答える。
もしかしたら、何か特定の波動に導かれるようにして、来ているのかもしれない。
それなら、数日前にとうとう限界が訪れて仕事を辞める決意をした私は、ネガティブな感情に誘われてここまで来てしまったのだろうか。
そう思うと、何だか恐くなって来て、今日は春の如く暖かいはずの都会の夜の喧騒に、紛れ込んでしまいたくなった。

マスターが、外を見やる。
「星が見えるかも」
ダウンもはおらず屋内用のスリッパのまま、3人連れ立って外に出る。
夏はBBQをするというテーブルの方まで歩いて空を見上げると、雲が立ち込める夜空に、星が瞬く一角があった。
震えながら精一杯首を伸ばす。

「天然のプラネタリウム」
隣の女性が、そう口にした。
天然のプラネタリウムは、人工のプラネタリウムより見える星の数は少なく、それでも、ここに私がいて、ずっと彼方に星がいて、宇宙の中で私は生きているのだという事が、確実に感じられた。
その瞬間、少し込み上げるものがあって、雲と一緒に空が霞んで見えて、星は何重にも重なって見えた。

「いつも見られる訳じゃないからね。もっとたくさん見える時もある。晴れてたら見えるという訳でもない。」
マスターが、煙草を吸いながらそう呟く。
女性の方は、前に来た時も星が見えたらしく、その時は、深夜に何度か、1人で外に出て星を眺めたらしい。彼女には彼女なりの、星空と自分の対話があるのだろう。

「もう少し時間が経って、また見えるかもしれない。」
マスターがそう言うので、一旦屋内に戻る。
今度は、山梨の日本酒を飲みながら、マスターの生い立ちや、ご当地キャラクターのアレコレ、焼き物を作るマスターの親戚のお話、シーズン中の清里のことなど、たっぷりと23時くらいまで、尽きる事なく話をし続けた。

そろそろお開きにしようかという時、もう一度3人で外へ出たけれど、もう瞬く星は見えなかった。
移り変わるのが空なのだ。
先程の夜空はもう、私達の記憶の中にしか存在していない。
自然の一瞬を捉えようと全身全霊で挑むカメラマンの気持ちが、少しだけ分かるような気がした。

部屋へ戻り、ほろ酔いの頭で、「冬のひまわり」の続きを開く。
鈴鹿サーキットを舞台にした、静かなラブストーリー。
吸い込まれるように読み耽り、読了した時には、2時を過ぎていただろうか。
改めて表紙を眺め、裏表紙の帯にあった、作者のことばに目を止める。

「抑制された恋愛こそが最も官能的であることは、古典をひもどくまでもなく、私たちの周囲にあふれる物語りの示す通りだと思う。
しかし、それが他から加えられる制限ではなく、みずからの意思によるものであるとき、それは甘美な様相を呈することになる。
いま、私がひそかに夢見る男と女の劇は、一見、古風とも感じられる登場人物たちによって演じられる自己抑制の物語だ。この小説を、季節の流れに背を向けて、ひっそりと自分だけの夢を抱きつづける〈冬のひまわり族〉のために捧げたい。」

恋愛における自己抑制。

自分が経験してきた恋愛を振り返る。それは相手と紡いできた物語であり、同時に、自分の中で幾度となく続けてきた、行き場のない自己抑制の物語でもあった。

会いたい気持ちは控えめな言葉となって、別れたくない気持ちは、理路整然とした言葉になって表れた。

美しく、清々しく、カッコよく。

自分の中で掲げた恋愛のテーマに自ら縛られた結果、私の恋愛はいつも1人相撲だったように思う。

読書をする事は、本を通して描かれるテーマと、自分の経験との共鳴である事が、この時実感として、私の身体の中に吸収されていった。

電気毛布で少し暖かくなったベッドに潜り込む。その夜は、いつものような考え事は浮かばず、すんなりと眠りに入った。

朝食の時間15分前に起きた翌朝、部屋の扉が少し空いているのを見て、昨夜話した自殺スポットの恐怖感が、若干呼び戻される。

私が開けた覚えはない。きっと、部屋の内外での気温差によるものだろう。

最低限の身支度を済ませ、昨夜のロビー兼食堂へ行くと、あの女性が、昨夜と同じ場所に既に座っていたので、私も同じように隣のテーブルに腰かける。

今朝の朝食も、テーブル一杯にお皿が並べられている。
ご飯に味噌汁、お漬物、焼き鮭、目玉焼き、サラダ、ウインナー。
「これぞ朝ご飯!」といった風の完璧な朝食に、いつもは果物だけの朝食の私は少々圧倒されながら、まだ半分しか開いていない目で、のそのそと箸を動かし始める。

「目玉焼きが、ハート型ですね」
「朝食は、マスターじゃなくて、奥様の手作りなんですよ」
「マスターは、和食は作らないらしいんです」

隣から、昨夜と同じテンションで話しかけられ、昨日よりも薄いリアクションを返す。

朝食を大方食べ終えると、鮮やかな青の、バタフライピーのハーブティーが出てきた。
昨日ここに到着した際、ウェルカムコーヒーを頂いたのだけれど、カフェインが苦手で殆ど飲めなかった私を気遣って、ノンカフェインの飲み物を出してくれたのだ。

やっと目が冴えてきて、ちょっと癖のあるバタフライピーティーを頂きながら、マスターも交えて、昨日の続きのように四方山話に興じた。

隣の女性は、よっぽど昨晩の話に興味を持ったらしく、山梨の自殺スポットをネットで調べた話を始めた。

早く帰った方がいいのかもしれない。
負のオーラ漂う町に引き込まれたような感覚がまた甦ってきて、予定より早めの時間に東京に帰ろうかな、などと考えていると、いつしか話はペンションで使っている個性的な器の話題になり、何故かセクシュアリティの話にもなり、最後に夏の清里の様子を奥様からも聞いて、ようやく朝の会合がお開きとなった。

部屋に戻って一息つき、ひとまず歯を磨こうと部屋の外に出ると、隣の女性はもう身支度を終えていて、まさにこれから出かける所のようだった。

「今更ですが、私〇〇と言います」

唐突な自己紹介に、私も慌てて自分の名を名乗った。

「昨日は楽しかったですね、ありがとうございます、それじゃあ。」

今日はどこに行くのか、ここにはいつからいつまでいるのか、そんな事を聞く暇さえないまま、彼女は出て行ってしまった。

行きずりの出会いなんてそんなものだよねぇ、と思いながら洗面所へ向かう。

私の悪い癖で、凄く話しかけられると鬱陶しくなるのに、全く離れていってしまうと少し寂しくなる。

さて、これからどうしようか。

明日も仕事だし、このまますぐ東京へ帰ろうと思うけれど、なんせ電車の本数が少なく、1番早い時間に乗るとしても、まだ駅へ向かうには1時間ほど早い。

昨夜の続きで本を読んでもいいかもな〜と思いながら、本棚のある休憩所に出てぼんやりしていると、「せっかく来たんだから」と、マスターと奥様が、今の季節でも行ける観光地がないか、パンフレットを繰りながら考えてくれた。

あちこち提案してくれたけれど、時間が中途半端だったり、歩いて行くことが出来なかったりで、結局、駅近くのグラタンが美味しいお店まで、マスターに車で連れて行ってもらうことにする。

朝食を食べたばかりでお腹いっぱいだけれど、久しぶりのグラタンもいいじゃないか。

そう思いながらチェックアウトを済ませて外に出ると、雨が降っていた。

傘を持っていない私に奥様が差し出した白いビニール傘には、柄の部分にセロハンテープが貼ってあり、黒いマジックでペンション名が書かれている。

「剥がして、そのまま使って下さい。」

そう言われて傘を受け取り、車へ乗り込む。

お店までは5分くらいのはずだけれど、マスターは、せっかくだからと、付近の施設に寄り道しながら、夏場の清里観光の事を教えてくれた。

「〇〇さん(私)はさぁ、肩が痛いの?」

マスターからふいに、私への質問が向けられる。

「いや、昨日からずっと肩の辺りを触ってるから、痛めているのかと思って」

え、私そんな癖あったっけ?

でも、考えてみたら、手持ち無沙汰な時に、肩に手を置いていることが多いかもしれない。

「痛いわけじゃないんですけどね。デスクワークの仕事で、常に肩が凝っているから、無意識のうちに触ってしまうのかも(笑)」

答えながら、ちょっとドキッとする。
自分も気付いてなかった自分を見てくれた、と言うのは、とにかく嬉しいものだ。

いいよな〜、マスター。
すっごく歳は離れているし、身長も低いけれど、はっきりした顔立ちに白髪混じりのロン毛はなかなか色気があるし、ペンション以外には木こりの仕事もやってるらしく、身体が丈夫そうだし。もう60歳くらいだろうけど、男性として、まだ枯れていない、という感じ。

何だかマスターに心を開きたい気持ちになって、何故ここへ来たのか、いかに仕事が大変か、この仕事を辞めて次の仕事を探そうとしている事等々、今更ながら話してみた。

「また夏においで」

束の間のドライブはあっという間に終わり、グラタンの店の前で降りる。

雨で行くところがないのか、店の前には10人ほどの列が出来ていた。

とりあえず並んではみるものの、空腹を感じないお腹に雨と寒さも重なってきて、早くも並ぶことへのモチベーションが下がってきた。

携帯を取り出し、スマホを確認する。

何だかんだで結構時間は経っていて、今駅まで歩けば、10分くらいの待ち時間で電車に乗れそうな時刻になっていた。
ここで食事をするのであれば、次の電車まで待つ事になる。

雨に濡れたアスファルトへ踏み出す。

坂を登る。

駅の方へ。

帰ろう。もう帰ろう。

大体私は海の街で育ったんだから、山は性に合ってないかもしれないんだし。

清里へ背を向け、小淵沢へと走り出す電車。

手に持った傘を見て、こんなにすぐ帰るんだったら、傘、借りなきゃよかったなと思った。そんなに酷い雨ではなかったし。

清里の名残りを東京へ持って帰ることに、少し嫌気が差したのだ。

小淵沢で、申し訳程度に名物の信玄餅を買い、東京へ向かう電車に乗り込む。
この傘、帰る時、わざと置いて帰ろうかな、いや、そんなことしたら駄目だよな、と思いながら。

電車の中で、買ったばかりの信玄餅を、大量のきな粉と格闘しながら、付属の小さい楊枝で食べた後は、考え事をしながら眠りについた。

東京までは、1時間半から2時間ほどで、そんなに短い距離ではないはずなのに、思いの外深く眠ってしまったようで、気付いた時には、もう少しで降りる駅、という所まで来ていた。

慌てて身の回りを片付け、上着を着て、外に出る。

電車を乗り換え、真っ直ぐ家まで帰る。

玄関まで来た所で、ふと、あの傘を忘れた事に気がつく。
わざと忘れた訳ではない。
電車を降りる時慌てていたものだから、うっかり忘れてしまったのだ。

偶然の出来事ではあるけれど、あの傘を家に持って帰らなかったことに少し安堵し、部屋に入って、服を着替えようと、まずはズボンのポケットの中を確認したところでハッとした。

手の中にジャラジャラとした感触。

自分の家の鍵よりも、もっと大きな鍵の音。

そうだ、これはペンションの部屋の鍵だ。

今朝ペンションを後にするとき、バタバタとチェックアウトしたものだから、うっかり返しそびれていた。

連れて帰って来てしまった、清里の名残を東京まで。

慌ててマスターに電話で詫びを入れ、封筒に鍵を入れ、一筆書いた紙を添え、翌日の朝、会社に行く途中で郵便局へ寄った。

清里の記憶を取り払い、会社へ向かう。

数日後、ショートメールが届いていて、マスターから鍵が届いたとの報告を受けた。

またのお越しをお待ちかねします、との言葉と共に。

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