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27歳目前!アラサー女の焦燥感。

気付けば27歳になるまで、あと2ヶ月を切った。
暢気な事に、わたしは今日の今日まで、自分が既に「アラサー」と呼ばれる部類に属している事に、気付いていなかった。

暢気なアラサー女はこの度、東京へ進出する。お笑い芸人を目指す、大学生のバカ弟(愛ゆえにこの呼び方)との二人暮らし。
引越し費用は全て、父親持ち。
持つべきものは、金ある親。

いや、違う違う。
無事に引越し出来そうな事にホッと胸を撫で下ろす事はしても、喜ぶべき事じゃない。

わたしの親世代は、お金の面では、一番良い時代を生きてきたのだと思う。
戦後復興の兆しに乗って来た頃に生まれ、好景気共に、青春〜働き盛りまでを過ごし、不景気になって来た頃には、役付きに足を突っ込んでいて、金持ちや大出世の夢は崩れても、生活を危うくする程の危機に瀕する事はなかった。
言葉にすると順風満帆で苦労知らずのような書き方だけど、よく言われるように「良い時代」であった事は、間違いないと思う。

わたしたち最後のゆとり世代は、奇妙な気運の元に生きてきた。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件という、戦後の歴史の中でも、特に大きな出来事が、しかも同年に2つも起こった年に生まれた。
ゆとり教育を失敗だったとする論調が高まる中、自分より下の世代が脱・ゆとり教育の中で育っていくのを横目に、境目の世代として、ゆとり教育という旧体制の中で学生時代を過ごした。
中学生時代にリーマンショック、高校生時代に起東日本大震災。
失われた20年の間に、生まれ、育ったのだ。
就職活動に励む大学後期、一時期の就職氷河期からは逃れ、やや学生売り手市場の中、それでも従来の人気企業の競争率は高かった。
新卒一斉採用、就職活動の同時スタートに疑問が叫ばれる中、ゆとり教育と同様、急に制度は変わらないので、無意味だと思うシステムを甘んじて受け入れて、就活するしかなかった。

それから仕事を始めて、仕事を辞めて、また仕事を辞めて、新しい仕事が決まって、今はもう、27歳目前。

Twitterを開けばどこの誰でも嘆いている通り、周りは結婚ラッシュだ。

悔しいか?

悔しくはない。

羨ましいか?

羨ましくもない。

ただ、微妙な焦りと、惨めさがあるのは事実だ。

きっと、今の自分が、それなりに仕事に自信があって、それなりにお金を持っていれば、焦りも惨めさも微塵も無かったと思う。

それが、自分が学生時代の頃にあんなに嫌がっていた、親のスネかじりの、何のスキルもない、適当な男を見つけて結婚して、ちょっとした仕事でもするしかないような女に、今の自分がなっているのだ。

そう思うなら、大企業か役所で働いて、着実に昇進を目指せばよかったではないか。

そう思うなら、大学の同級生の中で、人当たりが良くて、そこそこ仕事が出来そうな人と付き合い続けて、20代後半に差し掛かった所で結婚すれば良かったではないか。

それなのに、わたしはわたしなりに生きてみようというチンケなプライドが、マイペースに生きる事を許してしまい、結局は、平凡な夢見心地少女、ちょっとお勉強好きの拗らせ女のまま、27歳を迎えようとしている。

さて、これからどう生きていこうか。

「30歳までに結婚」に滑り込みセーフするか、これからでも、着実に堅実な仕事を続けるのか。

いや、多分わたしは、これからも、崖っぷち少女のようにして生きるのだ。
自分のせいあるし、時代の影響もあるけれど、この生き方にしがみつくしか、今のところ、わたしの陳腐な個性はない。

減り続けて、ずっと底が見えたままの貯金。
女子大生に比べて、明らかに艶が少ない肌。

長い人類の歴史の中で、男の武器であった権力も、女の武器であった美貌も、今のわたしにはない。

そんななかで迎える27歳。

せめて、せめて、惨めさだけは感じたくない。
自分より年下の世代から見て、「あんな風になりたくはないけれど、まぁ生き生きしてて楽しそうだし、どうしようもなくなったら、ああいう風に生きてもいいよね。」と思われるぐらいの存在ではありたい。

まだまだ強欲で自意識過剰な26歳の嘆き。

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