子育てにおける「自責思考」について

自責思考とは

けんすうさんが「自責思考」について書かれていて、確かに新卒の人とかが勘違いすると病んだりするんだろうなと思った。

右下の「重要だけどコントロールできない」が起きた場合は、なんとか「コントロールできる」状態にシフトしないといけないです。

結局、チームで何かやってるときって自分の目の前のことに全力を注ぐことくらいしかできないので、「自責思考」とはなにかと言われれば、問題が起こったときに、自分に何ができるかを考えて実行すること(=なんとか「コントロールできる」状態にシフトさせる)だと思う。よく、自分ごととしてとらえろ!と言われたりしていた。

子育て中の親の自責思考と間違った内省

子育てで悩んでる人は、自分で取り入れているわけでも無く自然に失敗パターンの思考になっているんだと思う。

「自分のせいにして、責める」ことを自責思考だと考えちゃっているケースとか・・・。

その原因の1つは、「重要」で「コントロールできない」問題を自分ごととして捉えるあまり「コントロールできる」ものだと思いこんでしまっていることだと思う。

たちが悪いことに、失敗パターンの思考になっている人は間違った内省をして歪んだ自己認識をしたりする。

例えば、「なぜ子供にきつくあたっちゃうんだろう」→「もしかしたら子供が嫌いなのかもしれない」→「なぜ子供が嫌いなんだろう」→「小さい頃に親にXXXって言われたの今でも覚えてるなー」→「なぜそんなことを覚えてるんだろう」→・・・みたいな負のループだ。子供のことを本気で考えているから悩んでいるのに、自己認識の結果、嫌いな自分になっている。

子育て中の親の考え方「なぜ」→「何」

「重要」で「コントロールできない」ことであることの認識と、子供を愛していることさえ確認できていれば十分だと思う。

はっきり言って子育てに5なぜはいらない。もはや1なぜもいらない。

悩んでいるときは負のループに入らないためにも「なぜ」ではなく「何」の方向性で考えている。「なぜ」は被害者の思考になってしまうが、「何」は主体者の思考になれる。

「なぜ子供にきつくあたっちゃうんだろう」→「何があれば穏やかに接することができるだろう」といったながれだ。「何(どんな)」を考えると行動を起こしやすいことも大きい。

「自責思考」における問い

すこし宗教的な言い回しが入ってしまうかもしれないが、問題が起こっているときや悩んでいるときだけでなく、常に自分に問うべきは

目の前の人に何をしてあげられるか?

に尽きると思う。「人」の部分は「問題」などにも置き換えられるがあんまり大きくしないほうが良い。

何をしてあげられるかをベースにすることで、「なぜ自分はこう考えるようになったのか」という自分について考える内省ではなく「自分はどんな人間か」といった自分を知る内省に変わっていく。

効果のある行動を取るために

何をしてあげられるかを考える際に、自分ができることだけで制限しないようにする必要がある。頑張ろうとするとどうしても自分がといった考えになってしまうので、自分のできるベストを尽くすのではなく、相手にとってベストになるように行動を取ればいい。

最期に

けんすうさんの記事を読んで、自分の考えをまとめるために書き始めたところもあるので、ちゃんとまとまって無いです。後で少し書き直すかもしれません。

ちなみに、内省とかそのへんの話はInsightって本で読んだ話です。


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