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背戸山ism?

『「山葡萄で何ができる?」小さな谷間の明日への挑戦!』
っていうテーマで、クラウドファンディングにチャレンジするのですが、
はたして、何を不特定多数の皆様に訴えるの?って、ずっと自問自答してきた。

「地域に有るものって、何だろう?」
「それを活かして、どうしたいの?」

稲作が厳しくなったのは、福島原発が爆発して放射能汚染が拡散したから?
そもそも、10a当たりの売り上げが15万円程度ですから、機械を設備して業として成り立たせるのは至難の業でした。また、消費者の嗜好が変わって、主食1位の座からも転落してしまっているのですから、普通に考えれば、小規模経営の農家は、淘汰の運命にありました。

『背戸山(せどやま)』

 私たちの住む福島県中通り地域の阿武隈山系の山間部は、1000mを超える急峻な山は少なく、古来より背戸山呼ぶ裏山の幸とともに生きてきました。焚き木を秋口に採り、木小屋に蓄えて囲炉裏に焚いて暖をとり、竈で食事を整え、風呂を沸かす。そしてキノコ、山菜の山の幸をいただきました。水源の森でもありました。
そんなことが、私たちの世代は辛うじて記憶の奥に収まっている。
風呂用柴木や山から薪を橇に載せて木小屋に運ぶのを手伝ったものです。
 親世代までは山麓に畑を作り、桑を植え養蚕を営んでおりました。蒟蒻栽培もしており、和牛も育て、豚も飼ったこともありました。
 山に杉を植えて、林業にも取り組みました。共有林という制度もあって、10人前後の組単位で植林し、管理するという仕組みがあります。私はそれに関わった最後の世代でした。農家以外の方も入っておりましたから、高校生のみぎりに要請されて加わりました。暑い盛りの下刈りという草刈り作業で、大人の皆様についていくのがやっとで、苦しい思い出かな?

 そんな背戸山が、第2種兼業農家が当たり前になって、すっかり忘れ去られて、荒廃の一途を辿りました。あの苦しい記憶が何の意味もなくなるくやしさを感じたのは私だけだったのか?それで『背戸山を考える会』の設立を提案したのでした。

「暗い荒廃した裏山のままで、次の世代に渡していいの?」
「小学校1年生の遠足の地、大日山に戻そうよ?」

 しばらくして、山頂付近に植えたモミジ、コブシ、ヤマボウシの手入れの下刈りが不評だったようで、会員が半減して今や10名あまりになりました。幸い間伐から基金づくりを仕組んでいたので、運営はできるのですが・・。

 そこで、責任を感じた私が取り組んだのが、『もてなしの森』と名付けて整備している麓の森、畑です。そこ植えたのが、山葡萄なのです。

「癒し、育て、収穫、集いの場をつくる!」
「背戸山で、植物を育て、収穫し、旬を楽しむ!」

 もしかすると、我が地域は、そんなことができる日本中で一番の適地なのかなと思ってる。何しろ温帯域の南限、北限の作物が何でも作れるのだから!

 『背戸山ism=裏山の恵みを活かした農的生活』

 コロナ禍でリモートワークが当たり前になった現在、首都機能移転の第一候補地なった地震に強い強固な地盤の地、首都圏、関西圏にも日帰りできるという立地はお薦めなのかな!
官民ともそこを大いにアピールしてもらいたいね!

クラファンもスタートまで時間がない!がんばろう!






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