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簡雍さんは考えた。(短編の1)

 簡雍は考えた。
図々しいにも程がある。
無頓着も甚だしい。
更には、不作法極まりない。
なのに目が離せない。
次の言葉が聞いてみたい。
我が従兄弟ながら、こんな男は初めてだ。

叔父が逝った。
褒められた人では無かったが
幼い頃からよく遊んでもらったから、
眼前に横たわり、白くなった彼が
もう起きてこないことに実感が湧かなかった。
周りの大人や、遠くから集まった親族は
声も憚らず泣いている。
一様に白装束に身を包み、
床に伏せ、腿を叩き、故人の名前を喚ぶ。
いかにも大袈裟に、
あなたを尊敬していたと。
あなたを失って哀しいと。
まるで我が子を失いでもしたかのように皆で嘆くこの様子は、
もう半日も続いていた。
彼らと叔父が話しているところは
見たことが無い。
喪主である父は
お前も泣けと目配せをして来る。
仕方なくうずくまって、
顔を伏せているしか無かった。
つい先日まで、あいつは金を返さない。
もう弟とは思わないと
毒付いていたくせに。
そう思うと余計に白々しい気持ちになった。
床の木目をじっと見ていると、
隣から嗚咽が聞こえる。
誰かと思って見れば、
従兄弟の劉徳然だった。
歳は簡雍よりいくつか上のはずでる。
親族の若者の中では、生真面目で
忠義物で通っている。
声を殺しながら泣く姿に、
何とウブな人だと感心した。

後漢のこの時代、人々の価値観は
まさに儒教のそれだった。
仁義を尊び、忠を尽くし、
親に孝し、礼を重んじる。
これが行動規範であり、
人物であるかどうかの基準でもあった。
清廉であれば認められ、清廉であるかは、
儒に従うかどうかとも言えた。
その点、劉徳然は一族の中でも
一目置かれる存在だったが、
彼の父、劉元起は我が子に厳しかった。
劉元起は、ここ幽州琢県の人で、中山靖王劉勝の子である陸城亭侯劉貞の子孫と言われる。
いわゆるこの地の有力者の一人である。
簡雍 字を憲和とその父、そして叔父は
その血縁であった。
簡氏は元は耿氏であったが、
この幽州に移った時に、土地の発音に習い、
改姓したという経緯がある。
憲和はこの簡という姓が好きだった。
自分の好きな、書物を表す字だし、おおまかで手軽な様子を表す意味も持っている。
まるで自分だ。名が体を表している。
そう自負していたし、そうあろうとした。
だから、叔父のことは好きだった。

この中で叔父の為に泣いているのは、
このウブな若者だけかもしれない。
そう思うと少し胸が熱くなる。
あまり話したことは無いし、
きっと気も合わない。
でも、この人の純粋さは好きだと思った。

夜になるとさすがに大人達も
もう良かろうと思ったのだろう。
父が赤く腫れた眼で号令をかけ、
酒宴が始まった。
酒は入れども、しめやかである。
皆、遠慮がちに杯を重ねる。
そんな中である。
どよめきが起きた。
見ると、みずぼらしく、乱れた姿の若者が
息も荒く、ずいと宴場に入って来たところだった。
歳は同じくらいだろうか。
青さの中にある逞しさと、
その長い耳が印象的だった。
劉玄徳だ。
声が聞こえた。
聞いたことがある。
父親が早くに亡くなり、劉一族の中でも
末席の、いわゆる寒門である。
確か母親と2人で貧しく暮らしていて、
時には侠客のようなこともしている、
ということだったが。
劉備は周りには目もくれず、
叔父の前まで歩を進めた。
そしてそのまま、香台に数枚の銭を叩きつけた。
「叔父貴。借りた金を返しに来ました。
 お陰で母に薬を買えた。」
そう朗々と曰う。
「お世話になりました。」
頭を下げると、側に置いてあった酒瓶をぐいと煽った。
場は騒然としている。
濡れた口を拭い、立ち上がると、
劉備はそのまま場を去ろうとする。
「不作法だな。
 線香くらい上げて行かんか。」
声を上げたのは、劉元起だった。
笑っているが、目はじっと据えている。
ざわついていた場がぐっと息を呑むのが分かった。
長老の威厳というやつか。
簡雍はまた感心した。
「はい。」
劉備は長老の視線をまっすぐ受け、
静かに応えた。
振り返って、
慣れない手つきで線香をあげる。
その姿に簡雍ははっとした。
何か気がこもっているように感じる。
涙は無い。
でもこの男は泣いている。
なぜか、そう分かった。
「飯は」
「頂きます。」

宴場にガチャガチャと音が響いていた。
決して上品とは言えない
劉備の食事を、只々皆が見ていた。
音を立てて、鼻息荒く肉を貪る若者を
じっと見ていた。
この時、簡雍は初めて泣いた。

「少し話を聞かせてくれないか。」
そう劉備に声をかけたのは、
彼が劉元起に頭を下げて、
表門をくぐって出た時だった。
まっすぐにこちらを振り返る視線に、
胸が鳴るのが分かった。
「叔父から金を借りたと言っていたな。
 いつの時分だ?」
声を落ち着けながら、ゆっくりと聞く。
「数月ほど前だ。」
「叔父は金を持っていたのか?」
「いや、工面するといって、数日の後に
 家を訪ねて持ってきてくれた。」
間違いない。
父から借りた金だ。
叔父はこの若者を助ける為に、
自らの評判を落としてまで、
父に返せない金を借りたのだ。
自分のこの高揚を、いつか叔父も感じたのだろうか。
この劉備という男の視線に、胸が躍ったのだろうか。
なぜ、こんなにも早く逝ってしまったのだ。
目の前が潤む。
「良ければ、叔父との話を
 聞かせてくれないか。」
劉備は笑った。
「良いとも。」

その後
劉備が、劉徳然と共に
高名な学者、盧植の門下に入ったと聞いた。
州を跨いでの弟子入りであるから、
旅費、滞在費ともに、
劉元起からすれば莫大な出費である。
見込まれたのだな。
簡雍は素直に嬉しかったが、
劉備がこの話を迷わず受けたと聞いた時、
苦笑いしながら思った。
図々しいにも程がある。

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