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恐怖こそが郷土|《北海道 苫前町郷土資料館》前編|郷土史料館へ行こう!第2回

訪問日:2019年9月15日
バイクツーリング中に訪問。
資料館訪問前に立ち寄った場所から始まりますので今回は前後編とさせていただきます。

プロローグ

炭鉱から集積された石炭を積み出す港として重要な港であった留萌市から左手に日本海を眺めながら国道239号線を北上すること小一時間。巨大な風車群を横目に海に下る古丹別川の出会いから内陸へと右折した。北海道ならではの視界いっぱいに広がる空を眺めながら239号線を快走すると苫前町の古丹別という集落に入る。そこから右折してまた道道1049号線で南下する。

通称ベアーロード

クマの道!

ベアーロードを走るとこのような可愛いクマの親子の看板がたくさん掲げてあり、

♪ある日、森の中、クマさんに、出会った〜

なんつって口ずさみながら朗らかにベアーロードを楽しく南進。その森を目指した。ちなみにこのクマの親子のイラストは苫前町のカントリーサインである。可愛いですね。

カントリーサイン
主に道路沿いなどに設置されている標識の一種である。 都道府県市町村の境界となる道路上に設置され、行政地域の名称と共に、県章および市章や各々の町の名物などシンボルを掲げているのが特徴である。
(Wikipediaより)

山間を進むこと数十分。ついに舗装路が終わった。そこから先は未舗装路。道は暗い森の中へと続いていた・・・。

♪あらクマさん!

それまで可愛らしいクマのイラストで楽しませてくれたベアーロードの終点に待ち構えているのが悪魔のようなクマのイラスト看板。
天国から地獄。

そう、ここは苫前、三毛別(現 三渓)。

かの有名な三毛別羆事件の復元地なのである。

獣害史上最大の惨劇「三毛別羆(ひぐま)事件」
●事件の概要
苫前町は、明治20年代の後半になると原野の開拓が始まりました。
未開の原野への入植は続きましたが、掘っ建て小屋に住み、粗末な衣類を身につけ空腹に耐えながら原始林に挑み、マサカリで伐木しひとくわひとくわ開墾したのでした。
大正初期、町内三毛別の通称六線沢(現・三渓)で貧しい生活に耐えながら、原野を切り開いて痩(や)せた土地に耕作をしていた15戸の家族にその不運は起きたのでした。大正4年12月9・10日の両日、340㎏の巨大な羆が現われたのです。冬眠を逸した「穴持たず」と呼ばれるこの羆は、空腹にまかせて次々と人家を襲い臨月の女性と子供を喰い殺したのでした。その夜、この部落で犠牲者を弔うため人々が集まり通夜が執り行われていた民家に、再びこの羆が現れ、通夜は一転して悲鳴と怒号の渦と化しました。人々は逃げて奇跡的に助かりましたが、食欲が満たされず益々興奮した羆は、再び近くの人家を襲い、9人の内5人を喰い殺したのでした
この事件の犠牲者は10人の婦女子が殺傷(7人が殺され、3人が重傷)される、獣害史上最大の惨劇となったのです。
恐怖のどん底に落とされたこの部落に、熊撃ち名人として名高い老マタギ山本兵吉が鬼鹿から駆けつけ、12月14日この羆を射殺したのでした。その時突然空には一面の暗雲がたちこめ激しい吹雪となり、木々が次々となぎ倒されました。この天候の変わり様に人々は「クマ嵐だ。クマを仕留めた後には強い風が吹き荒れるぞ。」と叫んだのでした。

※苫前町観光ガイドブックより
苫前町公式サイトより閲覧可能
http://www.town.tomamae.lg.jp/section/kikakushinko/lg6iib0000000ls1.html

「喰い殺したのでした」が二度も登場する観光ガイドブックはここだけではないだろうか。

 そして自分はいま北海道の山奥に一人なのだ。あの事件の場に!という状況を再確認して強烈な寂寞感にゾクゾクしながら暗い森の中へと進んだ。
 しかし暗い。晴天であるにもかかわらず森の中は暗い。その昔、開拓民はこの暗い山奥で15戸の住居を築き生活していた。車もない時代にこんな山奥まで。そんなことを考えるだけであの時代の開拓民の凄惨な運命に思いを馳せて鳥肌がたった。

そして現れた三毛別羆事件復元地

開拓の悲話を通して不屈の開拓精神と先人の偉業を後世に伝えようと三渓地区住民の強い熱意で復元された現地は、山奥の森林に囲まれた薄暗い場所で、今にもヒグマが出現しそうな雰囲気があり、訪れる人々にとってスリルを感じる隠れた人気の観光スポットとなっています。
※苫前町公式サイトより
http://www.town.tomamae.lg.jp/section/kikakushinko/lg6iib0000000ls1.html

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや

盛りすぎでしょ笑

これじゃ羆じゃなくて怪獣ですから!

3mはゆうにあろうかという羆のスタチューが開拓村の家屋を襲うシチュエーション。こ、これは怖いぞ!と恐怖心を無理やり湧かせようとすものの、なぜか心は非情にもこの空間をシュールな領域に見てしまう。

ちょっと冗談めいてしまったが本当に恐ろしい事件なので、実際この地で起きた凄惨な三毛別羆事件を描いた吉村昭の小説『羆嵐』はぜひ一読していただきたい。
 私は数年前にこの北海道でまったく人っ気のない糠平のキャンプ場で読んだのがこの『羆嵐』であった。結局、テントの外でから聞こえる草木の物音ひとつでさえビビってしまい眠らずに朝まで過ごしたのは辛い思い出である。その時私は思ったのだ。

夜の山中で怖いのは幽霊なんかじゃない、クマだと。

幽霊に遭遇して死ぬなんてことはないが(たぶん)、羆にあったら死ぬ。確実に死ぬのだと、この『羆嵐』は教えてくれた。

羆嵐 吉村昭
北海道天塩山麓の開拓村を突然恐怖の渦に巻込んだ一頭の羆の出現!日本獣害史上最大の惨事は大正4年12月に起った。冬眠の時期を逸した羆が、わずか2日間に6人の男女を殺害したのである。鮮血に染まる雪、羆を潜める闇、人骨を齧る不気味な音…。自然の猛威の前で、なす術のない人間たちと、ただ一人沈着に羆と対決する老練な猟師の姿を浮彫りにする、ドキュメンタリー長編。 新潮文庫 572円 ISBN:978-4-10-111713-3

ちなみに、のぼりべつクマ牧場発行の『ヒグマ Vol.10別冊』には三毛別羆事件の被害状況が記されていた。

「完膚なきまで」の使い方!!!!!!!!

【完膚無きまで】
 徹底的にやっつけるさま、無傷の部分がないほどにやりこめるさまなどを意味する表現。

復元された家屋の中もしっかりと当時の雰囲気が感じられる。

男の子と女の子がこれから楽しそうに7人が羆に喰い殺された復元地を散策するかのようなイラストの順路MAPもまたシュールさ醸し出す(トイレと書いてありますがトイレないです)。
しかし実際には順路にするほどの大きさはなく、小さな公園程度の広さである。

もちろん事件の碑もある。

ちょいちょい微笑ましいイラストが目に入るのでなぜがホッコリしてしまう三毛別羆事件復元地です。

この看板がふつうに怖い。

まあ、なんちゅうか、こう、体感アトラクションとしては真に迫るスポットですよね。いや迫るっちゅうか、「真」なんですけれども。

なにはともあれ「森のくまさん」をニコやかに歌っているやつをこの場に連れて来たいです。

お礼に歌ってる場合じゃねえぞと、食い殺されっぞ!と言ってやりたいですね。


三毛別羆事件復元地

施設情報
【分野】事件・事故
【運営】町民有志
【開設期間】5月1日~ 10月下旬
【開設時間】開設時間はありませんが夜間の見学は危険ですので、ご遠慮ください。
【料金】無料
【注意】携帯電話:圏外となっております。トイレは設置しておりません。
【所在地】苫前町字三渓
※苫前町公式サイトより
http://www.town.tomamae.lg.jp/section/kikakushinko/lg6iib0000000ls1.html


後編 《苫前町郷土資料館》へ続く!>>>


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