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恐怖こそが郷土|《北海道 苫前町郷土資料館》後編|郷土史料館へ行こう!第2回

三毛別羆事件の復元地を堪能した私は本当の目的地である苫前町郷土資料館へ向かった。
復元地の訪問はいわば予習。

事件は資料館で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!(間違ったことは言ってない)

ということで現場100回(は行かないが)まずはあの事件の現場に立ってから資料館に行きたかったのだ。

私は復元地から折り返し、ベアーロードを♪あらクマさん〜と歌うこともせず、まっすぐ苫前町資料館へと向かった。

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到着

ら、来館者を震え上がらせたいんですか?

薄暗い三毛別の復元地とは別世界の青い空。
苫前町郷土資料館となっている建物は昭和3年に建てられた旧苫前村役場である。

※現苫前町役場はこのような立派な建物です↓
(googleストリートビューから拝借)

看板はやっぱり熊だけど!


赤い屋根とベージュ色の壁。昭和初期の北海道の庁舎らしい佇まい。


いざ入館。


ぜったい震え上がらせたいんでしょ?

渓谷の次郎
昭和60年4月8日 苫前町字三渓、通称奥三渓に2名のハンターが入り、サカンベツ沢の奥46林班のガンケ 積雪約1.5m 大きく開いた雪の割れ目で仮眠中の羆を発見。午後4時02分に約40mの距離から発砲。下顎から頭部へ2発の弾丸が命中して射止められる(5才-明け6才)
体重約350kg 雄
苫前町内の山林で射止められた羆は7年ぶりである

三毛別羆事件の凶悪羆は推定340kgらしいので、それよりも渓谷の次郎10kg増し!!!

????????????????????????

↓おい、これはどういうことだ

いや、人の記憶とは砂上の楼閣のように吹けば消え去っていくようなものである。あの悲劇を後世に伝えていくには少々の誇張は必要であるとは思うのだな。

ということで精一杯怖い顔の渓谷の次郎のご尊顔をどうぞ

そんな渓谷の次郎のいきなりのお出迎えに圧倒され受付がどこだかキョロキョロしていたら、たぶん毎度私と同じようにキョロキョロする人間がいるのだろう。「受付はこちらですよ〜」と慣れた口調で正面奥から職員に声をかけられた。

入館料300円を払うと、目の前に・・・

震え上がらせてやろう感バリバリのいかつい文字であの三毛別羆事件のパンフレット『獣害史最大の惨劇 苫前羆事件 苫前郷土資料館」が!

「これください」と秒で購入(たしか800円だった)

実は前編で引用したのがこのパンフレット。
事件の概要は昭和36年〜40年に古丹別営林署在任中の木村盛武氏が調査したもので、小説『羆嵐』の元になったもの。木村盛武の調査は『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(文春文庫)にもなっている。
パンフレットは木村盛武氏が編集人を務めた「のぼりべつクマ牧場」が発行している『ヒグマ vol.10』別冊からの複製、印刷したものである。

『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』
木村盛武 文春文庫 715円
ISBN:978-4-16-790534-7

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受付を済ますと苫前の地形模型や「苫前のあゆみ」などの展示してあるが、そんなものが目に入らない。
ある一点に目が釘付けである。

♪あら熊さん

ごごごごごごごごご

北海太郎!!!!!

でかい!!!
体重500kg**

幻の巨熊 「北海太郎」
=雄 体重500kg 足裏27cm=
この羆は、町内周辺の山に毎シーズン出没し、幻の巨熊として追跡8年、名人コンビ2代目ハンターの執念により、ついに昭和55年5月6日羽幌町内築別 通称シラカバ沢で射止める。
 この羆は「北海太郎」のニックネームで呼ばれ、幻の巨熊として剥製保存することになった。ご両名は苫前町開基100年の意義ある年にこれを苫前町に寄贈し、未開の地で熊と闘い、開拓に汗を流した先人の労苦を偲び深く敬意を表したものである。

こりゃあ、金太郎も相撲どころじゃない・・・

お馬の稽古なんてクマに失礼だわ。

これがあのベアクロー・・・

ベアクローとは
『キン肉マン』の登場人物・ウォーズマンの主要武器である手甲部分に収納された鉤爪。拳を握り締める動作によって手甲から展開される。
現在は円錐型の四本のスパイクブレード型クローだが、初期デザインの物は先端にフック部を持つまさしく鉤爪状で、ペンタゴンの顔面に突き刺し腹部まで引き裂いていた。
作中では、この爪を展開した状態で身体を高速回転しながら突撃し相手を突き刺す必殺技「スクリュードライバー」が有名である。
(ピクシブ百科事典より)

私はちょっと思った。
姿を見せただけで特に害をなしてなく、ただ巨大と言うだけで射止められた北海太郎が不憫だと。
しかし北海太郎、渓谷の次郎を射止めたハンター大川高義氏は三毛別羆事件発生当時の区長大川与三吉の孫にあたる。
また高義氏の父、春義氏は三毛別事件の犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めると誓ったという。
あの事件におけるこのこの地の人々と羆との因縁にため息がでてしまった。

大川春義氏 羆撃ち100頭突破記念

区長の大川与三吉の息子・大川春義(おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。また春義の息子・高義も同じく猟師となり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。
(Wikipediaより)

ハンターの大川春義氏は吉村昭の短編『銃を置く』(短篇集『海馬』収録)のモデルとなった人。『熊嵐』の後日譚といった話である。

海馬(トド)
吉村昭  新潮文庫 605円
ISBN:978-4-10-111730-0

すべてがインスタ映え。

そしてもっとインスタ映えを発見。

これホラーだよ!

わたしはこれ見て巨大イノシシが人を食い殺すオーストラリア映画『レイザーバック』のワンシーンを思い出してしまった。↓(余計な知識)

しかし小さな町の郷土資料館でこんな恐ろしい展示が見られるなんてどうかしている(褒め言葉)

ちなみに視聴覚室では昭和55年の三國連太郎主演のテレビドラマ『羆嵐』(短縮版)を観ることができます。


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クマと共存する町

私は渓流で釣りをする趣味があることから東北の山奥に出向くことが多く、釣りをしていた川の近くでツキノワグマに襲われる事件があったこともあり、ことさらクマには興味があった。クマに関する本を読むと私たちが生活している場所はクマと重なっているということに驚いたことがある。それまでまったく意識していなかった熊が自分のすぐそばに存在していたのだ。
 そして北海道のクマ、いわゆるヒグマ(羆)と本州に生息するツキノワグマは別種であるが、これらクマは日本における生態系の頂点なのである。
 マタギにとって熊は山神からの授かりものとされ、アイヌにとってもイヨマンテの儀式に見られるようにカムイの依り代となるのがクマである。この日本において生態系の頂点の二者である人間とクマは互いに無視できぬ存在だからこそ山の民は昔からクマを神聖視してきたのである。
 現在も本州では7割の地域に(九州では絶滅、四国では絶滅危惧種)、北海道ではほぼ9割の地域にクマは生息していることから、我々人間はすでにクマのいる世界の中に生きていることを自覚するべきだと私は声を大にして言いたい(何者だ私は)

参考サイト「ヒグマ研究室」
http://naochiaki.biz/higuma/category/file-bear-attacks/
環境省パンフレット『クマと共存するために』
http://www.env.go.jp/nature/choju/docs/docs5/docs5-kuma.pdf

 ヒグマは北海道全域に生息している。苫前町だけに生息するわけではないヒグマがなぜマスコットにするほどの苫前の名物となったのか、それはこの恐怖体験こそがこの地を切り開いた先人たち開拓民の貧しさと過酷さの象徴なのではないか。そして恐怖として語り継がれるヒグマが、ときに可愛らしいイラストとなって町のマスコットとして現れるこのアンビバレンツな関係。実はこれこそが人とクマの本当の「共存」なのではないかと現地に訪れて感じた。融和でも主従でもなく、対立と理解が同時に存在することが「共存」なのではないかと(遠くを見て)。


制作・著作
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ⓃⒽⓀ


終・・・・ではない!

クマばかりに目を奪われがちだが、苫前町郷土資料館はヒグマの資料館ではない!郷土の資料館なのだよ!

苫前町郷土資料館を正面からみるとこぢんまりとした建物であるが、じつは奥行きがあり、郷土資料館の奥には考古史料館と復元住居がある。これらをあわせて「古代の里」と呼ばれているのだ。

ということでʕ••ʔ

放水車

企画展(ヒグマかわいい〜)ฅʕ•ᴥ•ʔฅ

考古館ではアイヌの民具や武器も展示。
ほか、旧石器文化、縄文文化などの実物資料などが展示。
北海道は縄文文化→続縄文文化→擦文文化→(謎の)オーホーツク文化→アイヌ文化と本州の文化期とは違う歴史をたどっているのが興味深い。

1987年に廃線となった羽幌線の品々。

羽幌線はかつて炭鉱からの石炭輸送とニシン輸送として活躍した。

といった感じ(なげやり)

ええ、すみません。クマに夢中で他の展示が頭に入ってませんでした。**

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苫前町郷土資料館

施設情報
【分野】郷土・歴史・クマ
【運営】苫前町
【開館期間】5月1日〜10月31日
【開設時間】10:00〜17:00
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日を休館)、夏休み期間中は無休
【料金】
町内個人:小・中学生:50円、高校生・一般:100円
町外個人:小・中学生:100円、高校生・一般:310円
団体(10名以上):1人につき個人料金の該当する区分の3割引とする
【公式サイト】苫前町郷土資料館http://www.town.tomamae.lg.jp/section/kyoiku/shakaikyoiku/lg6iib0000000lu6.html
【所在地】苫前郡苫前町字苫前393番地の1421


エピローグ

日本獣害史最大の惨劇といえば三毛別でしたね。
では、史上2番目の惨劇はどこでしょうか・・・。

はい、ここから1時間30分ほどいったところで起こった、

石狩沼田幌新事件です!

石狩沼田幌新事件
大正12年(1923年)8月21日の深夜から8月24日にかけて、北海道雨竜郡沼田町の幌新地区で発生した、記録されたものとしては日本史上2番目[に大きな被害を出した獣害事件。ヒグマが開拓民の一家や駆除に出向いた猟師を襲い、5名が死亡、3名の重傷者を出した。
(Wikipediaより)

ということで行ってみた。

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番外編 《沼田ふるさと資料館》

閉館・・・。

ボロボロですよ・・・。

残念・・・

あ〜あ・・・と肩を落としてバイクにまたがると
「おにいさん、ツーリング?」と声をかけられた。
近くで工事をしていた作業員だった。
「なにしに来たのさこんなとこ?」
「いや、ここの資料館を見に来たんですけど閉館しちゃったんですね」
とわざとらしく悲しそうな顔をすると
「ここの中のものはこの先のほたる館に移ったみたいだよ」
「ʕ·ᴥ·ʔ !」

親切なおじさんありがとう!

北海道のホスピタリティに感動し一路ホタル館を目指した。

改めて

《ほたる学習館・雪の学校 炭鉱資料館》

まずは蒸気機関車がお出迎え(クマではない)
炭鉱であった沼田から留萌まで石炭の輸送を担っていたクラウス15号蒸気機関車。

クラウス15号蒸気機関車は1889年(明治22年)にドイツミュンヘン市のクラウス機関車製造所で製造されて九州鉄道に輸入され、その後日本国有鉄道、東京横浜電鉄を経て昭和6年に北海道留萌鉄道(沼田町)で石炭運搬等に活躍し、更に明治昭和鉱業所(沼田町)の貨物専用線で石炭貨車運搬用として昭和42年12月まで現役として活躍していたもので、現在日本に現存する小型蒸気機関車の中ではもっとも古いものです。
沼田町公式サイトより
https://www.town.numata.hokkaido.jp/section/kyouiku/ujj7s30000001h3p.html


いざ入館


きたーーーーーーーーーーーーーー!

2頭目きたーーーーーーーーーーーーーー!

毛皮きたーーーーーーーーーーーーーー!

これは実際の事件で人々を襲った羆の皮です!

(傍線は筆者)

こわっ!!

しかしこの資料館ではヒグマ関連はこれだけであった。
やはり2番じゃダメなんですよ。周辺にクマの観光看板もないですし、沼田町の公式サイトにも石狩沼田幌新事件はないし、クマの文字さえどこにもないのです。
もちろん沼田町のカントリーサインはホタルです。

ほか、化石コーナーや昭和炭鉱の展示です。

炭鉱、炭田の歴史もまた興味深いものがあります(なげやり)

いや、なんちゅうか、ヒグマのインパクトが強すぎて北海道開拓の歴史以前にやっぱ北海道の自然ですわ(やっぱなげやり)**

郷土資料館は面白い!(なげやり)

ʕ••ʔ

ほたる学習館・雪の学校・炭鉱資料館

【分野】郷土・歴史・一部クマ
【運営】沼田町
【開館】2010年10月
【期間】4月29日~11月3日 
【開設時間】9:30〜17:00
【休館日】事務局へお問い合わせ 電話番号 0164-35-2132
【料金】無料
【公式サイト】沼田町公式サイト
https://www.town.numata.hokkaido.jp/section/kyouiku/ujj7s30000001o7e.html
【所在地】北海道雨竜郡沼田町南1条4丁目6番5号


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