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青春の光が自分から消え去ってることを白目を剥いて受け入れろ|『花束みたいな恋をした』感想【ネタバレ】

※感想はネタバレに触れています

『花束みたいな恋をした』というタイトルを聞いて、「ハイハイハイ、またハナクソほじりながら見る映画ですかハイハイハイ」とスルーを決め込んでいたわけなんですが、「死んだ」「白目剥いてた」「すずきさん映画見て死んで欲しい」と周囲から聴こえてきて、今や本作は「殺しに来る映画」という評判となっていた。

観てきた。

なんちゅうか、恋愛を始まりから終わりまで経験した人間にはブッ刺さる映画であった。

別れた経験がない人や恋愛現在進行形な人にとっては「恋って盲目よね」と惚気ているところに開いた落とし穴のように大きな口を開けて待っている映画なのだ。

舞台は2020年。
ひとつのイヤホンを恋人同士の二人が左右分け合って音楽を聴いている。そこに菅田将暉演じる麦と有村架純演じる絹が「ステレオは左右の音が違う。二人は同じ音楽を聴いているようで実はまったく違う音楽を聴いている」(うろ覚え)とかなりウザイことを言う。

そして時は遡り、2015年に。

恋はいつかは終わるパーティのようなもの

 学生時代の麦と絹が“押井守きっかけ”で心を通わせ、お互いの趣味があまりに自分と同じことに感動し、ファミレスで告白するまでは終始鳥肌が立ちっぱなしだった。麦の告白シーンで涙してしまったくらいだコノヤロウ。こうして二人の恋のパーティーは圧倒的なオープニングで幕を開ける。

しかし、共感なんてラーメン食ってる時くらいしか欲しいと思ったことないわという、恋と共感が実は幻想であったと知っているものにとって、これは終わりの始まりでしかないのだ。ああ、なんて非道い映画なのでしょう。

そう、イヤホンのように二人にとっての共感は幻想でしかなかったのである。

 ここで自分の恋愛経験を曝け出し、「こんなことあったあった」と書き立てることは容易い。しかしそうやって鑑賞者を自爆させていくスタイルがこの映画。もはや僕は恋の盲信者ではない。負けてたまるか。

 二人は自らを相手の嗜好に多少の修正を加えながら共感をすることで恋の幻想を持続させることが可能であった。つまりまだ相手に共感するよう自分に騙しが効くほど若いのであった。

 しかし映画では至る所に共感のズレは顔を見せる。大人たちはそれらを悪い顔してカウンター片手に数えるのもいいだろう。
 中でも二人の致命的な共感のズレは恋愛観だ。
絹はお互いの名前のタトゥーを入れた先輩カップルを「別れたらどうするんだろう」と気にする。

“恋はいつかは終わるパーティのようなもの”

恋愛系のブログの愛読者であった絹のモノローグの言葉だ。絹は恋愛がいつか終わる儚いものだとどこかで気がついている。

 対して麦は絹とずっといることを願い、内定が決まったことで、「これからも絹ちゃんとずぅーといられるね!」と喜ぶ。
その言葉に返事をしない絹。
このシーンで二人の恋愛観は決定的に違っていることがわかってしまう。
変な汗出た。

 結局のところ麦と絹は5年付き合い、別れる。
この別れはお互いに就職し社会に出たことで、成長し自己が確立されたために相手への共感に対して自分への騙しが効かなくなったのではないか。そしてその変化にお互いが気付き、それを受け入れることが別れるという決断になった。
そんな前向きな別れ、ポジティブ破局なのである。異論は認める。

 なんでこんな恋愛達人のような冷静な解説をしているかというと、それは防衛本能からだ。そう、感情で受け止めてしまうと心が死んじゃうからだ。映画で死にたいか?オレは死にたくない。絶えず映画を俯瞰することで自分の想い出を映画に重ねたら死ぬということに本能が警告を発しているのだ。

 とはいえ、映画は“いつもの”ファミレスで麦と絹が別れの会話中に初々しい男女の会話を差し込んでくる。相手への共感に無理なく寄せることができていた二人のパーティーの始まりを、よりによってかつて麦と絹がいた“いつもの席”で初々しい男女に完コピさせたのだ。
この期に及んで殺す気か?
劇中の麦と絹だけでなく、もはや他者とのシンクロ率100%なんて不可能な領域まできてしまった観客までもを爆殺半径に捉える恐ろしいまでの殺意がこの映画には仕込まれていたのだ。
オレに恨みでもあるのか?

こうなりゃ自爆するまで。

 僕は20代に映画が好きであった女性と6年付き合っていた。もちろん同じ趣味で意気投合したわけだ。キッカケは地元の市内が花火大会真っ最中の中で、映画『パーフェクトストーム』を同じ映画館で同じ時間に見ていたからだった。

 6年付き合うとチラつくのは結婚という2文字なのだが、僕はそのたった二文字の“結婚”という単語が恐ろしく長く、そして二文字目の先まで見通しのよい単語に感じてしまった。自分が結婚した後を想像し、自分の将来が見えてしまったような気がして自分の中で何かが急激に冷めていったのだ(だれか止めてくれ)。

 だからこそ、映画の最後「別れずに結婚しよう。子供をと4人で幸せ暮らそう」という麦の言葉に、絹は別れる決心から心を動かさなかったのではないかと思う。

絹の気持ち、俺はわかる!

ということで我に帰ろう。

 この映画で致死率が特に高いのは読書家だろう。映画では今村夏子に始まり、いしいしんじから舞城王太郎までの絶妙なラインナップ、そして書肆侃侃房という、これまた絶妙に通な出版社の文芸ムック『たべるのがおそい』を持ち出してくる匙加減は、同じ出版社であるリトルモアが制作と配給に関わってるということで納得だ。自分と同じ読書歴、偏愛を持つ人と出会うことは奇跡に近い。読書家は即死するんじゃないだろうか。また映画や観劇、アートを浴びることに幸せを感じていて、なおかつ恋の終わりを知っている人は、すでに青春の光が自分から消え去ってることを白目を剥いて受け入れろ。

 そして『花束みたいな恋をした』の最も恐ろしいところは、同じく映画が好きだった元カノも絶対この映画を見ていて、僕と20代を共に過ごしたことを考えていると思わざるを得ないということなんだよ!(爆死)

「東京ラブストーリー」「最高の離婚」「カルテット」など数々のヒットドラマを手がけてきた坂元裕二のオリジナル脚本を菅田将暉と有村架純の主演で映画化。坂元脚本のドラマ「カルテット」の演出も手がけた、「罪の声」「映画 ビリギャル」の土井裕泰監督のメガホンにより、偶然な出会いからはじまった恋の5年間の行方が描かれる。東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った大学生の山音麦と八谷絹。好きな音楽や映画がほとんど同じだったことから、恋に落ちた麦と絹は、大学卒業後フリーターをしながら同棲をスタートさせる。日常でどんなことが起こっても、日々の現状維持を目標に2人は就職活動を続けるが……。

劇場公開日 2021年1月29日
2021年製作/124分/G/日本
配給:東京テアトル、リトルモア


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