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見栄だの贅沢だのセックスが経済を回すと言ったヴェルナー・ゾンバルトの恋愛資本主義からはもっとも遠いところにある映画/【ネタバレ】『弥生、三月 君を愛した30年』

運命で結ばれた二人の30年を3月だけで紡ぐ感動のラブストーリーです!

ケッ、恋だの愛だのに運命って言葉を持ち出すやつは本気で人を愛したことがないだけなんだぜ。背中が煤けてんるんじゃねえの?(やさぐれ)

ということで主人公二人の30年間を3月の1ヶ月で描くという意欲作。
この映画の構成はちょっとクセがあるのでちょびっと説明しますと、1986年から物語はスタート。弥生(波瑠)と太郎(成田凌)、そしてさくら(杉咲花)の友人三人の高校生時代から始まります。これが3月1日。そして1日ごとに彼らが辿る30年の人生を1日ずつ3月の31日間で描いていくというもの。日を追うごとに年を重ねていくのではなく、時系列は進んだり戻ったりするのがミソ。翌日に切り替わる時は画面がハラハラ・・・と日めくりカレンダーが落ちていくような演出。これはけっこうダサい。
といったチャレンジしている映画ではあります。
10代の夢と希望と活力に満ち溢れた(いいなぁ)頃から、結婚、仕事、と現実にぶつかり、悩み、絶望し、抗っていく人生を「親の介護か・・・」とかリアルに身につまされたりしながら見ていく100分。100分なんですよ。短い。そのため映画が人生のダイジェスト版みたいになってしまっているのは構成上致し方ない。しかしこの映画は高校時代に好きだった人を大人になっても思い続けるという難病であり日本の中年の8割が罹患している(俺調べ)といわれる「高校ノスタルジー症候群」に冒されている人にとっては心の臓をイーグルキャッチ(鷲掴み)され『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』のようにキュウッと握り潰されること必死!いや必至!
しかしアレですよ、恋愛の思い出は「男は名前を付けて保存、女は上書き保存」とよく言われるじゃないですか。けどそうじゃないんですよこの映画の男女は。なにが上書き保存ですか。なにがゴミ箱へですか。お互いに心のどこかに相手を思い続けているわけですよ。そしてお互いの人生が時に離れ、時に近づくとも結ばれない。
「人生ってのはつくづくタイミングなんだよなぁ」とおっさんになった成田凌が呟くんですよ。そう、ほんとタイミングなんですよねぇ(遠い目)。
 見栄だの贅沢だのセックスが経済を回すと言ったヴェルナー・ゾンバルトの恋愛資本主義みたいな映画からはもっとも遠いところにある映画ではあるので好感がもてますね(ニッコリ)。

 
ただ、それなりにツッコミどころは満載な映画ではあります。
たとえば高校時代の杉咲花が『いだてん』に続いてまたあっけなく死んじゃう(予告編の通り)のは86年という時代からとってつけたような非加熱製剤が原因の薬害エイズ事件とかを結びつけて(イジメあり)花ちゃんを殺しちゃうし、3月ということであきらかに震災を入れる魂胆が丸見えだったりと時代における事件事故が物語の単なる道具になっちゃってるのは人生ダイジェスト版としてはいかがかなものか。また教師を辞めて落ちぶれた弥生が本屋でレジのバイトを始め、笑顔もなく「いらっしゃいませ。カバーはおかけしますか?」とやる気のない接客。表示価格を目視して「580円でございます」。いやレジ打って!バーコードをピッってやって!教師辞めて失意の仕事が書店レジとか舐めんなよ!(元書店員の叫び)
 そして、お年を召した頃の弥生を探して太郎が高田馬場に到着してその辺の商店のおっさんに「弥生をしりませんか?」と尋ねる。高田馬場だからって一応そこは東京都ですよ。そして偶然見つけた古書店に入り「弥生知りませんか?本が好きなのでここによく来ているかもしれないんですが」とか聞かれても情報不足でせめて弥生の写真くらい見せてあげて!と思ったら嘘のようなタイミングで(人生タイミングってこのこと?)その古書店に弥生が来店。書棚を挟んで向かい合う二人はお互い気付かない。太郎はふと弥生が好きだったヘレン・ケラーのサリヴァン先生が書いた『奇跡の人』を見つけ棚から抜き出した。すると本の隙間のその奥には弥生がいてバッチリ目と目が合っちゃうのであった。
あるかそんなこと!
タイミングがよくすぎてもあるわけないわ!
高田馬場だってないわ!
しかも書棚は普通背板があって反対側は見えないはずだろうがよう!
逃げる弥生、追う太郎。ビル1階の吹き抜けのロビーで立ち止まる二人、すると館内BGMが坂本九の「見上げてごらん夜の星を」が流れ立ち止まる二人。そう、死んださくらが高校の時好きだった曲だ(86年時高校生で坂本九って渋すぎないか?「ギザギザハートの子守唄」とかじゃないのか?)。いまどき流れるのか坂本九の歌がビルで!もしかして高田馬場では流れるのか?
 とまあ、この他にもさくらの墓がポツンと寂しげなとこにあったり、太郎が墓参りしてたら弥生が現れて太郎が隠れたり、またその逆だったり、隠れ方が隙だらけでワザと気付かないフリしている演出かと思ったらどうやら本気で気付かないようだったしタイミングの話どうした?
などなどツッコミどころが結構あるのです。

大人の男女の将来と現実、互いのリアルな距離感を描いたのは『ラ・ラ・ランド』が記憶に新しいのですが、実は『弥生、三月』もその影響下にあるのではないだろうかと思えてくるのです(ラストシーンとか)
まあ、『ヲタ恋』が料理の写真だけみて味も分からず作った『ラ・ラ・ランド』だとしたら『弥生、三月』は味は知ってるけどレシピがわからない『ラ・ラ・ランド』というところかな(ヘタな喩え)。
また二人に愛のライバルが現れては物語の都合で退場するの繰り返しに「ダイジェストなら仕方がない」と自分を納得させつつ楽しみたいところ。

と色々言ってしまいましたが弥生と太郎の主人公二人の関係に興味が持続するので映画としては狙い通りじゃないでしょうか。
願わくば長年思い続けてるもののお互いがさくらに遠慮し、また友人以上に踏み出せないままのン十年越しのキスとかベッドシーンとかが結構あっさりしていてここはもっとカタルシスが欲しかったところです。だからこそあのラストシーンは下手だなぁと。もっとこれまでの想いを爆発させにゃ!

それでもオリジナル脚本でチャレンジングな構成だし頑張ったと思うし僕は評価したいですね(下げては上げるの繰り返し)

 キャストでは弥生役の波瑠がいいですねぇ。叱ってくれる女性大好きです。太郎の前妻との息子の前に落ちぶれた太郎を引っ張っていって小学生のサッカーボールを分捕って「はいパスして!」と父と息子にパス練させる弥生姐さん鬼の所業でゾクゾクしました。

中年にとっては自分の人生振りかえって恋愛を30日で語れるのか?と自問してしまう映画ですが、そう考えると僕の人生ダイジェスト版にすらならねえな。ショートフィルムくらいかな…。

いやいやまだまだこれから、運命の人と恋愛してみたいですね!

ドラマ「家政婦のミタ」「女王の教室」など数多くのヒットドラマを手がけた脚本家・遊川和彦のオリジナル脚本による第2回監督作品。波瑠と成田凌演じる2人の男女の出会いからの30年間を3月の出来事だけで紡いでいく恋愛ドラマ。1986年3月1日、運命的な出会いを果たした弥生と太郎は、互いに惹かれ合いながらも、親友であるサクラを病気で亡くしたことから思いを伝えることができずにいた。2人は、それぞれ結婚し、家庭を持ち、別々の人生を歩んでいった。しかし、離婚や災害、配偶者の死など、厳しい現実を前に子どもの頃から抱いていた夢の数々はもろくも絶たれてしまう。人生のどん底を味わう中、30年の時を超えて、今は亡き友人サクラからのメッセージが届く。弥生役を波瑠、太郎役を成田が演じるほか、杉咲花が親友のサクラに扮した。
公開日:2020年3月20日
2020年製作/110分/G/日本
配給:東宝



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