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人の想いで循環する暮らし

「”循環”できている」と思うと心地よさを感じる。

先日、友人の畑で農業体験をさせてもらいたくさん野菜をいただいた。
代わりに友人には母が知人からいただいたという季節のフルーツを
お礼にと渡したところとても喜んでいただいた。

いただいた野菜は我が家でも食べきれないくらいあるので
ご近所さんにもおすそ分けをした。
そしてそのご近所さんからは季節のフルーツをおすそ分けしていただき、
子どもたちも喜んでいた。

こうやって日々の暮らしのなかで友人や近所の人と旬の食べ物を巡らせていく、金銭の発生しないやりとりが心地よく、純粋に素晴らしいことだと思えた。

今は何でもお金を出せば直ぐに手に入り、新品も中古もあらゆるサイトで
売買することができてとても便利である。
一方でその人のご厚意で直接いただくこと、それも季節物というのは
お金では買えない体験で、わたしの生活の中ではいまそれはとても価値があることだと思っている。

畑を持っている友人は、それこそ私はお金を出してでも体験したい
と思えるようなもの(コンテンツ)を沢山保有しているし、
副業にしようと思えばそれなりに稼げるんじゃないかと
本当に勝手ながら私は思っているのだけれど、
それをいつも冗談交じりで提案しても「お金は要らない」と言う。

わたしがお金に固執しているみたいでなんだか恥ずかしくなってしまったけど、無償で他人に素晴らしい体験をさせてくれる友人がとてもすごい人に思えるし、そしてそのご厚意によってわたしも周りもみんながハッピーになっていくって今まで考えたことのない気づきになった。

お金ではなく人の気持ちで循環していくもの
これが今の自分の価値観なんだと気づく機会になった。