TOWER of End

0.あとがきのような前書き

この文章には、決別の意味がある。
ラーメンズのコントについて、真剣に考えて書くのは、おそらくこれが最後になるだろう。だってもう、新作もないだろうし。

『TOWER』について、考えたのは何度もある。
だけれど、考えて出した結論にはいつもどこか若干の気遣いがあった。
目の前の読者を悲しませたいと思って書くわけではないから、なるべく読んだ人が少しでも、気休めでも、ハッピーな気持ちになってほしい、と考えていた。ただし、この文章では、そうした迎合は一切ない、ということをあらかじめお断りしておこう。

『TOWER』。2009年の4月から約4ヶ月間に渡って上演されたこの公演は、後にラーメンズが解散を発表したため、事実上、ラーメンズの最終公演となった。
実際のところ、作者、演者が当時、『TOWER』を最終公演に定めていたかどうかは、筆者にはわからない。しかし、事実として最終公演となった。
その意味を含めて、考えていこうと思う。


1.舞台、演劇における「上手」と「下手」

舞台を見る際に重要なのが、「上手」と「下手」と呼ばれる概念である。馴染みのない人もいると思うので、確認しておこう。
「上手」は「じょうず」ではなく、「カミテ」と読む。観客からみて、右手方向のことを指す。反対に、「下手(シモテ)」は、観客からみて左方向のことを指す。
演者からすれば、「上手」は左側となり、「下手」が右側となる。ただ、基本的にこの論考で「右」と呼ぶ際にはそれは「観客から視点」と思ってもらってかまわない。
さて、なぜこの二つの概念を説明するのか。それは、舞台や演劇において重要であると同時に、『TOWER』という公演にも大きく関わっているからである。

まずは、「上手/下手」が単なる場所の提示だけにすぎない、ということを説明する必要がある。というよりも、演劇においては、その「上手/下手」という「場所」が象徴的な意味を持っている。
どういうことか。
基本的に、上手にはその字のごとく、立場が上の人間、偉い人がいることが多い。それに対して下手には、立場が下の人間がいることが多くある。
また、進行方向としても下手から上手に流れることが多い。これは、我々が文字を読む際を考えればわかりやすい。横書きされた文章では、左から右に読む。つまり、左は過去にあたり右は未来にあたる、と言ってもよい。過去に向かう際などには、逆転の発想として、上手から下手へと向かう、というような演出もありうる。

こうした前提を踏まえて、『TOWER』の一連のコントを見ていこう。

2.「上手/下手」の観点から見る『TOWER』のコント

2-1.「上手/下手」の観点から見る「タワーズ1」

「タワーズ1」は、『TOWER』における冒頭のコントである。
内容としては、謎の指示に従って二人が箱を用いて形を作っていく、というものだ。

では、まずは最初の立ち位置に注目しよう。小林賢太郎(以下小林)が上手に、片桐仁(以下片桐、いずれも敬称略)が下手にいる。身長からいっても、小林のほうが幾分高い。
コントの内容を見て行くと、先に片桐が乗っている箱に行くのは小林であり、また小林の箱には片桐はなかなか行かせてもらえない。また、どこかを指差して箱を奪う小林に対して、片桐はなんとか箱を戻すことに成功するが、なかなか小林の箱を奪うには至らない。小林の分であった箱を奪うことができた、と思ったら予想外の展開に片桐は驚いてしまう。

さらには、天からの指示のような声に対しても、小林ばかりが正解を答えて行くなかで、片桐は一向に正解を出すことができない。
このように、明らかに小林=上手にいる者が優位に物事を進めていることがわかる。「タワーズ1」において、この立ち位置はほとんど固定されている。ほとんど、というのは「イリュージョン」という指示の後、入れ替わるからである。この点については、後に触れるためここでは割愛する。
なお、その後、「だんだんだんだん」という指示のもとでは再度入れ替わり、小林が上手に行き、そして正解を導き出し、このコントは小林が上手にいるまま幕を閉じる。


2-2.「上手/下手」の観点から見る「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」

続く2本目のコントは、そのタイトルが下手(左)から上手(右)へと流れている。最初、シャンパンタワーは下手側にいる小林が持っている。そして、あやとりは上手側にいる片桐が持っている。つまり、観客席の側から見たときにまさしく、「シャンパンタワーとロールケーキ」の構図になっている。
そして、コントが進み片桐が小林にあやとりを教える。この時も同様に、片桐が上手、小林が下手にいる。これは、教える側が上手に、そして教わる側が下手に、という立場をあらわしていると言えるだろう。
そして、ロールケーキが上手から登場する。ここでも、あやとりはロールケーキよりも下手に、すなわち「あやとりとロールケーキ」を表すように考えられている。


2-3.「上手/下手」の観点から見る「名は体を表す」と「ハイウェスト」

このコントでは、最初小林が下手、片桐が上手にいる。しかし、一見すると「名は体を表す」とはどういうことかを説明するのは小林であり、それに対して上手く例を挙げることができないのは片桐の方のように思われる。その点だけで考えれば、小林が上手に、片桐が下手にいるべきではないか、と考えることもできるだろう。
しかし、このコントは、「壁」や、「マシュマロ」と「煎餅」といった言葉の印象がポイントとなっているわけではない。むしろ、「クリムゾンメサイヤ」や「カマンチョメンガー」、「セバルコス」のような、「片桐の頭のなかにしか存在しない」ものたちこそが、重要なのである。それは「気のすむまでやれ」という、小林のセリフからも表れている。つまり、このコントの、「主役」は常に片桐であるがゆえに、片桐が常に上手に、小林が下手にいるということになる。そして、片桐を先頭にして「カマンチョメンガー」に乗り、→の方向へ、すなわち未来へと向かって移動する。
なお、最後に「カマンチョメンガー」が登場し、「バズーカ」の語源に触れるシーンにおいては片桐が下手に、小林が上手にいるが、これは「〜ってさ、〜って感じしない?」という提示の役割をする者がこれまで下手にいたために、その役割すらも転換した、と理解することができるだろう。

続くコント、「ハイウェスト」では基本的に片桐が真ん中に立っているため、この観点から論じられることは少ない。あえて「上手/下手」という観点から取り上げるのであれば、「第4問」の、「どちらが本物のハイウェストであるか、お考えください」の部分である。ここでは上手側に移動した片桐が、「本物のハイウェスト」であることを、その位置からも示す。それは「第9問」でも同様である。ただし、「ハイウェストによるハイリスク」後に入れ替わる。そして、「本物のハイウェスト」が倒される。すなわち、この場面においてのみ、「偽物のハイウェスト」が一時的に主役になる、と捉えることもできるだろう。

2-4.「上手/下手」の観点から見る「やめさせないと」と「五重塔」

「やめさせないと」は、公演全体を通してもキーになるコントである。このことについては、後で述べる。
さて、それでは「やめさせないと」の最初の立ち位置はどうかというと、小林が下手、片桐(つるちゃん)が上手にいる。彼らの関係性を考えればそれは納得できる。すなわち、充実している「つるちゃん」が上手に、そして現状維持に努める人間が下手にいる。さらには、コント終盤で小林が演じる役は、「負の奇跡」、「二軍」、「負け組」であることを認める。そうしたことからも、小林が演じる役が、「つるちゃん」と対峙している時は必然的に、小林側が下手に、片桐側が上手にまわるということになる。
また、つるちゃんの進行方向は、これから向かうという意味からも、下手から上手へ、という構造になっている。そして、ラストシーンではスターバックスで買い物ができるようになった、という「進歩」を意味することもあって、小林は上手にて注文を終える(そのために、スターバックスの注文口は上手に設定されている)。

次のコント、「五重塔」において登場人物の五重塔は基本的に下手にいる。これは、まず由緒がないということ、すなわち「偉い立場にはない」ということを示す。さらには、「古からっぽい」ということで、時間軸として過去を指す意味でも、下手にある、と考えることができるだろう。
最終的にはおそらくは「五重塔」よりも新しいと考えられる京都タワーのもとへ、下手から上手(→)に向かう。これは先にも述べたように、未来を表してもいる。

2-5.「上手/下手」の観点から見る「タワーズ2」

最後に、「タワーズ2」を「上手/下手」という観点から見てみよう。
このコントでは最初、片桐が上手に、小林が下手にいる。これはあやとりをしているためであると思われる。「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」では、片桐があやとりを教えるシーンでは上手にいた。そうした設定を引き継いでいると考えることができるだろう。
続く、「凱旋門」のお題では片桐が下手にいく。これは、前のコント、「五重塔」で片桐が下手にいたのと関係していると思われる。そして、「カマンチョメンガー」では片桐が上手にいる。ここで、「タワーズ1」において、片桐が例外的に、「イリュージョン」というお題の後、すなわち「カマンチョメンガー」や「セバルコス」というお題が出され小林が「パス」と言った際に、片桐が上手にいることも説明がつく。「やめさせないと」で見たように、こうしたお題は片桐の側に優位性があるためである。

そして、「だんだんだんだん」では演奏ができる小林が上手に移動する。このように、テーマや状況に合わせて、上手と下手を移動していることがわかる。

「タワーズ2」の終盤では、下手から上手に、階段を登るようにしながら、エンドロールのようにこれまでの登場人物が登り進んで行く。しかし、ラストシーンでは下手において片桐が音を掴み、小林がそれを見ながら両者ともに下手にいるままに終演を迎える。

ここまでかなり丁寧に『TOWER』における「上手/下手」に関する問題を見てきた。この公演では、おそらくかなり意識的に「上手/下手」の役割や意味が効果的になるように演出されていると考えられる。細かな役割転換でさえ、きっちりと位置が入れ替わっていることがわかる。
しかし、そうであるとするならば、ある違和感を抱かないだろうか。
それは、舞台上において、「タワー」が常に下手にある、ということである。

3.下手の「タワー」

今一度、確認しよう。上手は観客から見て右側、下手は観客から見て左側にあたる。そして上手には立場などが「上」、あるいは時間軸としては「未来」に相当するものが、反対に下手には立場などが「下」なものが、時間軸としては「過去」に相当するようなものが配置されることが多い。

では、「タワー」はどうか。つまり、「タワー」や「塔」は物理的に高い、すなわち「上」に相当するものではないのか。事実、「タワーズ2」を見れば、階段は下手から上手方向(→)へ上がっている。そのようにして考えれば、上手が高く、下手が低いものを置くように設計すると考えることができるだろう。

しかし、その一方で、「五重塔」では塔が下手にある。過去のもの、というこじつけを一旦はしたものの、これには違和感がある。また、「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」においても、シャンパンタワーは下手側に持っていかれる(そして割れる)。また、上部に位置すると考えられるくす玉も下手側だ。これは、パーティ会場と思われる場所を下手側に設定したからではあるが、なぜ下手側に設定したのかという疑問は残るだろう。
さらには、「タワーズ2」において出されるお題、「ピサの斜塔」も下手側に位置している。くわえて、「凱旋門」のお題でも、その背後にあるエッフェル塔と思われるシンボルも下手側に位置する。どこに視点をおいて凱旋門を見るかにもよるが、凱旋門より高いエッフェル塔は上手にあってもおかしくはない。

このように、『TOWER』において「タワー(塔)」は、あそこまで上手と下手を考えているにも関わらず、徹底して下手に位置しているのである。
そして、決定的なのが「やめさせないと」である。


4.公演『TOWER』とコント「やめさせないと」における「タワー」

結論から言おう。コント、「やめさせないと」において最も重要なタワーは、そしてシンボルはまぎれもなく「東京タワー」である。
このコントを見た方からしてみれば、何を当たり前のことを、と思うかもしれない。タワーマニアの二人は東京タワーの見える部屋に住み、なによりも東京タワーを愛している。
しかし、それだけではない。

「やめさせないと」のラストシーンにおいて、小林は「赤いランプの下で待っているから」というセリフを残す。これはスターバックスのキャラメルマキアートを待っているかのように思える。その一方で、象徴的に考えるのならば、赤いランプの下は「東京タワー」の下で、ほかでもない「つるちゃん」を待っている、と考えることもできるのではないだろうか。そして、その際、その赤いランプの下は紛れもなく「下手」にある。

タワーマニアの二人による東京タワーという提示によって、この公演において東京タワーはもっとも重要なシンボルになっている。公演名が『TOWER』であることからも、「タワー」の存在は大きい。そのなかでも、最も象徴的なものとして扱われているのは東京タワーにほかならない。
しかし、である。東京タワーは「やめさせないと」にしか登場しない。
…本当に?


5.東京タワーである必要性

さあ、もう一度確認しよう。筆者は、公演『TOWER』において最も重要なタワーは東京タワーである、とした。その理由は、タワーマニアの二人が登場する「やめさせないと」において、最もシンボリックなものとして登場するからである。
『TOWER』という公演においては、タワーマニアの二人が登場する「やめさせないと」以外にも、タワー(塔)に関する言及はある。「シャンパンタワー」や「五重塔」がその例だ。しかしそのなかでも、東京タワーが最も重要であると筆者が考える理由を提示しよう。
ところで、これを読んでいる方々は、「タワー」から何を連想するだろうか。「東京タワー」?

『TOWER』は、2009年の4月から、同年6月まで上演されていた。
そして東京タワーは2009年まで、日本で最も高いタワーとして君臨していた。そう、2009年まで。
2010年には、東京タワーは日本で「2番目に」高いタワーになる。東京スカイツリーの出現によって。
いや、この言い方は正確ではない。東京スカイツリーが着工されたのは、2008年である。そして、2010年に、東京タワーの高さを抜いたのである。

いずれにしても、2009年においては、東京タワーこそが日本で最も高いタワーであった。しかし、だとしたら、やはり、なぜ、その東京タワーの「象徴」とも捉えることができる赤いランプが「下手」にあるのか。それは、「過去」になるから、である。
東京スカイツリーは、突如として出現したわけではない。2009年よりも前に建てられることは決定しており、そして当然ながら東京タワーの高さを超えることも決まっていた。
だから、東京タワーを暗示した赤いランプもまた過去に「なりえる」がゆえに、高いとしても下手に位置した、と考えることができるだろう。

しかし、である。それでは『TOWER』に登場するすべての塔が下手に位置する理由にはならない。
もう一つの重要な塔、「五重塔」を見てみよう。
五重塔もまた下手に位置する。それは、すでに述べたようにあえて下手に配置することによって、権威がないことを示しているからである。また、同時に、五重塔は「過去」を象徴している。
その「五重塔」は一般的に考えれば仏塔である。仏塔とは、端的に言えば釈迦の墓である。そう、あれは、墓なのである。由緒などがないにしても、その見た目は紛れもなく墓。形骸化した墓。「過去のシンボル」としての五重塔。ゆえに、それは過去であり、だからこその下手。


6.「ハイウェスト」問題

もう一つ、公演『TOWER』には浮いているコントがある。それは、「ハイウェスト」。
『TOWER』における他のコントでは、そのほとんどが塔に関連するものか、もしくは「タワーズ2」で伏線が回収されるようにして作られている。
「シャンパンタワー」や、「五重塔」ではタワー(=塔)そのものがタイトルに入っており、また「やめさせないと」では「タワーマニア」の二人が登場する。一方で、「名は体を表す」では「タワーズ1」において「パス」されるお題、「カマンチョメンガー」や「セバルコス」といったものが何かを提示し、「タワーズ2」において解決する。
では、「ハイウェスト」はどうか。そこには塔の存在はない。また、「タワーズ2」で階段を上がる際にハイウェスト(よしっちょ)らしき者が登場はするものの、それ以外には公演全体に対して効いていないように見える。
このように、「ハイウェスト」では一見すると、「タワー」とは関係がないように思える。このコントでは、「ハイウェスト」をひたすらに連呼する。「ハイウェスト」は、何の気なしに考えればその服装のことを意味する「High-waist」を連想する。
しかし、これが、「High-WEST」だとしたら、どうだろう。すなわち、「高い西」。
一般的に、上手と下手では上手が東に値する。これは伝統的な舞台に由来する、ということもあるが、日本地図を思い浮かべても同様である。我々から見た右側が東、という共通認識がある程度できているだろう。

地理の話をしよう。
東京タワーは、東京都の港区にある。そして、東京スカイツリーは東京都墨田区に位置する。つまり、東京タワーは、東京スカイツリーの西にある。スカイツリーは、東京タワーの東にある。
そして、舞台上においては、下手が西、上手が東に相当する。下手は本来低く、上手は高い。
そこで、「High-WEST」、すなわち「西が高い」という提示をしているとは考えられないだろうか。"2009年の時点では"、西にある東京タワーが最も高い、と。

そして、「ハイウェスト」と呼ばれていた人物は、最後「よしっちょ」になる。つまり、「ハイウェスト」ではなくなる。そう、「High-WEST」ではなくなるのだ。東京スカイツリーが抜きん出るがゆえに。


7.「TOWER」の意味——過去になる『TOWER』

「TOWER」の意味を、最後に考えてみよう。「TOWER」は、「塔」という意味である。動詞にすれば「上がる」、「届く」、「抜きん出ている」というような意味にもなる。フロイトに言わせたら、塔は男性器の象徴、などとするのかもしれない。確かに、『TOWER』においてはたびたび、ホモセクシャルを匂わせる。「五重塔」はおそらく男性で、京都タワーを男と知り喜ぶ。また、「やめさせないと」でもその関係はホモソーシャルではあるものの、見る人によってはホモセクシャルにうつるかもしれない。そのような観点から、「ハイウェスト」を考えれば、まるで「皮被りの」ように捉えることも可能ではあろうだろう。

いずれにしても、塔は象徴的存在である。高い建物、ということで街を象徴する。また、記念碑としての意味もある。だから、この公演は「気のすむまで」、「ハイビジョンで残して」もらう必要性があった。記念碑とするために。

ところで『TOWER』は戯曲集等において読めるかたちで販売がされていない。つまり、文字として「固定化」がされていない。ゆえに、この文章でも、セリフ等を用いる際は本からの引用ではなく、「聞こえたように」書いている。
記念碑であるにも関わらず、固定化はされていない。いや、過去という過ぎ去ったものにするためには、流れていく必要があるからこそ、固定化を避けたのかもしれない。映像や音は、流れる。文字は、そこにとどまる。そこにとどまらないために、固定されるような文字化を避けて、流れ行く「映像作品」のみを残した、とも考えることは可能ではある。いや、むしろ、固定化した象徴から未来へ逃れるためなのかもしれない。

また、「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」では、くす玉を「しっかり作りすぎた」がゆえに「紐だけとれ」る。ということは、高いところに、くす玉の紐は紐がなくなった状態で未だに存在している。下手にあるものは、過去に作ってきたものは、「しっかりと作りすぎた」がゆえに、上部に位置したまま残っている。記念碑のようにして。

宗教的な意味においても塔は重要である。その多くはある種の「墓」としての意味がある。だからこそ五重塔は下手に位置する。こうして考えれば、「塔」そのものが権威的な象徴であると同時に、「過去」に属するものであると理解できるだろう。過去に相当する下手は、冒険してきた過去。しかしその方向は「だめだ、こっちは行き止まりだ」。「やめさせないと」では下手に向かって、「俺たちはこれから変わるんだ」と言われる。

また、「塔」はタロットカードにも存在する。その意味は、「破綻」、「破壊」。そして、シャンパンタワーはおそらく、下手で崩落し、割れた。

「タワーズ1」、「タワーズ2」において小林はピアノを弾く。下手を向いて。ピアノのコンサートに行ったことのある人ならば、ここにも違和感を覚えるかもしれない。そう、ピアノは本来、上手を向いているからである。ただし、多くの場合、コンサートで演奏されるピアノはグランドピアノである。そしてグランドピアノは、音の響きを考慮すると上手側を向いた方がよい、とされている。対して、おそらく小林が演奏しているピアノはアップライトであるため、こうした配慮は対象外になる、と考えることもできるだろう。しかし、それにしても、音楽家の知人がいて、なおかつここまで狡猾に上手と下手がされるなかで、こうしたクラシック音楽の常識を「知らなかった」とは考えにくい。で、あるのならば、ピアノがアップライトであることも、そして演奏者が下手を向くことも、おそらくは織り込み済みの演出として考えるのが妥当であろう。

どういうことか。

公演『TOWER』に登場するタワーは、すべて西(=High WEST)に、位置する。それらの塔はいずれも「過去」を象徴する。小林はTOWERという成し遂げてきた象徴に向けて、過去に向けて、演奏をする。小林は赤いランプの下で待っていない。過去で待っているわけではない。このセリフをいう小林はまぎれもなく、上手に、未来にいる。そして二人は下手でこの公演を捕まえ、離し、終える。役割を終えた象徴的な日本電波塔のようにして。形骸化した塔としてのTOWER。タワーは、その実用的な役割を失って、また一番高いという座をツリーへと譲り記念碑となった。過去になった。ゆえに、タワーは常に下手に位置する。その座を奪ったツリーも、未来において切り倒される。










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