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第249段「稼ぐことの意味」

このワタナベアニさんの投稿、いろいろ考えさせられる。

「それは企業の論理としてはまったく間違っていないし、アクセスを増やしたりスケールを大きくすることはビジネスとして大事なことだろう。でも、それまでは確実に存在していた「ヒューマニズム」が薄れていったと感じた瞬間が何度かある。」

テレビとか出版も含めて僕も同様なことを感じてる。
テレビや出版でいうと、例えば土地持ってるとか本業とは違う別収入がある企業の方が、文化をある意味ヒューマニズムで行える傾向があったりもする。文化の行為の方は稼ぐの二の次でいいや的な。(これがいいことだとも思ってないけど)
古来、王侯貴族のサロンで文化が育まれたように、もしかしたら“心ある”お金持ちの道楽or心意気として、“文化を育む”ってことしか解決策が無いのかなとかも思う。(これもいいことだとも思ってないけど)

少なくとも今“企業が稼ぐ”=資本主義、ってのの転換点があらゆる分野で来てる、ネットの登場でそれがどんどん加速してるのは間違いない。そしてこのコロナヴィールスでさらに加速するだろう。
“稼ぐ”ということの意味自体が変わる契機なのかも。
ネットで稼ぐという行為自体が、その過渡期の産物なのか。


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