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第134段「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」

「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」
ー村上春樹「1Q84」より

これ、説明するたびに思い、その度に途方にくれる。つまり説明なんかしなきゃいいんだ、途方に暮れないためには。

まあ、いいテレビマンも失礼なテレビマンもいるし、すごい広告マンもダメな広告マンもいるし、親切なタクシー運転手さんも粗雑なタクシー運転手さんもいるし、ネットに詳しいネット会社もネットに暗いネット会社もあったりするし、時と場合で態度が違う人も、常日頃からいつもダメな人もいる。

会話してると、文化を産み出すためにお金を儲けようとしている人と、お金を儲けるために文化を使おうとしてる人の違いがよくわかるなあ。
一見両者とも文化の担い手なんだけど、僕は前者とは組するけど後者とは距離を置きたい。前者の人は文化を大切にするけど、後者の人は文化を粗雑に扱うから。

人は自分がわかってることを他人に指摘されるのはものすごく嫌なのだ。
そんなことわかってるよ!って思うし、
そんなこともわかってない奴と思われてるのか、と思うし、
二重にバカにされてると感じる。
その指摘でものすごく不機嫌になる。
てことはそんな指摘を他人にしてしまうことがバカなのだ。
そんなことは日々の生活や社会の中にはぽんぽん転がってるのはわかっているけどさ、、、人のやる気を削いどいて、がんばれ!なんてよく言ったもんだ。
落とし込んどいて、励ますとか。
叱咤激励って、ならいちいち叱咤しなくてもいいのに。

意味について考える。
ほとんどのモノコトには何かしら意味があるのかもしれないし実はほとんど意味など無いのかもしれない。
必然か偶然か。
意味のないことやりたくないけど、意味がありすぎるのも窮屈だ。
他人にいちいち意味を問うのは面倒だし、他人からいちいち意味を問われるのはもっと煩わしい。

そんな風に、自己を啓発もできてないのに自己啓発本の類を書いてるのなんなんだろう?と自問自答する。
多分著者というのは自分の想いや存在を認めて欲しくて自己啓発本を書いてて、それで他者を自己啓発したいんじゃなくてそれを読んでもらって自己を自己啓発したいんだけなんじゃ無いだろうか?いい悪い置いといて。

他人になにかを求めても、それはなかなか叶わないから。
自分のことは自分でやろう。
自分のできることを自分でやろう。

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