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『人生が変わるすごい「地理」』の「おわりに」

角田陽一郎の新刊『人生が変わるすごい「地理」』がKADOKAWAさんより発売されました。

読んでいただいたみなさんの評判もよく、とても嬉しいです。「おもしろくて、一気に読めた!」と多くの声を聞くので、とても嬉しいです!

人気構成作家の北本かつらさんが、こんな感想をツイートしてくださいました。↓

「おわりに」を褒めていただいたのが、とても嬉しかったので、ここに「おわりに」を掲載しちゃいます。もし、この「おわりに」を読んで、気に入っていただけたら、是非『人生が変わるすごい「地理」』お読みください!


『人生が変わるすごい「地理」』の「おわりに」

最後までお読みいただきありがとうございました。「地理思考」を、みなさんの人生にフィードバックしていただけたでしょうか?
最後に、僕の人生において「地理思考」が必要だと感じたきっかけを紹介します。
1つはAD(アシスタントディレクター)からディレクターに昇進する1996年、26歳のときです。 当時は『さんまのスーパーからくりTV』を担当していました。
テレビ局に入社して制作局に配属されると、まず各番組に所属してADという非常にハードな修業期間を過ごすことになります。僕も『からくりTV』のチーフADを務め、演出や、ロケのディレクターとしての仕事を学びました。通常、3〜4年の修業を経てディレクターに昇格します。僕もたくさんの苦労に耐えて、そろそろディレクターに昇進かな、なんて考えていました。ところが、番組のトップであるプロデューサーに言われた一言に度肝を抜かれました。
「お前はすでにディレクターになる実力があるし、センスもある。けれど、いま昇格させることは無理だ。なぜなら、お前の後輩が一人前に育っていない。だから、お前のチーフADのポストを受け継ぐ人材がいないんだ」
僕はこの言葉にとても承服できないと思いました。
自分の才能や努力が不足しているなら、納得します。でも、自分ではどうすることもできない環境との巡り合わせで未来が閉ざされるなんて、思ってもみませんでした。 「いったいどうやってディレクターになればいいんだ?」 「これからどういうモチベーションで働けばいいんだ?」
学生時代までの僕は、自分が頑張れば頑張った分だけ、確実に成果を享受できました。
できないことに直面したとき、冷静に問題点を把握し、最後は解決できたのです。これはある意味で、愚直な努力で報われてきた人生といえます。
社会人になっても、「努力は報われる」と信じて、ADという大変な修業をやり抜きました。でもその先に待っていたのは、自分の努力とは別の次元(=環境)から突き付けられた、「理不尽さ」だったのです。

......いま思うと、そんなことは誰の人生にもたくさんあります(読者のみなさんも経験されてますよね)。僕にとってこの出来事は、まさにそう気づく〝きっかけ〞でした。
その後、もう1年チーフADを続け、やがて新たな後輩が入ってきました。そして僕は入社4年目で、ようやくディレクターへ昇進したのです。
当時は、「1年出遅れた」と思い込み、歯噛みしたこともあります。しかし実際は、臥薪嘗胆の1年で、ディレクターの演出力や才能だけでなく、業界で働く者として一番大切な「力(=忍耐力)」を磨くことができたのです。
「身の回りの環境がもたらす不幸に、負けない」環境を受け入れたうえで、自分がどう生きるか? を考え実行する。そしてその行動によって、自分の特性や能力をさらに上のステージへと押し上げる。
......これが、おぼろげながら僕が「地理っぽい思考」を発想した瞬間でした。

2つ目は 2001年、31歳のときです。僕は新番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』のチーフディレクターを拝任しました。
僕は『さんまのスーパーからくりTV』も担当していたので、2つの大きな番組を掛け持つことになったのです。当然、番組ごとにスタッフルームがあるため、僕のデスクも2カ所に用意されました。
最初の頃はそれぞれのスタッフルームの距離が近かったので、どちらにも顔を出し、うまくバランスをとっていました。
ところがその後、社内のレイアウト変更をきっかけに、2つのスタッフルームが遠くに離れてしまったのです。これまでのように気軽に行き来することが少なくなり、結果的に『金スマ』のデスクのほうに多くいるようになりました。
すると徐々に『からくりTV』での仕事がなくなっていったのです。テレビ番組は、毎日のようにロケへ出かけ、出先でしょっちゅうハプニングが起こります。都度、素早い判断が求められるため、デスクにいるスタッフで話し合い、決断しなければならないのです。もちろん、僕はそこにはいません。
名目だけ在籍し続けてから半年後、苦楽をともにした『からくりTV』から僕は結果的に外れることになるのです。
このとき、僕は思いました。
「地理的に近い場所にいないと、人へのコミットメントや影響力は薄くなってしまう」と。
それと同時に、僕はパキスタンとバングラデシュにおける、2国間の成り立ちについて思い出しました。この2国は第二次世界大戦後、1947年に英領インド帝国から1つの国パキスタンとして独立します。ヒンドゥー教徒が多いインドを挟むようにして、イスラム教徒が多い東と西の地区が1つのパキスタンとなったのです。しかし東西に分かれたパキスタンは、同じイスラム教徒であっても意思疎通がうまくいかず、やがて1971年に東パキスタンがバングラデシュとして再び分離独立するのです。
僕はデスクが離れたことによって、2つの番組の掛け持ちができなくなったことと、このバングラデシュの分離独立は同じことなんだと思い知ったのです。
これが僕のなかに「地理思考」という概念が誕生したきっかけでした。
このように、自分の人生に起こる環境要因は、実は世界でも本質的に同様のことが起こっているのです。ならば視点を変えて、世界的な地理的事象を知ることで、自分の人生にフィードバックすることだってできるはずです。
そしていま20年近く経ちました。
その間に培ったさまざまな経験や、人との出会いから得た地理的な思考。さまざまな書籍から得た地理的な思考。その集大成が本書、『人生が変わるすごい「地理」』なのです。

最後の最後に、僕が地理を好きになったきっかけで締めくくります。1989年(平成元年)、19歳の浪人生のときに通った河合塾の地理の講師・権田雅幸先生なくして僕の「地理思考」の人生は語れません。権田先生は、ただ地理を知識として覚えさせるのではなく、そこに至るまでの地理的な思考のプロセスを教えてくださいました。僕はそこで地理を学び、翌年無事に東京大学に合格したのです。
数年後、権田先生は若くして他界されてしまうのですが(大学生になった当時の僕は知りませんでした)、僕は当時の講義をまとめた『権田地理 講義の実況中継』という名著を本棚に大切に保管していました。
そしてこの本を書くために、その30年前の書籍を本棚から30年ぶりに取り出し、手にとってみました。 すると、それはまさにこの「地理思考」の原点だったのです。僕がこれから書こうとしていることが、すでに書かれていたのでした。
権田先生の叡智は、僕の脳内にみずみずしい思考を授けてくださいました。テレビマンとして歩んだ人生での、大きな支えにもなりました。そして、僕自身の経験や知見と折り重なり、本書が実を結んだのです。
30年越しの謝辞をお許しください。権田雅幸先生、本当にありがとうございます。

この本をきっかけに、みなさんの脳内にも「地理思考」がフィードバックされ、それが蓄積となり、素晴らしい人生を歩まれることを心から望みます。

2019年(令和元年)7月1日 角田陽一郎

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