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第404段「東大に入学してわかったこと:30年前の大学生活と今の社会人大学院生!」

この文章は、モノグサ株式会社のオウンドメディア「まじめにものぐさ」から依頼を受け、連載「ただいまキャンパス」に寄稿したものです。東京大学在学中と、現在通学している東京大学大学院でのエピソードになります。




バラエティプロデューサーの角田陽一郎と申します。
TBSテレビで『さんまのSUPERからくりTV』や『中居正広の金曜日のスマたちへ』を作っていたバラエティ番組のプロデューサーです。2016年末にTBSテレビを辞めて、現在はテレビのバラエティ番組だけでなく、あらゆるビジネスを色々エンターテイメントにプロデュースするという意味で「バラエティプロデューサー」と名乗って活動してます。

県立千葉高校を卒業したのち、一浪して東京大学文科三類へ入学しました。
東大を選んだ理由は、ここだけの話ですが、東大ブランドへの憧れからでした。 父に「大学に入るんだったら、いいとこに行った方がいいんじゃないか」と言われ続けていたので、結局一番いいと言われている東大に行きたいと子供の頃から思っていました。東大の文系には一類、二類、三類がありますが、私の時代には法学部に進む文科一類が一番難しかったので、「文科一類を受験して落ちちゃうよりは、文科三類でもいいいや」と言う思いで選びました。
ちなみに文学部や教育学部に進学する文科三類を選ぶ受験生には大きく分けて2種類いると思います。本当に文学や教育等の人文社会系が好きで文科三類を選んでいる受験生と、東大の中で一番偏差値が低いから文科三類を選んでいる学生です。 私は後者でありました。「東大だったらどこでもいいや!」はっきり言って、恥ずかしいくらいの“学歴ブランド信仰”でした。



しかし、そんな想いも、実際に東大に入学してみると徐々に変化していったのです。
1990年に、まずは駒場にある教養学部に文系理系構わず全員が入学します。東京大学の一番いい点だなと思うのはまさにこの点です。つまり自分の専門分野を3年生になるまで選ばなくていいわけです。成績が良くなければ人気の学問分野に行くことは難しいとは言え、1、2年生のうちに教養学部で学んだことから、自分が興味を持ったものを専門にすることができるのです。極論すれば、1、2年の教養学部中に決心して3年時から文系から理系に行くことすらできます。これは、当時から今でも思っている、東大の一番の利点です。なぜなら大学に入るまでは、自分がどんな専門に向いているかという学問的な興味よりも、どうやれば点数を上げられるか、偏差値を上げられるかという受験勉強に縛られてしまって、本当の興味が見えないのではないかと思えるからです。自分もまさにそんな高校生でしたし。

学問以外の活動でいうと、1、2年生のときには演劇をやっておりました。これも、初めから演劇が好きだったからではありません。
文科三類のクラスは、秋に駒場祭という文化祭でクラスごとに演劇をやるという慣行があるのでした。私のクラスは別役実(べつやく みのる)さんの不条理劇をやることになり、私は演者として出演しました。そうすると、 隣のクラスに在籍していた、今や大河ドラマ『おんな城主 直虎』や朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』の脚本を書いている森下佳子が私の芝居を見て、彼女が演出する次の演劇に出演しないかと声をかけてくれ、私はそこから演劇をやることになったのでした。 つまり、大学1年生の新歓で演劇サークルに入ったわけではなく、 文三のクラスにいたからこそ演劇を志すようになったのです。
もしあのとき演劇をやっていなければ 、エンターテインメントに興味がそこまでは行かず、テレビ局に入社していなかったのではないかと思います。

学問に話を戻すと、私が大学1、2年生で駒場の教養学部にいたときは、授業はやはり面白いかどうかというよりも、単位が取りやすいか、出席しなくても点数が取れるかといったところで選んでいたような気がします。今考えるともったいないことをしたなと思うのですが、当時は一浪して受験勉強が終わった開放感から、遊びたいという気持ちが強かったのではないかなと思っています。

そんななかでもすごく面白かった授業は、科学哲学の村上陽一郎先生の授業です。科学の存在意義や成立過程を研究する科学哲学というジャンルがあったことをそこで初めて知りました。また、文系の自分は、それまで理系のことは縁遠いものだと思っていたのですが、 むしろ文系の我々が科学について研究することの重要性を知ったのも村上先生の授業でした。
ちなみに村上陽一郎先生はすごくダンディーでかっこいい先生で、田村正和さんのようでした。 この講義を聞いていたときに、「もし田村正和さんが教授役でドラマをやったら、視聴率も取れるだろうし、みんな学問が好きになるんじゃないか?」と妄想を持ったものです。後にテレビ局に入り、2013年に谷原章介さんが教授役で講義をするという特別番組制作をし、結果としてそんな妄想を実現化することができました。

ただ、 それ以外の授業はというと、のちに東大学長になられる表象文化論の蓮實重彥(はすみ しげひこ)先生やシェイクスピアの翻訳で有名な英文学者の小田島雄志(おだしま ゆうし)先生など、今考えると恐ろしいほど著名な方々が現役で講義していたにもかかわらず、私は駒場東大前駅からキャンパスがある左に向かわず、右に曲がって商店街の雀荘に入り浸っておりました。

そして3年生からは本郷にあるキャンパスに移動します。その半年前に進振り(進学振分け)があり、自分の専門を2年生で決めることになります。私はそこで文学部の西洋史学科を選びました。 なぜ歴史を選んだのかというと、歴史が特に好きだったからではなく、あらゆることを学ぶことはあらゆることの歴史を学ぶことだと、教養学部時代に知ったからでした。つまり、 数学というのは数学の歴史を学ぶことであり、アイドルが好きということは、アイドルの歴史を学ぶことだということです。歴史を専門にすれば、あらゆるジャンルのことが学べるのではないかと考え、西洋史学科に入学しました。

教養学部時代は雀荘に入り浸っていた自分ですが、文学部西洋史学科に進学し、本郷キャンパスに通い始めると、様々な歴史学の抜群におもしろい授業を聞くことで、学問の素晴らしさにようやく目覚めました。
私の指導教官は既に亡くなってしまいましたが、フランス革命の専門家の遅塚忠躬(ちづか ただみ)先生でした。遅塚先生のフランス革命の授業は本当に面白く、 自分がその後『最速で身につく世界史』という本を書くことになったのも、遅塚先生の授業との出会いが大きいです。
遅塚先生の講義での毎回の歴史解説では、フランス革命のフランス対イギリス、ロシア、ドイツの戦いが、例えば当時流行っていた『機動戦士ガンダム』のジオン公国と地球連邦軍の戦いよりもおもしろいと感じた記憶があります。一般の人の多くが「ガンダムは面白いけど、歴史は退屈だ、難しい」と言うのに対して、「そんなことない。フランス革命にザクやガンダムは出てこないけど、ストーリー展開は実はガンダム以上の展開なんだぜ!」と一人思っていました。もしかしたら、自分が大学を出てエンターテインメントの世界に入ったのは、そのフランス革命の歴史の面白さを知ったことで、現実世界の面白いものをどうエンターテイメントにするかをやりたかったからかもしれません。
卒業論文は「フランス革命とナポレオン」というタイトルで書きました。フランス革命という自由、平等、博愛のための革命から独裁者ナポレオンがなぜ生まれたのか。つまり、アンビバレントな矛盾する行為をなぜ人類は起こしてしまうのか。このことに興味を持って卒業論文を書きました。

こうして大学を卒業するのですが、就職の際にテレビ局を選んだのは、自分が歴史を学んだのと同様に、テレビ局ではあらゆることをやれると考えたからです。 エンターテインメントの世界では、アカデミックなこともできるし、 俗に言う低俗なものもできるし、音楽もできるし、スポーツもできるし、ドラマもできる。そう考えてテレビ局を志望した次第です。

こうして1994年からTBSテレビに入り、制作局で 22年9か月の間AD、ディレクター、プロデューサーをやって、様々なバラエティ番組を作りました。 そして2017年からはフリーのバラエティプロデューサーとして活動しています。
そんななか、2019年に東京大学大学院人文社会系研究科の文化資源学研究専攻に社会人入学しました。これは、自分がエンターテインメントの世界でテレビ番組を作ってきた際に、アカデミックなことをもっとエンタメとして面白く見せられるのではないかと思ったからです。

今のテレビは良くも悪くも分かりやすく伝えることに主眼が置かれてしまい、物事を深く知ることの面白さが伝えられていないと感じていました。そこで自分が社会人入学がある大学院を調べている際に、東大に文化資源学という学問分野があることを知ったのです。

あらゆる文化を様々な研究方法を用いて資源化する学問である文化資源学は、私が職業としてきたバラエティプロデュースという行為と極めて酷似しています。学問とエンターテイメントをくっつけることがまさに自分の人生でやってみたいことだと確信し、文化資源学を志したのです。

2021年には修士論文を書き、現在は博士課程に在籍しています。最近、『教養としての教養』という新刊を上梓しました。それこそ大学院の講義で教わったのですが、もともと教養は「教養する」という動詞で、結果ではなくプロセスであるとのことです。教養という一定の知量があるのではなく、普段日々いかに人がそれぞれ育んでいくか?という行為だということです。つまり、教養を得るためには(教養のある人になるには)、ある一定のレベルの知識・情報・テクニックを知ることよりも、その教養を自分がどう捉えるか? その教養を、他者と、社会と、世界と、どう接続するか? その教養を、自分がどう楽しむか? その教養で、自分が、他者が、社会が、世界が、どう教養されるのか?という、まさに教養を培う上での教養が必要なのです。

25年ぶりぐらいに大学に通ってみて、 25年前の学生と今の学生はほとんど変わらないないと感じています。よく大人たちは「最近の若い人は○○だ」みたいな言い方をしますが、私が今大学院で話している 二回り以上も年下の同級生たちと、50歳を過ぎている同期たちは、極めて性格やキャラクターが似ているなと実感します。つまり、年齢とか世代によって考え方が変わるというよりも、東大生、○○大生というところで、なんとなく学生のキャラクターが特徴付けられているのかなと感じています。

そんな東大生のキャラクターですが、世間のイメージに反して(笑)、東大生はいい人が多いと思います。もう少し正確に言うと、ピュアな人・純粋な人が多い。 結局、ずるいことをやってもテストの点数はそれほど上がりません。自分の興味があることを真摯に深く思考することで自ずと学力は定着し、結果として偏差値は上がる。このことを理解している人が東大の入学試験をパスしているからなんだと、今考えれば思います。東大ブランドをゲットできるという理由でから進学した僕みたいな人間も確かにいます。ですが、東大にいた学生時代の4年間、そして現在社会人として丸5年大学院に在籍している自分としては、東大には、いわゆる東大ブランドと言われる価値以上に、学問を真正面から探求できる場所であることに真価があると思っています。それこそが、東京大学の一番素晴らしいことなのではないかと心の底から思うのです。


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