第54段「感情の論理」
感情的にならずに論理的に話そうよ、ってもめた時よく聞くんだけど、感情的な時の感情的な人の論理は大体感情的だから、むしろ論理的に諭されても感情的にしこりが残るし後を引く。むしろ感情的に諭された方が納得する気がする。この人間社会も人間個人も本来感情にものすごく左右されるものだから。
なので論理的に辻褄が合ってれば他者の感情を害そうが傷つけようがどーでもいい的な論理で話されると、その人がどんなに賢くても有名でも全然論理的でないように(僕は感情的にも論理的にも)思う。
だって感情的には嫌悪感を感じるし、
論理的には人間社会と人間個人は『感情で動く』のが論理だから。
つまり、自分や他者の感情を論理的に扱うってことが、大切なのかな。
あるいは、自分や他者の論理を感情的に捉えてみることも、大事なのかな。
写真は、京都祇園のフォーエバー現代美術館の草間彌生さんの『黄樹』。
先日観に行った時、解説にこうありました。
「黄樹」は、当初作家により「セックスオブセッション(シュルレアリズムではない)」と名付けられました。セックスオブセッションとは、日本の抑圧的な父権体制と抑制的で右へ倣え的な社会行動に対して草間が抱き続けていた、強い怒りの感情のことでです。その怒りの感情を解放するために描かれた絵画の一つが黄樹だと考えられます。
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