第119段「雑知という雑誌」
今日の話。雑誌の未来を聞いた。
「雑誌は終わった」的に言われるけど、実は復活の可能性を感じる動きがあるのだと。
つまり有益な情報をどうリッピングしてどう構成してどう表現するか?その読者をどう楽しませてどうグルーピングするか?という機能こそが雑誌なので、紙orネットいう概念ではそもそもないのだ。
僕はテレビの仕組みで、コンテンツの1次利用でCM放送、2次利用でグッズ等商品化の前にビジネスモデル自体を作る0次利用を標榜して番組を作ってきたけど、実は雑誌こそが0次利用をしやすいシステムなのだと伺った。
たしかに動画やマスにこだわらなくてよい分、雑誌の方がいろいろ仕掛けやすい!
雑誌は、その雑誌の編集方針でリッピングされた情報の独自の集合体であり、その雑誌名でブランディングされグルーピングされた独自の顧客を持つ。
それが数百万人規模ないと成立しないのがテレビだけど、雑誌は数万人規模で成立する。
つまりより独自性や固有性やブランディングを維持発展しやすいのだ。
雑誌は情報のブランディングと顧客のグルーピングをちゃんとやって成立させれば、そこにリアル→ネット→リアルと情報と顧客の循環性を作れる。
それを今まで人類は印刷技術が発明されてから紙を媒体に使っていただけで、これからは、紙、ネット、動画、リアル等すべて使って構築していくのが雑誌。
もうこんなうきうきする話を聴いちゃうと僕も雑誌をやってみたい。
今考えてるのは、雑学、雑記、雑音、雑誌、雑踏、雑煮、雑木、雑種、雑談、みたいに雑多な知を集める「雑知」という新たな概念を作って、「雑知」という雑誌を作りたい。
zacchiって書くとイタリア語みたいだし笑。
あるいは"that's chi"と書いて“雑知”
4月から大学院で学ぶ「文化資源学」=知のプロデュースと連動させられたら、楽しい!
興味ある方、ぜひ一緒にやりましょう(^ ^)
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