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第47段「世界を眺めていたい」

なんとなく誕生日に伊勢にいて、想ったこと。

昨年に続き、全国高校生SBP交流フェアの審査員をさせていただき、8月17日の48歳戌年歳男の誕生日を伊勢で迎えて、若き高校生の皆さんと交流して、その歳を加えての審査員という最初の仕事を伊勢でして、翌日、伊勢神宮に御参詣できる喜び。
御縁を感じる。

で、なんとなく想ったのは、
世界の深い深い真理、というか、
世界の長い長い成り立ち、
を知りたいなって想った。

現代の世の中には、さまざまな問題があって、いろんな革新的なことがあって、経済でも技術でも、普段仕事してると、どんなサービスがいいとか、どんなビジネスが儲かるとか、PDCAだとか、スクラップ&ビルドだとか、なんていうか、今を生きるために、今を生きることを、未来をこーしようあーしよう、考えたり行動したりすることがほとんどだ。

で、それはものすごく大事なことなんだろうけど、
で、それを担う人もとても大事な生き方なんだけど、

僕は、それをする必要がないように想った。

SBPで元Google名誉会長の村上憲郎さんの講演を聞いて感動したからかもしれないし、

伊勢神宮にお参りしたからかもしれないし、

盛り上がったり悩んだりしてる若き高校生たちと交流して、あの頃の自分を想い出したからかもしれないし、

1週間前には、老齢の父母と東北を旅行して、福島の被災地と帰宅困難区域を訪れたからかもしれないし、

8月6日の広島や、8月9日の長崎や、8月15日の終戦の日が、近かったからかもしれないし、

で、自分自身が、また一つ歳を取ったからかもしれないけど、

なぜ人が、一人一人が、
こういう生き方をして、
こういう文化を生んで、
こういう歴史を歩んで、
で、今の世の中が、こんな感じになってるんだってことを、ただ知りたい、ただ眺めていたいと想った。

あえて言えば、細かいことをいちいち気にする、ってことより、
細かいことをいちいち知りたい、というか。

なんか、それだと無責任な感じもするし、だからってそんなに無責任な生き方をしようとは勿論想ってないんだけど。

ただなんとなく、世界を眺めていたい、と想った。



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