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第101段「狩りであり田んぼであり工場であるSNS」

今日の話。『本を書きたい人の個別相談会』でお会いした方がFBとかツイッターとか苦手だと。

僕はSNSを情報のインフラだと思ってるのでインフラ自体に好き嫌いの感情は無くて単に便利だから使っている。
そこで流通する中身には感情は動かされるけど、その使い方は自分でコントロールできるし。
水道とか道路とかテレビと一緒で自分がそれをどう使うか?

情報のインフラとしてのSNSの使い方整理すると
①ツイッターは対知らない人向け告知
②FBは対知り合い向け告知
③noteは文章告知
④インスタは画像告知
⑤LINEは対近親者連絡
⑥メッセンジャーは対知り合い連絡
⑦Slackは対チーム連絡
⑧メールはそれ以外連絡
⑨電話は使いたくない!
とかかな。

僕はバラエティプロデューサーという仕事を組織に入らず組織を持たずにやれてるのはSNSという情報インフラのおかげ。
もし無かったらキャスティングできないし、制作できないし、発注できないし、告知できないし、情報も受け取れないし、依頼も来ない。
つまり自分の外側との交流口。好き嫌いの次元じゃないのです。
今や生きてくためにSNSを使ってるとでもいうか。縄文時代で言えば狩りする、弥生時代で言えば稲作する、近代で言えば工場で働く、ということとやってることは同義なのです。

情報インフラとしてのSNSで外側と情報を交流(交換)しつつ、自分の身体でリアルに、いろんな所に出かけ、いろんな人に会い、いろんな経験をし、ヒトモノコトいろんなことを見て聞いて話して食べて感じて考えて、いろんな作品をリアルに産み出す。そしてその情報をまたSNSで外側に発信し交流する。

そしてその際に一番実感していることは、
実はその過程で、こういう風にSNSで文章を書いたりすること自体が、自分の作品制作スキル自体も格段に上げてくれているということ。
どう書くと伝わるか?
どう交流するとスムーズか?
どうデザインするとカタチになるか?

これらが、SNSというインフラを使うだけで、勝手に鍛錬できるというか。
自分の脳内だけで空想でアクションするよりも、SNSで外に発信が同時にできるので、外のリアクションも受け取れて、脳内にフィードバックして、また自分でアクションできる。

これってホント便利だし効果的だし実践的だと思うのです。

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