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BC26「アイデアを生み出すための、高校時代の『3つの宇宙の話』」

アイデアをどう日常から探し出すのかっていうのは、企画を考えるにあたって結構重要なポイントです。 僕は日常で体験するあらゆる出来事がアイデアの源泉だと思うのですが、それを企画まで昇華させるのには、ちょっとしたポイントがあると思います。今日はそのお話です。

僕が普段バラエティ企画を考えるとき、アイデアをひねり出すちょっとしたポイントは、

「自分の宇宙を広げる」
「宇宙に独自のルールを作る」
「宇宙の細部にこだわる」

この3点です。僕はこの3点を、高校時代からの友人たちから学びました。

ベストセラーの『考具』『発想法の使い方』の著者でもあり、大手広告会社の社員でもある加藤昌治くんは高校時代からの同級生です。高1の時同じクラスで、でもそんなに話したことがなかったのですが、3学期の学期末テスト期間の部活休止中に、普段はもっと早く通学していた加藤くんと朝の通学電車でたまたま一緒になり、学校に向かうまでの20分を、いろんな話、それこそ「この音楽がいい」だとか「この映画がおもしろい」など、いろいろ話をしたのです。その時彼から教わったのは長編SF漫画の『超人ロック』と村上春樹の『1973年のピンボール』でした。ぼくはどちらも知らなくて、すごく興味を惹かれたのでした。テストが半日で終わって、帰る時にも朝の続きがしたくて、一緒に帰ることになり、それでも終わらなくて、翌日のテスト勉強そっちのけで、結局夜まで、国鉄千葉駅前の喫茶店でずーっと何時間もしゃべったのでした。 


僕は加藤くんと出会うまで実はほとんど読書をしたことがありませんでした。自分が直接出会ったり体験して、それを自分がどう考えるか?が大事であって、書物の中で他人がどう考えるか?は意味のないこととそれまでは思っていたのです。(当然思春期の僕が、実際そんな行動原理を意識して読書しなかったわけではなく、今オトナになって思い返すとそうだったんじゃないかと、推測されるという話ですが。) 


しかし、めちゃくちゃ読書家の加藤くんと話をしてみて、彼が漫画から哲学書からいろいろ次から次へと教えてくれるおもしろい作品を僕は全然知りませんでした。さらに彼が繰り出す独特の考え方はすごくユニークで、その思考の懐の深さにも驚いたのです。僕はそれまで自分の知り得た範囲内でおもしろい、つまらないを判断していました。今まで自分がおもしろいと思っていたものは、自分の周りで構成された小さい宇宙から見つけ出したもので、その宇宙はすごくちっぽけで、それが読書することでその宇宙が瞬く間に何倍にも広がることに気づかされたのです。普段周りの学校の友人や家族としか話さないと、その似通った人としかコミュニケーション=思考の交流をしていないことになります。テレビを見ていても、テレビは情報が大量に瞬時に流れていってしますので、知った知らない以上の思考の交流があまりないわけです。テレビゲームをやっても、ゲーム制作者の決めたルール内でどれだけ高得点を取れるかという獲得競争に終始してしまって、自分がルールを作るという思考体験がなかなかできないわけです。 


いくら自分がコミュニケーションを増やそうと努力してもそこは物理的時間的に限界があります。加藤くんだってただの16歳の高校生なわけですから、コミュニケーション量は僕と大して変わらないはずです。しかし彼の思考は少なくとも僕より豊かだ、きっとこれは彼が読書家だからだと気付きました。読書というのは自分の会ったことのない、または多分会うことのない、それこそ世界中のあらゆるところであらゆる時代でいろんな人生を送ってきた人々の考え方と直接コンタクトができる受信機なんだと、その瞬間気づかされたのです。その日から僕も夢中で読書をするようになりました。
日常での思考のコミュニケーションパターンは、自分の宇宙を広げることにより、何倍にもなる。そしてその広がった宇宙での思考のコミュニケーションをすることが、発想を豊かにすることの原点であるのです。
「自分の宇宙を広げる」
これが1つ目のポイントです

そしてそんな加藤くんとの出会いから30年近く、大学時代もよく一緒に旅行に行きましたし、今でもよくプライベートで会ったり、時たま仕事もご一緒するのですが、そんな彼を中心とした高校時代の友人たちと過ごした学生時代のそれこそ”たわいもない”遊びが、今の僕の発想の、思考方法の、原点でもあるのです。
どんなたわいもない遊びをしていたのでしょうか?もうそれはとてつもなく“たわいもない”です。 


例えば、大学生の春休み、そんな高校時代の友人5人、加藤くんと、三束くん、黒田くん、石上くんそして角田で、山形の蔵王温泉にスキーに車で行きました。順番に一人づつ家を回ってピックアップし、最後に石上くんをピックアップして、それから一路山形まで出発ですが、その長い車中で僕らがやり始めた”遊び”は
『これから行きと帰りで目にするファミレスは何軒あるか!』
を当てっこしようという遊びです。道中ずーっと皆でカウントして、そして帰ってきて、一番最初に一人が降りるときに、一番近い軒数を当てた人が皆におごってもらえるのです。本当に暇つぶしのたわいもないゲームですが、皆はそれぞれ予想して、一軒目から数えていって、”すかいらーく””デニーズ””ロイヤルホスト”・・・目にするファミレスをカウントしていきました。そうしているうちにラーメン屋が現れたのです。慎重な三束くんが念のため言いました、
「ラーメン屋はカウントしないよね?」
「もちろん、だってラーメン屋はファミレスじゃないじゃん!」
それは皆も簡単に納得です。しかしすぐさま問題が生じました。目の前に”山田うどん”が突如現れたのです。果たして山田うどんはファミレスなのか?
「いや、違うんじゃない?」
「でも、山田うどんはうどんだけじゃなくて、定食とか結構あるよ。」
「でもなんかファミレスっぽくないよね。ファミリーでなかなか行かなそうだし」
「ファミレスの定義ってそもそもなんだ?」

みんながそれぞれ意見を出し合い、

そもそもファミレスとは何か?

ファミレスの基準は”客層”なのか?”メニュー”なのか?”イメージ”なのか?これをかなり真剣に議論し始めます。この”ファミレスの定義”という大学生にとってはかなりどーでもいい、たわいもないことを、真剣に議論し、ゲームのルールを作るという行為自体が、僕らの最高の遊びなのです。議論を整理すると・・・

1、“客層”ならば山田うどんは、確かにファミレスに該当しません。
2、でも“メニュー”ならば、山田うどんは、ファミレスに該当します。
3、“イメージ”だと、山田うどんは、確かにファミレスぽくないです。

議論が出尽くして、このままだと1勝2敗で、山田うどんはファミレスに該当しません。しかしそのとき、厳密な議論が好きな理系の黒田くんが異議を唱えました(というか厳密に言うと、黒田くんは別に結果はどーでもよくて、議論に異議を唱える行為が、ただ“単に”好きなのですが)。
「3のイメージなんて、ひとそれぞれじゃん。誰かが山田うどんを“うどん”という語感からくるイメージだけで、”ファミレスじゃない”と決定するなんて、それこそ定義として曖昧すぎないか?ここは、実態に沿うべきだ。」
理系的な実証主義的意見です。すると僕らの中で山田うどんに行ったことがあるのは、温和な石上くんだけでした。
「家の近所に山田うどんがあるけど、よくファミリーで行ってるひと多いよ」
この一言が決定的になって、1の客層もファミレスになって、僕らは”山田うどん”をファミレスと認定したのでした。 


そして数日間スキーと温泉を存分に楽しみ、山田うどんはファミレスか否か?など議論したことなど忘れ、帰路に着きました。当然ファミレスをカウントし続けます。運転を交替で代わりながら、数時間長距離を移動して、まもなく帰り着くところになり、最初に石上くんが降りる前に、皆で食事をそれこそ最後に現れるファミレスでしよう!優勝者におごろう!となりました。一体どんなファミレスなのか?みんな結構ワクワクしてます。すると、突然「あっ!」と石上くんが声をあげました。「まさか、まさか」石上くんは慌て始めます。
石上くんの家の一番近くのファミレスは、なんと“山田うどん”だったのです。行きの最初で山田うどんをファミレスに入れるルールにしたばっかりに、僕らは最後に山田うどんで食事する結果になったのです!
「えー、長旅の最後が山田うどんかよ!」
「誰だよ、山田うどんを、ファミレスに入れたの!」

等、みんな楽しそうに文句を言いながら、最後に山田うどんを美味しくいただいたのでした。行きのあの瞬間に、山田うどんをファミレスに入れなかったのなら、僕らはその山田うどんで最後に食事をするというハプニングもなかったでしょうし、このエピソードも多分忘れてしまっていたでしょう。でも逆に、このたわいもないゲームの最初のルール決めが、ものごとをおもしろく展開させることを、僕はそこで覚えたのです。


何かテレビのバラエティ番組で企画をやるときに、ルールやレギュレーションを決め、その決め事のギリギリのところに焦点をあてて実行すると、それは期せずして予想外のおもしろさ=ハプニングを招いてくれるのです。企画を考えるにあたって、最初に定義するルールは独自でもよい!そのルールを厳密に遂行することで、ルールが生む現実との齟齬を楽しむことが、企画の豊かさにつながるのです。
「宇宙に独自のルールを作る」
これが2つ目のポイントです。

蔵王温泉でスキーをしている時も、僕らは当然たわいもないゲームをします。はじめはスキーでリフトから降りて、誰が一番最初にゲレンデを降りられるかというタイムトライアルなのですが、やがてそれを何回もやってポイントを付けて旅行中の数種目の総合ポイントを競う競技になりました。当時はまさにバブル時代でスキーも大人気で、映画『私をスキーに連れてって』を見て僕らもスキーを始め、テレビではアルペンスキーのワールドカップも毎週深夜に放送していて、各種目をアルファベット2文字で略称にするのを知ったのです。滑降(ダウンヒル)ならDH回転(スラローム)ならSL大回転(ジャイアントスラローム)ならGSスーパー大回転ならSGといった具合です。最初は僕らも普通にDHとかSLとかを競って、テレビを真似て英文字略称で結果を書いていたのですが、次第にスキー以外でも競技を争うようになりました、例えばHDです。これは朝、宿からゲレンデに、布団を出た瞬間から顔を洗って着替えてご飯を食べて走らずに準備をして誰が一番早く着くかを競う、“早出(はやで)”の略称のHDです。そして夜はWNで勝負です。これは何が起こっても“笑わない(わらわ・ない)”の略称のWNです。ちなみに、ぼくはWNは苦手でした。すぐに笑ってしまうので。僕らは“はやで”をHDと、“笑わない”をWNとカッコよく略称を付ける“くだらなさ”に無上の喜びを感じていました。ホントくだらないですね。


そしてその総合ポイントの優勝者へのご褒美は何かというと、当時かわいいと大評判だった菊池桃子さんの写真集『冗談はやめて、まず菊池桃子』です。これは、当時テレビ放送していたヨットの大会『アメリカズカップ』を見て知ったのですが、「1851年から続く伝統の国際ヨット大会は、アメリカが第1回で勝ってから132年も保持してきた優勝杯=“アメリカ杯”を各国が奪還しようと毎回開催される」という逸話を真似て、「石上くんが買った『冗談はやめて、まず菊池桃子』を、僕らが借りパクしてなかなか返さないのを、石上くんがどうしても返して欲しいので、この勝負に勝ったら奪還できる!」という逸話と重ねて、優勝者が次の大会まで『冗談はやめて、まず菊池桃子』を保持できる権利を競う競技になったのでした。


ですので、僕らの大会の正式名称は『菊池桃子カップ』です。略して『KMカップ』と呼ばれました。すいません、ホントにくだらないですね。今当時を思い出して書いてても、くだらないです(笑)。


このように、ただ“たわいもない”遊びをするときも僕らはいちいち、スキーのワールドカップやヨットのアメリカズカップのディティールを真似て、その細部にこだわりました。やっていることはあまりに“くだらない”ことなのに、細部が大仰だと、やっている本人たちの真剣さ、遊びへのコミット感が段違いに違うのです。そして実際おもしろさが倍増します。菊池桃子の写真集どうしても手に入れたい!と叫びながら、HD“はやで”をするのです。「いや、そんなに見たいなら自分で買えよ」というツッコミは当たり前で、その当たり前のツッコミが想定されるシチュエーションで真剣に競技をするから、おもしろいのです!まさに“神は細部に宿る”です。
「宇宙の細部にこだわる」
これが3つ目のポイントです

こんな風にくだらない学生生活をしていたわけですが、思い返すとこの経験は、テレビ番組のバラエティ企画を考えるときにまさに役に立ちました。

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