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vol.16『文化資源としてのテレビ』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.16 2019年2月5日New Moon
『文化資源としてのテレビ』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。

■CM■「テレビの0次利用:文化経営的視点」inspired by【「好きなことだけやって生きていく」という提案】

今日は水瓶座の新月。はじまりの日。
はじまってないことを、はじめよう。
はじめられないことも、はじめてみよう。
はじまりは、何回はじめたっていいのだ。

私は1994年から2016年まで22年9ヶ月TBSテレビ働いていました。
辞めたのは46歳という日本人の平均年齢の歳でした。決して若くない年齢です。
そんな私のテレビ局を辞めた理由は何なのか?
それこそ、いろいろ複合的な要因で辞めたのですが、人生というスケールで考えると、その一人のテレビ制作者が「辞める」という行為をなぜ取ったのか? を時系列で追うことが、まさにテレビ文化の文化経営的なひとつの考察ができると気付きました。

「TBSが好きすぎてTBSを退社しました」
・・・いろいろ辞めた理由を考えた挙句、私はTBSを辞めた理由を、対外的には結局いつもそう説明しています。
当然、これ以外にも現実的な辞めた理由はあるのですが、でも総じて言えば、大好きだったからこそ、TBSにとってやったほうがいいと思っていたことを、いろんな瑣末な会社運営的な理由でやることが困難だった時に失望したこと、それが大きかったんだと思います。
TBSテレビに入社して、制作局に配属され、20代は、ひたすらロケ、編集、ロケ、編集の毎日で、時間に追われていました。
「仕事ばかりで大変ですね」とよく言われていましたが、でもその時も、そして今振り返っても、決してそうは思わないです。
例えば、普通のサラリーマンは仕事で稼いだお金で、旅行やコンサートに行きますが、私たちは仕事で行くことができます。
更にテレビの仕事の魅力は、普通は行けないところに行けることや、会えない人に会えることだと思います。25歳のときに京都の龍安寺に取材に行ったときは、一般公開していない石庭の裏側を見せられたことがあり感激したことを記憶しています。

こうして30代半ばまでは、ある意味一心不乱にバラエティ番組作りをしていました。
その最初の転機は2005年2月9日に起こったあるきっかけからです。
当時の私は『中居正広の金曜日のスマたちへ』のチーフディレクターと『さんまのスーパーからくりTV』のディレクターを兼務していて、笑いあり涙ありの企画を始終作っておりました。笑いも涙も大事なのは“フリ”と“オチ”です。常に“フリとオチ”ばっかり、ずーっと考えていました。
そんな私がその日は深夜ひとり社内のデスクで領収書の精算をしておりました。領収書の精算はタクシー代や会食費など、具体的な行き先や目的、一緒にいた人などいちいち正確に記入しなければならず、溜めてしまうと締め切り前にあせって大量に処理する必要があり、結構煩雑な作業で、私みたいなタイプには最も苦手な作業です。それを深夜一人会社のデスクでやっておりました。テレビ局なんで社内にはつけっぱなしのテレビが目の前に並んでいて各局の放送がいつも流れています。その当時タクシーの初乗りは660円でした。
「この660円のタクシーの領収書、どこ行った時だっけな、全く覚えてない・・・もう精算あきらめるか」
といちいち660円でもうんうん唸って悪戦苦闘していたのですが、そんな小さい額でも精算をあきらめたらいちいち自腹です。何枚もあきらめたら結構な痛手なのです。
その時テレビからニュース速報が流れました。
「ライブドアが600億円でニッポン放送買収!」
当時ネット業界の話題の若手実業家ホリエモンこと堀江貴文氏の会社ライブドアが、ラジオ局のニッポン放送そして子会社のフジテレビに食指を伸ばしたのです。ホリエモンとは面識はなかったのですが、実は私の大学の一年後輩で、彼が東京大学文学部宗教学科、私が西洋史学科で、研究室は隣同士です。そのライブドアのニッポン放送買収のニュースに端を発し半年後の楽天のTBS買収に及んで、2005年はテレビ業界にとって激変の始まりの年なのですが、私はその時違う意味で愕然としたのでした。
「大学からずーっと、“フリとオチ”ばっかり考えてたら私は660円の領収書も切れないで悪戦苦闘してて、大学からずーっと“お金儲け”ばっかり考えていたら、ホリエモンは600億円でテレビ局を買おうとしてる!」
600億円と660円、ホリエモンと私。その差に愕然としました。
「研究室隣り同士だったのに・・・この差は何なんだ!?」
この時から、私が“フリとオチ”以外も考えるようになったのです。
でも思いました、正直“お金儲け”ばっかり考えるのは、つまらないしくだらないしやりたくない。これからも“フリとオチ”を考えていたい。でも660円で苦闘するのも嫌だ。なら“フリとオチ”は頭の7割くらいで考えて、頭の3割くらい“お金儲け”を考えてみようと・・・こう思ったわけです。

こうしてこの日から3割くらい“お金儲け”を考え出すと、今まで見えていた景色が全く違った景色に見えてきました。例えば、TBSには当時人気番組『関口宏の東京フレンドパークⅡ』がありました。アイドルグループ“嵐”が出演して高視聴率を取った回があったのですが、この収録は赤坂TBS内のスタジオで行われています。けれど“嵐”だったら、もし国立競技場で収録を行えば7万人の客席は容易に埋まります。
もしその7万人からチケット代3000円いただけば、総額2億1千万円です。で、実際に来場したお客様には、その場でしか楽しめないアトラクションや演出で楽しんでもらって満足してもらい、それを収録して編集して通常のようにTBSで無料放送しても、視聴率は変わらないのではないか?
当然ギャランティーや会場費など出費もかさむけれど、それ以上の利益を生むのではないか?それが制作費の源泉になるのではないか?こう思ったわけです。
私たちは通常番組制作費を制作予算としてTBSから配分されます。
それはスポンサーからの広告費でいただいたお金です。広告は見られなければ意味がないわけで、なので広告費は“みなさんがどれくらい見ていただけたか?”という指標=“視聴率”の良し悪しとほとんど直結です。なのでその制作費は視聴率に左右されます。と言いますか、視聴率が取れない番組は民放にとって全く意味がないのです。
視聴率を無視して番組を作ることは絶対できないのです。
しかし、もし自前で番組の制作費を事前に稼ぐことができれば、視聴率にあまりこだわらずに番組を思う存分作ることができるのではないか?
思う存分“フリとオチ”を考えていてもイケるんじゃないか?
私はそう思い始めたのです。

そう考えるとバラエティー番組というのは、カメラの前で様々なイベントを“収録”という名で、それこそ無償で行ってきたのですが、そのイベント自体を魅力ある有償の“コンテンツ”に事前にしてしまい、そのお金で制作費を捻出する。
そのあとに無料で一般の視聴者に“番組”として放送を楽しんでもらえれば、“今の視聴率のために番組を作る=視聴率を取ることこそが、番組の存在意義”という“視聴率至上主義”から脱却して、本当に本当におもしろい番組を作れるのではないか?
そんな見方をするようになったのです。

私はこの放送の利用方法を“0次利用”という言い方で呼んでいます。
一次利用が放送中のCM、二次利用がDVDやグッズ販売だとすると、これからはテレビは0次のところで、様々な業種の方とパートナーシップを結んで、収益化やビジネスモデルを事前に考える必要があります。今までの一次利用だと取引相手をスポンサーと呼んでいましたが、0次利用では共同事業のパートナーです。そうすれば、収益性からも放送以上のインパクトがあるわけです。
テレビはこれまで広告による収益モデルで成立してきましたが、視聴率を取るから好きな番組を作るという姿勢ではなく、おもしろいエンタテインメントでマネタイズをする仕組みから作ればいいのです。そうして資金を確保することが実はピュアにおもしろい番組が放送できると考えています。
この考えが元になって、私はネット配信会社のgoomoをTBSの子会社として2009年に立ち上げました。まずは0次利用を制約の多い地上波ではなく、ネットの動画配信で行うことができるのではないか?と思い至ったからです。

さらに40歳を超えて、自分の考え方変わる契機が突如やってきました。
それは2011年3月11日の東日本大震災でした。
私は直接被害にあったわけではないですが、あの震災の、津波の、原発の悲劇の映像を連日テレビで見続けていて、私は考えが一変したのでした。
それまではテレビというフレームの中で、明石家さんまさんや中居正広さんやエグザイルという有名な芸能人と一緒におもしろいことをやって、言うなればカルチャー(文化)の波に波乗りしていれば、波乗りしているだけで、楽しかったのです。
しかし、波乗りなどできない津波の映像を見て、いつまでも波と戯れてる場合ではない、波と格闘しなければならないのだと気づいたのです。
津波は巨大すぎて、格闘といったって、逃げることしかできないかもしれない。でも少なくとももう戯れている場合ではない。いずれにしても、私は今までテレビの現場で培ったスキルを、戯れること以上に現実社会で使わなければいけない、とそう思い至ったのでした。
こうして震災をきっかけに、テレビフレームの中で生み出していたフリとオチの行為を、テレビのフレームを取っ払って世の中すべてに対してフリとオチを作りたいと思うようになりました。

こうして翌年の2012年に、いとうせいこうさんユースケ・サンタマリアさんがMCの深夜のトーク番組『オトナの!』を始めました。
この番組は、独立採算でTBSに通常の予算をもらわずにやることで、いろんなパートナーと組んでまさに0からビジネスモデルを作り、イベントや講演会、音楽フェスティバルを作ります。スポンサーからお金をCM用にいただくのではなく、いろんなビジネスを一緒にフリとして作りだして、それをテレビ番組で拡散しながら、成功というオチまでつなげていくように、番組を利用するものです。
実際“国立競技場”で“嵐”で!ではないですが、赤坂ブリッツで『オトナの!フェス OTO-NANO FES!』を2013年〜16年と5回開催しました。このロックフェスの入場料で番組の制作費を捻出すれば、視聴率に左右されない番組が成立し、豪華なミュージシャンたちが次々出演し、中身の充実と相まってかなりの評判を獲得するにいたりました。

その後2016年にTBSを退社したのは、そんなコンテンツのマルチ展開をよりスムーズにやるためです。1つの放送局にしばられず、放送(地上波、BS、ラジオ)、リアルイベント、書籍、ネット等を自由につなぐために、フリーのバラエティプロデューサーとしてさまざまなフレームを超えて、あらゆる業種の方とパートナーシップを組んで、新たなエンタテインメントを現在企画・プロデュース・マネジメントしています。

■Dm■「やらせと演出の違い」inspired by【運の技術】

では、そんなバラエティプロデューサーの私が、古巣のテレビのバラエティ番組を文化資源として語る上で、どんな観点が挙げられるでしょうか?
ここでは、私がテレビ現場でした様々な経験から、具体的事例をあげたいと思います。

テレビ番組には頻繁に“やらせ”という話がよく出てきます。私たちはバラエティ番組の中で少しでもヒト・コト・モノをワクワクするように見せるために、“演出”をするわけです。でもその演出が作為的だったりすると“やらせ”になってしまいます。作り手側からすると「いや、“やらせ”じゃありません、“演出”です!」って思っていても、見ている方には“やらせ”と感じてしまうってことも時としてあります。
“やらせ”と“演出”の違いは、テレビ番組でも報道かエンターテインメントかで、程度の差が明確にあると思いますし、意見が分かれるところではあります。私は自分が専門でやっているのはエンターテインメントのジャンルですし、エンタメにもドキュメンタリーだったり実話に基づいた再現ドラマだったり基準がバラバラなので本当に難しい話なのですが、私のやっているいわゆるバラエティ番組に話を絞ると、私のテレビ演出の行動指針は3つあります。

1つ目は、『その演出でいろんな人がハッピーになるか?』です。
テレビ演出が、演出される側がハッピーじゃなかったり、それを見ているテレビの前の人が不快だったりしたら、そもそも“演出”をする意味がありません。当然、このハッピーという基準は極めて恣意的ですし、仮に演出する私にとってはハッピーに思えたものでも、演出される側の人や、見た人には、ハッピーに感じられないかもしれません。
「そのさじ加減はどうするんだ?」
はい、料理のレシピと同じで、まさに“さじ加減”としか書けません。でも、何かを作り出す、産み出すことというのは、結局はその“さじ加減”を知る旅だと思うのです。私もずーっと旅してますし、その旅中に痛い思いをしたり後悔しながら、“さじ加減”を学んできました。

2つ目は、『演出されている人が、やらされていないで、自分の意思でやっているか?』
“やらせ”とはその人にやらせているから“やらせ”なのです。その人が自分の意思でやっていれば、それは“演出”です。

そして3つ目は、『そこに1があるか?』です。
もし私たちがテレビで何かヒト・モノ・コトを扱うとして、何もない0から話を作るなら全部“やらせ”ですし、というかウソでありフィクションです。それはもう“ドラマ”です。でも話のもとの1があれば、演出で2倍にも3倍にも10倍にもワクワクするようにおもしろくする。これが“演出”の力だと思っています。

『皆がハッピー』になり、『演出される方が自分の意思でやっていて』、そして『1の話を2倍に3倍に10倍におもしろくなる』演出。具体的にはどういうことでしょうか。
私は毎年正月に放送する明石家さんまさん・中村玉緒さんがMCの『夢をかなえたろかSP』という特別番組を長年制作していました。毎年日本全国の5000人近い方に「あなたの夢はなんですか?」と街頭インタビューをして、その方の中から7名程度の実際の夢を叶えてあげる番組です。
ある時、私が該当インタビューをしていたら、ある女子大生と出会いました。
私は質問します。
「あなたの夢は何ですか?」
しばらく考えたのち彼女はこう答えました。
「クジラにさわりたい」
クジラにさわりたいは、普通の夢です。
それだとテレビではあまりおもしろくありません。彼女が自分でお金貯めて、メキシコのバハカリフォルニアでも行って体験してくれば良いわけです。テレビが助太刀する必要もないわけです。
こんな答えが返ってきた時、インタビュアーの私はどうするか?
普通は2つです。「他の夢は何ですか?」と聞くか、「あきらめて、他の方を探す」です。
でも私は、彼女のキャラクターが良くて、なんとか夢を叶えてあげたいと思いました。そして、こう言いました。
「うーん、クジラをさわりたい、だと普通です。それだと(スタジオにいるパネラーの)関根勤さんは笑わないです。」
こう言えば、「そうですか・・・」と諦める方も多いのですが、彼女は違いました。
「じゃあ、何て言えば関根さんが笑うんですか?わたし関根さんを笑わせたいです!」
やはり、私がキャラクターがいいと思った直感は正しかったです。インタビュアーの私に食ってかかるドラスティックな女子大生です。
「じゃあ、一緒に考えて、関根さんを笑わせましょう!」
「はい!」
共犯関係成立です。私はこれがまさに“やらせ”と“演出”の一番の違いだと思っています。つまり演出される側が、自分の意思でやっているか、無理やりやらされているか?
そこにとてつもない差があると思うのです。彼女は自分の意思で、考え始めました。そしてそれを考えている彼女はものすごくハッピーです。あとは見ている人がハッピーになるエピソードの探索です。
続けて私は彼女に質問します。
「そもそもなんで、クジラにさわりたいのですか?」
彼女は考えます。なかなか出てきません。私はさらに質問します。
「最初にクジラにさわりたいと思ったのはいつですか?」
「あっ、思い出しました!たしか子供のころピノキオの絵本を読んでいて、クジラに飲み込まれたピノキオがクジラのお腹の中から背中の潮吹きで出てくるの見て、楽しそうだなって思ったのです!」
そのエピソードが出てきて、私と彼女は、突然閃きました!
「ということは、あなたの夢は正確に言うと、“クジラにさわりたい”では・・・なくて」
「あ、そうだ!“クジラに飲み込まれたいです”」
これでインタビューは大爆笑です。このインタビューVTRをスタジオで見た関根さんは大受けです。
なぜなら「あなたの夢はなんですか?」と聞かれた女子大生の夢が「クジラに飲み込まれたい」だからです。1の話が2倍の話になっておもしろくなっています。

私は“演出”の本質は、相手に質問して、相手の中の1を探すことだと思います。
私が最初に「クジラに飲み込まれたい」というアイデアを思いついたとして、それを彼女に無理に言わせても、奇想天外すぎて何もおもしろくありません。でも「クジラにさわりたい」という1が彼女の中にあれば、その1を一緒に育てて2倍にして「クジラに飲み込まれたい」に変化し、インタビューがおもしろくなり見ている方もワクワクします。つまりある着想をハッピーに育て上げるのが“演出”なのです。
逆に言えば、0に何をかけても、0です。どんな力を使っても0でしかありません。でも1を2に育てるのは、たかだか2倍の力で可能なわけです。ワクワクとは、その種になる1を探して、それを何倍にも育てることなのです。

そして、この「クジラに飲み込まれたい」というふうに育った夢は、さらにそのことで、3倍にも10倍にもよりワクワクするものに育て上げることが可能です。
それは、「クジラにさわりたい」はすぐ叶っちゃうけど、「クジラに飲み込まれたい」は叶えることが、実現不可能だからです。
どういうことでしょうか?彼女の夢を叶えることにした私たちは、まずはクジラの専門家に話を聞きに行きます。専門家に彼女のインタビューを見せるわけです。その専門家が真面目なら真面目すぎる方が、その後の展開はよりおもしろいです。
「クジラに、飲み込まれる行為は大変危険な行為です。」
専門家が、クジラに飲み込まれるのがいかに危険かを真面目すぎるくらい解説してくれるからです。そして、今度はその専門家の説明VTRを彼女に見せます。危険性を聞いて一変して顔色が変わる彼女。すかさず私が聞きます。
「それでも、あなたはクジラに飲み込まれたいですか?」
「無理、無理、無理!!」
彼女は絶叫します!その様子を見てスタジオのパネラーはまたもや大爆笑です。こうして話は3倍になりました。
こうしてすったもんだの挙句、結局まずはバハカリフォルニアに行ってみよう!と彼女の珍道中が開始されるわけです。
このように企画が素っ頓狂ではじまれば、はじまるほど、一体どうやって彼女は夢を実現するのか?見ている方も検討がつきません。だからかえって続きが気になるのです。こうして彼女の珍道中にワクワクのスパイスが降りかかります。珍道中の果てに彼女はクジラに出会えるのか?本当にクジラに飲み込まれてしまうのか?そうしてワクワク感は10倍に育つのです。

■Em■「テレビの罪と罰」inspired by【成功の神はネガティブな狩人に降臨するーバラエティ的企画術】

テレビを見ていると素晴らしい番組も多いですが、それ以上に報道の杜撰さ、通り一辺倒さを感じることも多いと思います。近年ではいわゆるワイドショー、情報バラエティの取り上げるトピックの偏りが問題に挙げられます。
よくマスコミの情報操作だとか、黒幕の影だとか、いろんな陰謀説的なものから、主義思想的な扇動とかまで、いろいろ邪推されるのがマスコミですが、でもその報道の在り方の真偽は、テレビ局の内部にいると実はそんな大仰な理由でないことがわかります。
その杜撰さの原因の大部分は、マスコミの内部に思想的な深い真意があるわけではないのです。
では何か?
それは、スタッフがあまりに多忙で日々の仕事に忙殺されている、究極的には面倒くささが、その雑な仕事にも現れているだけなんだと思います。
そんな理由で?
そう思われることも当然です。しかし、実際の現場ではその側面がかなりの番組内容に影響しています。
2017年、18年と一時期、築地市場の移転問題と、大相撲問題ばかりがテレビの情報ワイドショーでは取り上げられていました。
では、それはなぜだと思いますか?
そのネタを取り上げると、視聴率が取れるから。
当然その理由は大きいです。でも数字が取れる案件はもっとあるはずです。
なぜ築地と相撲が突出していたのか?
それは、そこに明確な報道姿勢やジャーナリズム精神があるというわけではなく、実は、築地と両国国技館の距離が都心のテレビ局に近かったから、それだと移動費もかからず、取材がすぐ行えるからというたったそれだけの事だったりもするのです。
そんな理由で・・・なんかむなしくなります。
しかし、これがある意味、今のマスコミに真実だったりもするのです。
放送局と言っても、いち民間企業です。その効率重視が、内容の歪みまで生じている一つの表れです。

では一方でなぜ、2016年にドラマ『逃げるが恥だが役に立つ』通称“逃げ恥”は大ヒットしたのでしょうか?
星野源がカッコよかったから?
脚本家が優秀だったから?
現代を風刺しているから?
通称「逃げ恥ダンス」がネットで話題になったから?
・・・答えは、プロデューサーがガッキーこと主役の新垣結衣さんのことを大好きだったからなんです。
ただそれだけの理由です。
他のTBSのガッキーのドラマも、そのプロデューサーが制作しているのですが、彼はガッキーが可愛くなるようなドラマをいつも制作します。ヒットするのは当然なのです。なぜならかわいく撮れるまで何テイクも撮影します。おもしろくなるまで脚本を練りますし、演出を頑張りますし、宣伝も、広報活動も、照明スタッフも美術スタッフもまさにいろんなスタッフを巻き込んで、真剣に頑張るのです。
先に述べたヒットの要因というのは、それは分析としは事後的には正しいとしても、結果に対するすべてが後付けなだけです。なぜなら、そんな要因を加味して分析したドラマを作ったとしても、ヒットするのはなかなか無いからなのです。
実際は、そんないちプロデューサーの熱い想いが、数々の施策を実現させ、いろんな人が頑張り、そしてその熱い思いが、やがて渦となって、ヒットを生むのです。
期首に放送する特番の『オールスター感謝祭』にガッキーが番宣で出演した際、そのプロデューサーがサブ(副調整室:放送の際に、音声や映像を調整するための操作室)にやってきて「ガッキーの映る量が少ないよ」とディレクターに文句を言い、挙げ句の果てに「はい、4カメ、ガッキー写して、今可愛い」と勝手にディレクションしだしたことがあります。
でもそれくらい彼はガッキーのことが好きなのです。
この想いのおかげで“逃げ恥”は大成功したのです。
「ガッキーを出すと視聴率が上がるから、ガッキーを出す」
そういうことではなく、
「ガッキーが好きだから」→「ガッキーの魅力を伝えたいから」→「だからガッキーに素晴らしいドラマに出演してらおう」
そういう気持ちこそが他のスタッフのやる気をも、引っ張るんです。
結局は、その作品がよくも悪くもなるも、その作り手の気概とやる気にかかっているのです。

人の命を左右する仕事をしている人を私はとても尊敬します。
弁護士でも医者でも、警察官でも自衛隊員でも、報道もそうです。
私にはそんな度胸がないので、人の命に係わる現場でコミットする気概がないのかもしれません。
・・・なので人の命に関わらずに、何かをおもしろく伝えるエンタテインメントがしたい。それが長年のライフワークになっています。
『金スマ』という番組で、ある末期癌の女性アナウンサーを取材したことがあって、その女性が亡くなる二日前にインタビューをしました。
きれいにメイクをしてもらった状態で、「これから先、こういうことをしたい」ということを話していただきました。
だけどその後、様態が急変してしまい、苦しみながら亡くなられたのです。
でも私たちは亡くなる直前の苦しんでいる映像は流しませんでした。
そして亡くなる二日前の、美しい笑顔のインタビュー映像を“最期の映像”として流しました。
「やらせだ!」と言われる行為かもしれないですが、真実よりも美しく終わらせたかったのです。
エンタメには、その人の尊厳を奪ってまで醜いものを放送する権利はないと思います。
これが報道とエンタメとの違いなんだと私は考えています。
報道は真実を流します。
ときには、悲しい真実をえぐることもあります。
だから私は、報道にはあまり向いていないと思います。
スキャンダラスなものをおもしろいと思いたくないのです。
それは私が“表現の自由”だと言われているけれど、犯してはいけない最低ラインがあると信じているからです。
これを踏まえた人にのみ、“表現の自由”があるのです。
その気概が今のマスコミにあるのでしょうか?
ネットテレビにあるのでしょうか?
そう考えると、あるのかもしれないですが、目の前の面倒くささや、アクセス数、視聴率などに踊らされていることも多いのではないでしょうか?

例えば、テレビ番組の編集作業もよく問題になります。
テレビ番組に出演する際に、OA時間の関係で意図的に編集されてしまうみたいな不安など、テレビでは自分の考えが正確に伝わらないと思っている文化人や研究者の方が多いのが事実です。
そしてそれはあながち間違っていないのも事実です。実際そういうトラブルが頻繁におこります。
でも私は、自分の番組では少なくともそんな編集をしたことがありません。出演者の方が言いたかったことを曲解して編集するなど言語同断です。
しかし、それでもなぜその人の発言を編集するのかというと、やはりOA時間にはめ込まないといけないということが一番の理由ですが、編集することで、その方の言いたかったことが際立って逆にわかりやすくなることがあるからなのです。
私は普段“いかに伝わりやすくなるか?”を目指して編集しています。

例えばある出演者があるトピックを10分喋ったとして、それを5分に編集する。時間は半分になっているのに、逆にその方の伝えたかったことが明確になる。そんなことが可能なわけです。でもそのためにはその出演者の方の言いたかったことをちゃんと理解している必要があります。その方の伝えたかったメッセージを一本の“幹”として、そこにつながる言葉同士をまさに“枝葉”のように付け足して編集していく。すると全体でその方のメッセージという“木”になるのです。
しかし問題はそういう風に全てのテレビ制作者が編集するとは限らないことです。
制作者によっては、一つ一つの言葉言葉の強さ(おもしろさ)だけを見て、そこを切り貼りして編集する人も多いです。そうして出来上がった番組は、その方のおもしろい言葉でいっぱいに見えますが、結局何を言いたかったのかの“幹”が全く見えない番組になっていることが多いのです。
多分、今のテレビはそう編集されてる番組が多くて、あえてそんな制作者を擁護すれば、出演した方のメッセージを曲解しているわけではなく、おもしろいとこだけ切り抜く“おもしろ編集”してるだけなんじゃないかと思います。
なのでそんな風に作られた番組を見ると、視聴者は「なんかおもしろいこと言う変わり者だなあ!」とは感じることはあるでしょうが、当の出演者本人は「自分の言葉尻だけ切り取られて、自分の言いたかったこと1ミリも伝わっていない」と感じてしまうのです。

■Fm■「バラエティ番組が歴史を作る」inspired by【最速で身につく世界史】

私がテレビ業界に入った1990年代、バラエティ番組ではアポなし取材や芸人がヒッチハイクする日本テレビの『進め!電波少年』が大人気でした。この種の番組は「ドキュメントバラエティ」と呼ばれ一大ブームを築きました。
それまでのバラエティ番組はタレントが何かスタジオで企画を行う収録がメインでした。しかしスタジオで流すロケVTR映像を、そのロケ撮影の行程をメインにあくまでドキュメンタリータッチで演出し、過剰に感情を見せるのがドキュメントバラエティです。
ドラマのようにフィクションとしてではなく、普段の人々の日常生活にころがるおもしろいことやハプニング、感動やおかしみの現実をより強調して、私たち制作者も時に指令役として出演して、出演するタレントさんと一緒に番組に仕立て上げるのです。

TBSで私が配属された『さんまのからくりTV』も、もともとは視聴者から投稿されたり、海外で放送された「おもしろビデオ」をお送りする番組でしたが、その流れを受けて96年には「からくりビデオレター」や「ご長寿早押しクイズ」、街行く人が英語で答えるコーナーなど、一般の方が多数出演する『さんまのスーパーからくりTV』にリニューアルし人気を博しました。
翌年には中学生、高校生が大活躍するV6が出演する『学校へ行こう』が誕生します。1999年にはTOKIOがガチンコでさまざまな困難に挑戦する若者のドキュメントを取材する『ガチンコ!』が登場、特にプロボクサーを目指す「ガチンコ!ファイトクラブ」が大ブームになり、これらの番組は視聴率20%以上を常時叩き出し、テレビ界はまさにドキュメントバラエティブームになったのでした。
そんな中、2001年に私はスマップの中居正広さんと新たに番組をやることになり、チーフディレクターを拝命しました。それまでドラマ枠だった金曜夜9時の枠がバラエティ番組になったのです。私たちは往年の人気ドラマ“金妻”から名前をいただいて“金スマ”と名付けたのでした。
ドキュメントバラエティブームを作り続けてきた私が、チーフディレクターを任されるのであれば、それは中居さんともっとすごいドキュメントバラエティを作れ! そういう意味だと確信しました。10月の放送開始まで私たちはその夏、朝から深夜からまた朝に至るまで、ずーっと企画会議に明け暮れました。
そんな放送開始の直前の2001年9月11日、その日も放送作家の鈴木おさむ氏など並み居る人気放送作家の方々と企画会議をしていました。奥菜恵さん主演のMEGMIという女の復讐を題材にしたミニドラマの構成会議をしていたところ、会議室にある付けっ放しのテレビの中で、突然飛行機が貿易センタービルに突っ込んだのです。
「911・アメリカ同時多発テロ事件」、フィクションではない現実の、でも今までパニック映画のCG映像でさんざん見てきたような「虚構みたいな現実」。青空の中、高層ビルに旅客機が次々突っ込むというロボットアニメのような映像。テレビという箱の中にニューヨークから送られてきたそのドキュメント映像が、私たちがしこしこ作ってるバラエティ番組のためのフィクションじゃないと言い張るドキュメントロケ企画を、まさに吹き飛ばした瞬間でした。私たちの積み上げたそのテレビの中のドキュメントロケブームなんて、なんてちっぽけで、作為的で、それこそ虚構=作り物なんだってことを一瞬で私たちに悟らせ、貿易センタービルと一緒にガタガタと崩れていきました。それを見た並居る構成作家と私は、その映像がずーっと頭にこびりついて会議を続けられなくなり、ずーっとずーっと夜明けまでテレビを見続けました。
そしてきっとその夜、その残像は、きっとテレビで普段ドキュメントバラエティを見ていた日本国民全員の頭にも焼き付いてしまったんだと思います。まさに一夜にして日本中の空気が一変したのです。
本物のドキュメントに触れた人々を、もはや虚構のドキュメントで揺り動かすことはできません。今まで楽しんでいたバラエティ番組のドキュメント的演出映像が急に作為的で、その空虚さを一瞬で悟らせてしまったんだと思うのです。
果たしてそれは業界人の杞憂に終わらず、程なくしてドキュメントバラエティのブームは一気に収縮しました。『電波少年』も『ガチンコ!』も翌年からリニューアルを繰り返し人気回復に努めますが、2003年には終了します。
その後のバラエティ番組で人気になったのは、日常で使える裏ワザを教える日本テレビの『伊藤家の食卓』、つい人に教えたくなる知識=トリビアを教えるフジテレビの『トリビアの泉』、雑学や一般常識をクイズにするテレビ朝日の『Qさま!!』などクイズ番組です。
私たちも『金スマ』をドキュメントバラエティの番組という方向から、やがて「波瀾万丈」など有名人の現実の人生を再現VTRで見せていく方向にシフトし人気番組になります。つまり日常の現実を、あまり演出しないで、そのまま見せる方向にバラエティ番組は向かったのでした。

■Gm■【Q&Aナテハ】

ナテハとは、ハテナの逆さ言葉です(笑)。
角田陽一郎のメルマガDIVERSEへのご意見、ご要望、質問などを募集します。
いただいた質問は、毎回できるだけ回答したいと思っております。
答えてほしいことがある方は、
kakuta.diverse@gmail.com まで、どしどしご連絡ください。
あと、僕のツイッターアカウントへの質問でも構いません。
https://twitter.com/kakuichi41

みなさんひとりひとりがそれぞれの宇宙を持っていて、その意図が糸となってつながって、多元的な宇宙DIVERSEを構築するのだと想っています。一元的な宇宙【UNIVERSE】ではなく、多元的な宇宙【DIVERSE】へ。
みなさんとインタラクティブに、メルマガDIVERSEを徒然なるままに楽しんでいきたいと思っております。
次回は2月20日満月に配信です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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