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第210段「旅先で想う宇宙」

今、日曜日の夜に旅先にいる。
で、夕飯を食べてひとり酔っ払ってる。
すると、人生をつらつら考えてたりする。

一昨日の金曜日に横浜でケラリーノ・サンドロヴィッチさん作演の架空のカフカ第4の長編『ドクター・ホフマンのサナトリウム』を観てから、ずーっとカフカのことを考えている。
素晴らしい芝居だった。ケラさんの描きたい宇宙がカフカの人生に乗り移っていた。そのカフカの宇宙がどこまでが架空なのか現実なのかもはや分からなくなってしまった。
果たして、カフカの人生は幸せだったのだろうか?とかとか、そんな想いが頭から離れない。
いずれにしても作品を産み出してる人ってのは本当すごい。

昨日の土曜日、旅先のホテルで大学院の宿題をやる。でも出来なかった。
ダメだ、明日締め切りの宿題ができない、どう書いて(答えて)いいかわからない。
宿題がわからないって悩みを四半世紀くらいぶりに感じてるアラフィフ。
もう単位落とすしか無いかなって悩みも四半世紀ぶりだ。
違うのは若い頃はえーい!って馬力でそれでも提出してた気がする。歳取るとその体力が無い。

結果、宿題ができないので、今日の日曜日の朝、提出を断念します、単位取得も観念します、誠に誠に残念です、と教官に謝罪メール。
で、宿題の代わりに、自分の執筆を進める。
雨の日曜日。
それもスマホでテトリスをやりながら、執筆内容を考察する。
テーマは『メンタルローリングとパターンマッチング』
自分の脳内レイヤーがどんどん混沌化していく。。。

部屋では、小沢健二さん『So kakkoii 宇宙』聴きまくってる。“彗星”からの“流動体について”の流れがすごく好きで、“アルペジオ”の駒場の図書館で、自分も30年前の学生時代に駒場から渋谷まで歩いたの憶い出す。
で“薫る”を聴きながら、サブタイトルにあるような《労働と学業》に勤しむ30年後の自分。
でも、それが自分が生きてるそのままの宇宙なのだ。
いずれにしても作品を産み出してる人ってのは本当すごい。

11月もまもなく終わり、すると今年2019年もあと一月であっという間に終わるな。
今年は海外には行けなかった。会社辞めたらバシバシ海外行こうと思ってたのに、退社三年目でついに海外ゼロ。
まあ、大学院に行き始めたのと、会社を新しく作ったことも理由だけれど。
一方で、国内旅行はなんだかんだでよく行っている。

この旅先で、なんかこの後の人生でやるべき産み出したい《労働と学業》が、朧げながら自分の脳内の宇宙にも彗星の如く、流動体の如く、すっと過ぎった。
なんていうか、めちゃくちゃ論理的では無くて辻褄のおかしい文章を圧倒的に書きたいって欲望と、めちゃくちゃ論理的であって完璧な素晴らしい論考を根源的に書きたいって願望が、脳内に同居してきてる。
カッコ悪くてカッコよくて、綺麗で汚くて。
そのどちらでも無いのが無意味に思えてくるような。

来年は50歳だ。
So kakkoii かどうかはともかく、来年、それをやろう、自分も産み出そう。

酔ってるからか、旅先だからか、カフカとケラさんとオザケンのせいか、なんてまとまりの無い文章。


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