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覚悟のないプロジェクトマネジメント

プロジェクトマネジメントとはプロジェクトを管理すること。

では、管理とはなにか。
私はこの問いについて、過去同じプロジェクトにご意見番として参画されていた大先輩から投げかけられたことがある。

管理とは何か

かんり【管理】
( 名 ) スル
① 組織を取りしきったり、施設をよい状態に維持したりすること。 「ビルを-する」 「業務を-する」 「国立公園の-」 「品質-」 「健康-」 「 -者」
② 私法上は、財産などについて、その性質を変更しない範囲で保存・利用・改良を目的とする行為。または、他人の事務について、その内容を現実化するための行為。

辞書にはこう記されているけれど、自身がそのプロジェクトとしてどう立ち振る舞うべきか改めて考えるきっかけになった。

「目的を達成するために、計画をたて、リソースを集めて、実行を監視して・・」というような教科書的な答えをその時は返したような気がする。

頭では理解はしていても現実には計画通りに物事が進むことばかりではなく、進捗遅延やトラブル対応に追われていた。
その原因を確認し、対策を考えて、必要に応じて変更を調整する。その繰り返しだった。

業を煮やした彼は私に電話口にこう言った。

「管理するって言うのはもっとシンプルだ。
決めたことをやり、やらせろ。まずはそれからだ。
俺は厳しいことを言っている。君も厳しくあれ。」

この言葉ではいまでもよく覚えている。
これは自分の性格に起因するところも多いのだけれど
物事が計画どおりに進まなかったとき、どこか分析的に、その理由について「納得」することを優先してしまっていたように思う。論理的に説明ができ、より妥当な計画変更を合意できるかどうかを重視していたのかもしれない。

臆病な対応者

自分のやっていたことは「管理者」というよりも「対応者」に近かったのかもしれない。事が起こったとき、それに上手く対応し、場を収めようとする。

メンバーが困難になっている理由をきちんと理解しようと努めていたつもりでも、それがプロジェクトの結果として遅延につながっていたのかもしれないのだ。

ちなみにその方は、他のメンバーにも厳しかった。耐えきれず泣きだしてしまったメンバーをケアするのは私の役割だった。

それでも、このプロジェクトが最後にはなんとか形になったのはその先輩の檄のおかげだと思っている。

優しさと自己保身のバイアス

メンバーの”できない理由”に納得しようとしてしまうと、知らぬ間に自分の管理者としての責任についても、”できなかった時の理由”を用意しようとしてしまう。避けがたい、自己保身のバイアスである。

そんな無意識に保険をかけてしまう、管理者としての覚悟のなさに気づかせてもらえた貴重な経験だった。

計画は絶対ではない。状況に応じて見直し、切り替えることは重要だ。メンバーに理解を示し、敬意をもってフェアに対応することも今でも大切にしている自分の価値観でもある。

でも決められた計画に対して、いかに全力を投じさせることができるか。「無理です」というメンバーに対して「無理じゃない」
と思わせることができるかも管理者として必要な資質なのだと思う。


たまには本業のことにも触れてみました。専門の方にはつまらないことかと思いますが、感想などお聞かせいただけば幸いです。

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