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コミュニケーションに疲れたら

人は社会的な生き物である。昨年読んだ「サピエンス全史」にもそんなことが書いてあったような気がする。
個体としての能力は高くなくても、コミュニケーションによって集団を形成し、役割をわけて協力することで発展してきた。
そんなヒトにとって、意思疎通ができないということは身体的な機能の欠陥よりも致命的なのかもしれない。

コミュニケーションは、ヒトにとって有史以来の重要な能力であるはずなのになぜいつまでも同じような行き違いや誤りを続けてしまうのはなぜなのか。これまでの自分の経験から次の3つに整理をして見た。

・論点の不一致
・目的の不一致
・背景の不一致

論点の不一致

まず、多いのは論点が合っていない場合だ。これは気をぬいていると会話の中で何度でも発生する。本筋ではないところの発言に気をとられルートを外れてしまう。売り言葉に買い言葉。反射的に言いたいことを言ってしまう癖がある人との会話ではこれが顕著になる。
常に今の論点はなにか、そこからズレた話題で話してはいないか。と意識して会話する必要がある。相手が論点から外れたら「ええと、確認だけど今の論点は・・で良い?」と軌道修正を促すようにしている。

目的の不一致

二つ目は、コミュニケーションをとる目的の不一致だ。その理解をお互いにしていないとうまく進まない。
例えば一方は「トラブルを報告して指示をもらう。」もう一方は「トラブルの解決案を評価し判断する。」という目的だと考えて、会議室に入ってくれば、その後の展開は明らかだ。
ずれがあるかもと感じるのであれば、本題に入る前にそれをすり合わせした方がいい。アジェンダを作るのであれば、アジェンダに目的を書いてもいいし、ホワイトボードに大きく目的を書いてもいいと思う。

コミュニケーションには、コストがかかっている。一方の勝手な思惑だけで相手の時間を奪うのは良くない。

背景の不一致

最後は背景の不一致だ。これは経験を積んだ人、熟練した上位の人間ほど注意が必要になる。当然のことだけれど人の知識、経験、立場や主義は異なる。あなたの常識は、目の前の相手には適用されないかもしれないし、「良し」とする価値観も時代によって変わるし、「普通」、「簡単」、「難しい」といったあらゆる形容的な表現は人それぞれ違うということを忘れてはいけない。

この不一致は解消することはできない。「不一致はある」と理解した上で、共有できる言葉で目的を設定してコミュニケーションをとるしかない。
相手がまったく理解できていないと感じるのであれば、きっとどこか背景が異なるのだろう。自分のもっている知識を相手は持っていないのかもしれないし、もしくはその逆なのかもしれない。
コミュニケーションの目的が「相手の無知を証明して痛めつける」でないのならば、その見えていない部分を探るほうが建設的ではないか。


今回は、「論点<目的<背景」と階層的に順に分類をしてみた。
他の切り口での分類や考察も世の中には溢れているとは思うけれど、個人的に特におすすめなのは、最後の背景の不一致を意識することだ。

人間関係の悩みは大抵これで緩和されるんじゃないだろうかと考えている。まったく受け入れられない相手と出会った時にも

「きっと自分とは違う世界を生きているんだろう」

と思えれば、憤りよりも好奇心が上回るのではないだろうか。




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