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唯だの主婦カク語リキ 002

マイ、ペースを守ること

 ただの主婦、かく語らずとうとう3ヶ月。
停滞期は体重も増えること山の如く。

 はてさて近況はさておいて、私の自分のペースはどうやら随分と遅いようで。取り掛かることも一歩踏み出すことも、ワンテンポ遅い。(特段普段の行動は遅くはない。むしろ行動力はあるといわれる部類である)
遅めのタイミングで生きているもので、「遅め」と気がつくのも遅かった。自分のペースというものを掴むことができてきたのはつい近年のことである。

 それでも若い頃は、無理やりにハイペースで色々と取り組んでいたように思う。いや、周りに合わせてやるしかなかったといってもいいのかもしれない。
一定の歳になったら小学校に入り、その次には中学校。受験をして高校に入る。決められた期間で決められた内容を学び、遊び、そして去っていく。同じペースであたえられた「教育」で勉学は学べたけれど、ペースの遅い私はそれ以外の成長は遅かったのではないだろうか。

 

子持ちの主婦ならついて回るであろう「ママ友トラブル」。

かくいう唯だの主婦である石川君子も例に漏れずにこの問題にぶち当たった。
きっかけは些細なことであり、ちょっとしたすれ違いや認識の違いだったように思う。(後から思えば、そしてこちらの見解としては)
そもそも、だ。高校時代から女子のグループに入ろうと努力しても、なぜかいまいち馴染めず、理由のわからない「シカト」ってやつに少なからず出会ってきたこの身。相手を「シカト」するに至らしめた原因かもしれない自分の行動もわからないままであった。
 長男が幼稚園に入ってすぐに、出会って間もない同年代の「ママ友」ができた。男子の親4人ほどでお茶をしたり、ランチをしたり。ちょっとした青春時代のリバイバルのような、キャイキャイと日常を愚痴る日々。平穏で、そして10代のころ憧れたような関係性の相手ができたことに喜んだ。ひょっとしたら「キラキラママ」の端くれにはなれたかもしれない。そんな「女子の友達」ができるような人間に成長できたのだと、自分を誇らしくさえ思った。
 そんな日はあっという間に終わった。
他の3人では連れ立っているようだけど、一切に呼ばれることは無くなったのだ。誰かの言葉を借りて言えば「みじけえ夢だったなぁ‥」
 そんなこんなで、残りの8割の幼稚園ママ生活は結局ほぼグループに属さず。10代のころと違うのは、笑顔で挨拶。唯一、件のママ友一名を除いてはごく普通に接することができる程度には大人になっていること。そして別のクラスや女の子ママとは仲がいいこと。現在卒園から6年、息子が中学に入る歳ですが、当時のママさんたちとはいい関係を築けているままです。
 なぜこうも関係性に違いが出たのか?当初仲良くなった一名の件のママさんと他のママさんたちとは仲良くなるペースが全然違ったように思う。出会うタイミングは一緒でも、一緒に出かけるとか、家族の話をするとか。そういったタイミングやペースが格段に違った。
そう、トラブルがあったメインの「ママ友」とはあっという間に仲良くなって始終行動を共にしていたのである。そしてそれは私のペースではなく、相手のペースであったということ。相手のペースに巻き込まれ、普段しない選択をしていたのである。

 とはいえ、基本的にはマイペースな私。痛い目にあった経験から、その後は最初から1人でいることを比較的嫌だと思わなくもなっていった。トラブルになるくらいならその方がよっぽど気楽なのである。

 それでも下の娘の幼稚園の時にもググッと仲良くなった「ママ友」がいた。

前回とは違うかな、と警戒しつつも仲良くなった。安心して付き合えるようになったな、と思った頃から彼女との関係が疎遠になっていった。
「ああ、またなのかな」少なからず落胆しながら静観していると、それが彼女の習性であると気がついた。
 彼女は気になった「誰か」に遠慮もなくグイグイと近づいていくのだ。ランチに誘い、子供を預かり、一緒に公園に行き、お茶を飲みに家に誘う。そうして次に気になる「他の誰か」を見つけたら、「先の誰か」への興味は薄れていく。
 なるほど。こういう感覚の人もいるのね。と、比較的冷静に見つめていられたのは、上の息子の時のトラブルがあまりに「トラブル」すぎたからであろう。
 なお、娘世代の他のママさんたちとは、少しずつ仲良くなり、卒園する頃にはお酒を酌み交わしたり子供抜きでランチをしたりと大変仲良くさせてもらっている。ちなみに、娘が小学校に入った今も、件の「ママ友」とも「ママ友として」仲良くさせてもらっている。特段痛い目に遭ったわけではないが、ちょっとした肩透かしを食らった感のある出来事であった。


気がついたきっかけは、30代後半で結婚した昔からの友人の言葉だった。

大学学生時代からの友人は、40歳を目前にして結婚した。相手はマッチングアプリで出会った人物であった。
彼女がマッチングアプリを登録したきっかけは、私が高校時代の友人がそのアプリで積極的に「婚活」し、彼氏を見つけたと伝えたことだったという。登録して、いわゆる「婚活」をガツガツしていたかというとそういうわけではない。
むしろあまりやっていなかったという。そんなタイプにも見えない。
 そんな彼女は、やはりスロウなイメージの女性で、メールの返信も遅い。遅いけれどじっくり考えてきちんと返信してくれる。
 マッチングアプリの相手にも、即レスをしたりするわけではなく、自分のそのペースを変えずにやり取りをし続けたそうだ。それで途切れることなく、顔を合わせるまでに至った男性と付き合うようになり、結婚まで至ったとのこと。
マッチングアプリで良いとされるペースや、自分を偽ったプロフィールで気を引こうとするのではなく、自分のスタンスやペースで、それを良しとしてくれる相手を見つけ出したのだ。
 それを聞いた時に心底ハッとさせられた。自分をよく見せたい、大きく見せたいという欲求はどこでもついて回るもので、誰しもが抱えるものだと思う。けれども本当に必要なのは自分が一体どんな人間なのか、何ができて何ができないのか。特に人生を共にする相手を探す婚活という上ではこの上なく必要な情報であって、等身大の人付き合いをする上で最も大切なものと言えるのではないのだろうか?

 

どちらのママ友にも共通していたことは、「私の」ペースで距離が近づいたわけではなかったということだ。

「相手の」ペースに巻き込まれて、仲良くなった気になって警戒をしなかったことだ。急速に仲良くなれたことを喜んでしまって、心を許してしまったことにより、自分の心を乱された結果となった。
そう、悲しいかな10代から全然成長できていなかったということだ。
 だが、そこは底力の30代唯だの主婦。今度こそ学ぶ。「友達」は自分にも選択肢があるのだと。相手にばかり選択肢を渡していてはいけないと。
「友達を選ぶ」という言葉の裏にはそういった意味があったのだ。そんなことにようやく気がつけた30代半ば。時同じくして結婚した友人の言葉で、自分のペースを守ることの大切さを知ったのである。
 もちろんそれは人間付き合いに限ったことではなく、仕事や続けていることにも共通すること。
趣味でも仕事でも結果が出るには時間のかかる自分のペースを見極めて、決して慌てて美味しい話に飛びつかないこと。(飛びついた件で仕事でも痛い目に遭ったことは…またの機会に書くこととする)
それらを守るようになってからは、ありがたい話が相手側から舞い込んでくるようになった。そして時間をかけて自分の中に築いてきた自信を持って対応できるようになってきている。それは決して誇張しているわけでも卑下することもない、他人に侵されることのない、私にとっての確固たる自信である。

 確かに、小さな頃から「大器晩成」のレッテルを貼られてきた自分だったが、ペースの遅い私ならば、うん、確かにそうなのかもしれない。ようやくいろんなことがわかってきて、わかることが嬉しいと素直に思えるようになった。
まだまだわからないことも沢山あって、仲良くなっていく人、離れていく人もいるだろう。それらの出会いとわかれの全てを勉強だと思って今後も学んでいきたい。
大器は「晩成」なのだから。
まだ晩ではない、いつか「成った」と言える日まで。
マイペースで、いきましょう。


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