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思考を盗ったらあきまへん 2022/11/28

日記

・そんなことあるんだ……と驚く出来事があった。

・毎回学生にレポートと題したリアクションペーパーを書かせ、次の回でその内のいくつかを紹介するという形式をとっている授がある。これ自体はどこでも普通に行われていることだ。今日もいつも通り、紹介されている感想に目を通していたのだが、その中の1つに強烈な既視感を覚えた。その文章は、理知的で多少難解な言葉も使用されている一方、一文は短く区切られていて、つっかかることなく読める。この文章どこかで……どこかで……。

・ハッ!と脳内を薄茶色の液体が流れていった。これは!!これは!!

・恐山さんのウロマガからの剽窃だ!!

・こんなところで毎朝毎晩読んでいる文章に出会うと思っていなかったので、驚きで声が出そうになった。まさかウロマガの文章を自分のスマホ以外で読むことになるとは。なんという偶然!


・そうして最初は驚きが感情の大半を占めていたものの、冷静になるにつれ、今度は嫌悪と怒りの念がふつふつと沸いてきた。ただ、自分が何を憎んでいるのかがわからない。大抵の学生が真面目にリアクションペーパーを書いているのに、その人だけズルをしているとか、そんなことは私に関係も影響もないのでどうでもいい。剽窃やコピペ自体はまぁやりたい人が勝手にやればいいと思っている(良くないけどね!)。バレたら私の預かり知らないとこで怒られればいいし、バレなかったらそれまでの話だ。

・30分ほど、何が私をこんな気持ちにさせているんだ……と人の話も聞かずに考えて、ようやく答えの切れ端のようなものを掴んだ。たぶん、私はWikipediaや科学的な研究結果など、どんな道筋を辿っても導き出されるデータ的なものが剽窃されている分にはふ〜んで済ませられる(良くないけどね!)。しかし、思想や意見、着眼点など、各個人の「思考」が強く表れている文章の剽窃には激しい嫌悪感を抱き、許せないとすら思うらしい。

・思考は、人間が人生の全てのシーンを通して独自に、密やかに錬成したものだ。それを掠めさらい、自分の物かのように表明すれば、全く同じ「思考」をする人間が2人いることになり、独自性や神秘性を無残にも剥ぎ取ることになってしまう。つまり、「思考」が表れることばを剽窃をするとき、盗んでいるのは文章だけでなく、その人の"すべて"ということだ。こういう、個人の持つ独自性を重んじる考えが心の奥底にあるからこそ、「人様の思考を盗んだらアカン」という気持ちが強いのかもしれない。

・あと、他者からは絶対に覗き見られないはずの「思考」を言語化して、我々にも知覚できる形にしてくれているのに、それを盗むとは無礼千万!という道徳的な怒りもあるように思う。


・わざわざ告発する必要もないかなとは思いつつも、溜まった義憤を発散させたくて、授終わりに剽窃でっせと伝えてしまった。

・ごめん、剽窃した人。まさか暇さえあればウロマガのバックナンバーを延々と読む生活を数年続けている人間が同じ部屋でお勉強しているとは思わなかっただろうな。本当にすまない。


・指を使ってスマホで絵を描いている人を電車で見かけて、髪の毛の描き方教えちくり〜〜〜と念を送ったが、当然無視された。でも、本当に突然「私が髪の毛の描き方を教えましょうか?」と声をかけられたら怖くて一目散に逃げちゃうな。イラスト講座の世界に迷い込んだのかと思うだろう。


・最近、全然写真を撮れていないせいで日記に彩りがない。noteも文字の色を任意に変えられるようにしてほしいな。そしたら、(任意のまとめサイト)さん僕のレスは虹色でお願いしますと書けるのに。

・そういえば、「〇〇説」って源流は2ちゃんねる発のネットスラングだったけど、もう完全に「水曜日のダウンタウン」の専売特許になって定着したな。放送開始当初はまたネットの言葉がテレビに奪われた!と怒っている人が若干いた。

・でも、水曜日のダウンタウンが始まった時点で「〇〇説」を使用するメイン層はTwitterの人々になっていて、2ちゃんねる内ではすでに廃れていたような気がする。 私も番組を見ていてノリが古いな〜と思った記憶が微かにあるんだよな。そう思うと、一度滅びかけた言葉がまた隆盛して、そこから完全に定着するまでに持ち直したのはすごいことだ。テレビの圧倒的な強さを感じずにはいられない。


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