年末年始の忙しさと自分の選択
昨年の12月は前倒しで仕事を進めて、振り返りのnoteを書き、年末年始は家族のために時間を使うと決めていた。
でもイレギュラーなことが色々とあり、予定は完全に狂ってしまった。
そんなこんなで、私は年末から年始まで休みなく働くことに。
1月の3連休が終わる頃には、流石に疲れが出てきて「自分は何のために働いているのだろうか?」という問いがぐるぐると頭を巡っていた。
ふと何かのせいにしたくなるのをぐっとこらえる。
そんなとき、いつも思い出すのはこの言葉。
「仕事はいつでも辞められる」
さらに、こんな風に変換される。
「仕事をすることを選んでいるのは自分だ」
自分の選択だということを思い出すだけで、心にすっと涼しい風がよぎるのを感じる。
そして、その風は新月のような細い軌道を描き、くすぶっていた気持ちの炎を一瞬のうちに消してくれる。
よくよく考えると、仕事については「年末年始にお休みをいただきたいので...」と相談すれば、納期を延ばすことはできたはず。
でもそれをしなかったのは、自分自身の選択なのだ。
とはいえ主婦の年末は、やることが山盛りある。
大掃除は手を抜いても、毎年絶対に手を抜かないと決めているのはお節料理を作ること。
私は毎年、12/30、12/31で二家族分のお節料理を作っている。(自分の家と実家の分)
品数が10品目以上ある上、1/1〜1/3毎日食べられる量を作るので、冷蔵庫もキッチンも大変なことになるのだ。
たとえば、
・伊達巻き4本=卵16個
・紅白なます=大根1本+人参2本
など他多数。
当然ですが...仕事をしながら大量の料理を作るのは、なかなかにハードです。
でも夫や実家の両親が楽しみにしてくれているので、毎年欠かさず作ると決めている。
品数を減らさないのも自分のこだわり。喜んで食べてくれる人がいるから、どんなに忙しくても今までお節料理を作らなかった年はありません。
そういえば、上坂徹さんの書籍でも同じような内容があったと思い出す。オレンジのマーカーを引いたお気に入りの箇所だ。
料理をしながら、仕事も同じだなと感じた。
納品を待ってくれているクライアントさんがいるから、私は頑張れるのだ。
食べてくれる人がいるから、私はお節料理を作るのだ。
私は私の周りにいる大切な人のために「やるべきこと」を選択しているだけ。
とはいえ「次の年末はもっとゆとりを持ちたいな。」という気持ちもよぎる。
それでも、今年の12月も同じように、仕事をしながらお節料理を作っているのだろうな…。
それが私自身の選択なら「仕方ないな」と笑って受け入れるしかない。
人に喜んでもらえるうちが幸せであり、それが永遠に続くことはないのだから。
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