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子曰く、②

四月に師匠と会いました。
(私の記憶の限りでは)はじめて会った師匠は、思っていたよりも小さく、穏やかに眠っていました。


師匠は、白いワンピースを身に纏って愛媛の海ではしゃぐ私の写真を見て「海の妖精のようだ」と手紙をくれたひとです。

師匠の手紙は、病室にあったであろう少し厚い正方形のペーパーに書かれていました。
病気のせいで視力がひどく落ちた師匠の字は、一文字一文字が大きく確かめるように書かれていたので、ペーパーは四枚に渡りました。

手紙はすべて筆ペンで書かれていたのですが、最後のページに添えられた白いワンピースを着た私のイラストは、ペンが少し滲んで妖精というよりも正直妖怪のようでした。(!)
妖精といえばキラキラ魔法の粉で舞うティンカーベルなんかを想像して手紙をめくっていたので思わず笑ってしまいましたが、時々線からはみ出しながらもワンピース以外を色ペンで塗られた妖精はとても可愛らしかったです。

鼻擤みにしては少し痛そうで、文字を綴るにしてはやや頼りない厚さの手紙。クリアファイルに挟んで、そっとしまっておきました。
これは花束をつくるような愛だと思うから。



母や師匠の姉である親戚のおばちゃんは、よく師匠との電話で「この冬乗り越えたら大丈夫やよ!」と言っていました。
だけど私は、師匠がLINEのグループ電話を抜けた後、母とおばちゃんが深刻な声色で話し合ったり、励まし合うのも知っていました。

師匠が実際にどういう状態で、何を感じていたのかはわかりません。
スマホの中の声と写真と、時々交わす文章でしか、私は師匠を知りませんでした。

ただ、「いつでも何でも連絡してきて。メールでも電話でも。遠慮は無用」と言ってくれた師匠の言う通り、私は遠慮なんかせずもっと連絡するべきだったのだと思います。
そのとき渦巻いていた悩みとか、たまにある希望みたいなことを師匠に聞いて欲しかったと思います。

桜が咲いて、雨が降り、ほんの少し緑が見え始めた頃。師匠は「どうや。頑張ったやろ」と言い遺して眠りにつきました。



お別れの日、母の背中は小さく丸まっていました。
おばちゃんはひとり、普段着でやって来ました。
私ははじめて師匠に会いました。

百合、向日葵、あとよくわかんないけど色とりどりの花をみんながそれぞれに手向けている時、突然長渕剛の『乾杯』が流れ始めました。
それは紛れもなく、今ここに、あふれんばかりの花々に囲まれて眠っているはずの師匠の声でした。

思いがけないことに小さくどよめく親族を置いて、スピーカー越しの師匠は『乾杯』を見事に歌い上げます。
そうして最後にのんびりとした声で「お幸せに〜」と告げて、また眠りについたのでした。

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