見出し画像

中学生の頃、親友がいた。(2)

続きです。

彼女の発言は、学力差別なのだ。
学力を理由にした、侮辱、嘲笑、プライバシー軽視、いろんな目にあってきた。
学力が「よくて」だ。「悪くて」笑われているのではない。「よくて」笑いものにされる。

※ここで、まずあらかじめことわっておきたい…
私の学力なんて大したもんじゃないということを!!!ただただド田舎の九州県のある町の、地域の一番の進学校(普通科)に、ギリギリ入学できるかどうかの学力くらい。。と思って頂ければ。(お察しください)

ただ彼女は、そうじゃなかった。ただそれだけの理由で、彼女が一方的に「私」と学力格差を感じてた。

もっと言うと、私と彼女の頭なんて全然たいして違わない。私はとことん努力型で、天才型とは程遠い人物なので、授業が一回聞いただけで理解できるはずもなく、教科書をパラパラ眺めるだけで記憶できるはずもなく、何度聞いてもわからない、何度見ても覚えられない、そこを、何度も何度も考えて、机の前でウンウン唸り、あきらめて、ボーっとして、誘惑に負けて時間をムダにして、でも親が厳し過ぎるから、テスト期間に罪悪感と自責でワアアっとなって、夜中や早朝に泣く泣く宿題をし、ちっっともできない科目もあって、そりゃあ赤点とったり、それを親にバレたくなくて、恐怖で細かくちぎって少しずつ捨てたり、ごくごく努力型のやつである。

いや、言いたいのはそこじゃない。
私と彼女の頭が全然違ったとして、私がものすごい能力者だったとしても、彼女に私を非難する権利なんてない。

大したもんじゃないけど、あえて「頭のいい人」の立場で言わせてほしい、
まず、頭のいいひとで何の努力もせず満点の天才型なんてファンタジー(妄想)の産物。
そして、天才がいたとしても、その人も99.9%めっちゃ努力してると言うことを。

その後通った進学校の高校は、学年に1人だけ本当に頭のできがいい人がいて、いわゆる一回見たら覚える系の人だったが、その人ですら更なる高みを目指して、行きたい最高峰学校に行くために我々のレベルを遥かに越えた勉強をしていた。応用問題や記述式などもそうだけど記憶しているだけでは書けない、点もらえない問題が、高みを目指す一流たちをふるいにかける手段らしかった。そりゃそうだろう、何の努力もしない人材など誰も来てほしくない。人間として一生懸命脳で思考することが、いわゆる俗に言う「頭がいい」てことなんだろうから。


言いたいのは、「ズルい」「楽にわかる」なんてのも、「わからない人の苦労はわからない」だの、いずれも事実無根だってこと。

たまたま、社会科のテストが「世界地図」の単元だったことがあった。中学校入学式から間もない最初のテスト。範囲に「世界地図そのもの」が入っており、国名を全部覚えろと教師が言った。全員が「うそだー」「ぜってぇむり」と沸いた。私もげんなりした心底。ただ、中学校最初のテストだ、これから3年間社会科の勉強の間ずーっと世界地図は出てくるんじゃない?じゃあいま一回できる限り覚えておいたら後が楽になるんじゃない?と思った。のちのち楽したい!と言うモチベーションでものすごく頑張った。手書きで世界地図を何度も書いた。何度も何度も繰り返し覚えた。

こともあろうに、社会科教師はテストを返すとき黒板の前から一番に私の名前を呼び、いきなり私の答案をピラッとひっくり返しクラスの目の前で全員に見せた。「みろ、100点(笑)」と。


私は青ざめた。

その瞬間から、私は「ガリ勉のかこらさん」になった。


昨日まで「テストやだー」と笑い合えた友達たちから遠巻きにされてしまった。もう「テストあるある」で盛り上がれない。仲良くなりかけた入学当初なのに。かわりにしゃべったこともない男子から「ほかの点は?」としつこく問われ、名前もあやふやなクラスメートから家にTELで突然数学の質問をされた。
誰も助けてはくれない。

中学生だって中学校で社会生活をおくっている。
狭い世界で。ガリ勉はいつも「コソコソ隠れて自分だけ抜け駆けしようとする悪人」の側面を負わされる。

「よくて」嘲笑されるなんてことが、本当に起こるか?とお思いだろうが、ある。
もし、いま、ご自身の過去を振り替えって、ほんの少しでもなんかわかる…と感じた方を、私は誠実だと思う。
他の国のことはよく知らないけど、日本全国で普通にみられる現象だ。学校、教師公認の差別。

運動部活動で個人優勝したり、期待される優秀な成績を出せた場合、たいていの場合「すげぇな」「がんばったね」と爽やかだ。「隠れて練習やってる」「体格が元からいいだけ」「努力してないズルい」など、クラス総出でネチネチと煙たがるようなことはない。

もしその子にネチネチいうようなやつが仮にいたとしても、「だったらおまえも努力すれば?」というカラッとした正論が、クラス全体の総意になるだろう。

学力となると、雰囲気は真逆となる。
クラスメート全員に、こちらのせいで嫌な思いをさせたという償いをしなければならない。
一生懸命、一生懸命、また少しずつ、頼りないところもあるよ、こんなにもわからない問題もあるよ、私もただのたいしたことない人間だよ、敵意はないよ、バカになんて全然しないよ、友達でいてよ、を態度で示し続けていかなくてはならない。


たとえ、
やっかみだとしても、
嫉妬だとしても、
だからなんだ。
差別していいことにはならない。

これは学力差別なのだ。
きっとされたことのある人が多くいるはず。
声をあげることも許されない。
だって、生意気だから。
でも、間違ってる。本当は。こんなこと。

彼女と一緒の高校にいったら、
この状況から絶対に逃げられないと思った。
私は、私よりも、頭のいいひとだらけの場所に行きたかった。少なくとも、こんなちっぽけな努力型の人間が、吊し上げられる世界から抜け出したかった。

だから、彼女と一緒にいくわけには
いかなかった。絶対に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?