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らべあろ観光~小田原城~

らべあろ観光名城名勝巡り
いよいよ小田原城までやってまいりました!
みなさまの素晴らしく豊富な知識と
深い深い造詣に圧倒されて
ほんとに私がここにいてもええんかしら?と思うのですが
バス旅行ということなので
おやつ食べながらお昼寝しながら
こっそり乗せて行って頂いております。

さて江戸城を詠まれた橘鶫さんの
すんばらしい御句がこちら!

江戸城の光陰幾重鶴帰る

歴史の光と影。。。
ひとつひひとつのお城に
沢山の歴史とドラマがありますね!

さて頂いたバトンは
小田原城ですと!!!

小田原城は、室町時代に西相模に進出した大森氏が築いた城郭が前身とされます。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。

1500年頃、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え、城と城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。

しかし、天正18年(1590)、石垣山(一夜城)の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。

北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参陣した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。その後、大久保氏の改易にあたり、城の一部は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。

貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。

小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年(1872)までに城内の多くの建物は解体されました。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年(1901)には、二の丸に御用邸が建てられました。しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。

その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門、平成9年(1997)10月に銅門、平成21年(2009)3月には馬出門が完成しました。

小田原城HP
小田原城

ではここで拙句w

春終わる難政不落の城もまた   土井あくび

(はるおわるなんせいふらくのしろもまた)

1500年代より北条氏が5代にわたり
関東地方の防御の要として長く栄えたお城。
その後も城主を変えながら長い期間
幕末まで難政を司ってきた拠点であったようですね。
しかしそんな長らくの栄華もいつの日か
終焉はくるものなのですね。
行ったことないし見たことないから知らんけど。(笑)
なんかこんなんですいませんw

さてお次は駿府城でしょうか。
ここらへんでいつもバス旅行企画運営を
してくださっているalohaさん!
お次をよろしくお願いいたします。
いつもラベンダーさん共々ありがとうございます!

なにとぞ~よろしくお願いいたします~~。

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