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らべあろ観光 名勝・名城めぐり 五稜郭

みなさん、こんにちは。
運転手のAlohaです。
庵さんからバトンをいただき、五稜郭で詠ませていただくことになりました。

まずは、五稜郭について簡単に

五稜郭とは 北海道函館市にある日本初の西洋式城郭です。
外国からの侵攻を防ぐために江戸幕府が築きました。
1857年に着工、1864年に完成しています。
『稜』とは角のこと、5つの角がある城郭なので五稜郭。
この角には砲台を設置できるようになっています。
死角のない攻守に優れた最強の城の形、が五角形なのです。

五稜郭、といえばみなさん思い浮かぶのは箱館戦争のことと思います。
五稜郭からほど近い函館市若松町には 新選組鬼の副長 土方歳三の最期の場所の地碑があります。

今も熱狂的なファンのみなさまの供えるお花が絶えません

江戸城が無血開城し江戸幕府がなくなったあとに、行き場を失った武士のために、海軍副総裁であった榎本武揚とともに北海道を開拓して蝦夷共和国を作ろうとした土方歳三。
そこで新政府軍との激しい戦いののち、戦死。
享年34歳。

正直申しまして、京都にいたころの新選組についてはいい印象がありません。
ただ、武士の世の中からいきなり明治という新しい世の中に変わってしまって行き場を失った人たちがたくさんいた。
その時代の流れに逆らっても最期まで武士で生き抜いた人であると思います。

五稜郭開城の直前、籠城を好まなかった土方は、包囲する新政府軍の銃弾の雨の中に、自ら最後の反撃に打って出ます。
腹部を打たれ即死状態であったと言われています。

土方からの最後の命を受けたのは、美濃国大垣の生まれでわずか15歳で新選組に入隊した 市村 鉄之介でした。
一路 土方の故郷 現在の東京都日野市に向かう市村少年。
手に持っていたのは土方の遺品となる遺髪や写真、辞世の和歌などでした。

俳句を嗜んでいたという 土方歳三。
有名な句に
梅の花一輪咲いても梅は梅
があります。
現代の俳句の専門家からは
俳句のルールもなっていない、へたくそな作品
と言われているようですが、なんだかすーっと心に沁みてくるような気がします。

そんな土方歳三に思いを馳せながら、拙句詠ませていただきます。

散り際の美し夢見草遥か蝦夷

ちりぎはのいしゆめみぐさはるかえぞ

あ、あと土方の実家は薬を作っていました。
痛み止めのような打ち身や挫きを癒やす効果があったとされています。
おまけの拙句

春窮や石田散薬なぞ効かぬ

しゅんきゅうやいしださんやくなぞきかぬ

お粗末様でした。(笑)

次は毎日ご自身で推敲されながら大切に御句を詠んでおられるこの方に。

嶋田さーん。
仙台城、よろしくお願いいたします。

もひとつおまけ
函館 と言えば食べ歩き。

星龍軒の塩ラーメン食べて


うに むらかみ函館本店のうに丼食べて


吉田商店のスープカレー


ラッキーピエロの土方歳三ホタテバーガー


締めはアンジェリック・ヴォヤージュのもちもちクレープ

どんだけ食べるねん!!(笑)
Alohaでした。




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