時計がない世界じゃ、待ち合わせができないね

今日はサポートしているChaton the Noteのコーラスレコーディングだった。時間間違えしまってヒヤヒヤしたけれど結果時間内に収められてヨカッタ、、。歌を録音するのは好きだ。あと、自分の声をユニゾンで重ねるのも、録音したノイズのかかった自分の声も好き。落ち着いて眠くなる。

そのあとスタジオ入って、トイレに行こうと角を曲がったら、押すタイプの自動ドアに気付かず衝突。動けないほど痛いけれど、アホすぎてみんなに注目はされても誰も助けてくれない。マーシャルに頭をもたげて「イタイ。。。イタイ。。。」と呻いた。自然に涙が出たのでひとまずドアをあけてトイレに入ったけど、鏡を見たら規格外にデカイたんこぶができていた。

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2019年の誕生日あたり、幸せすぎて怖いな、と言っていたけど、2020年が始まって早々、運勢が怪しくなっている気がする。。もうすでに、喫茶店の出勤に大遅刻したり、レコーディングの時間間違えたり、めちゃくちゃデカイたんこぶできたり。わたしは、物事にはしくみや原因があり、そこを押さえるのがかしこいやり方だと常々思っているので、何故こんなに悪いことばかり起こるのだろう?と考えてみた。それが直接の原因じゃない、こじつけだとしても、自分を納得させてプラシーボ効果のように悪いことを追い払えるとも思う。

まず1つは誕生日にもらったチューリップが散ったのにそのままにしてあること。葉は色褪せ茎がどんどん腐っていくのに、飾り続けている。これは帰宅後すぐ捨てた。隣で乾燥していた紫の薔薇も捨てた。今までありがとう。

2つめは限界しりとりにハマりすぎていること。遅刻の前日はどちらも、夜かじりついてスマホを見つめ、目覚ましをかけるのも忘れて気絶するように眠っている。限界しりとりとは、クイズノックがリリースしたスマホゲームで、通常のしりとりに、ひとり2分の持ち時間とランダムな文字数制限を設けたもの。例えば「は7」が表示されたら「はーとぶれいく」「はっかんさよう」など7文字の言葉で返さなければならず、考えている間は自分の持ち時間が減っていく。このシンプルなゲームが非常に面白くて、暇さえあれば脳内で言葉を探してしまう。出てくる言葉は当たり前に、自分が知っており、かつ馴染みのある言葉なので、自分の語彙がわかるし、他人の語彙に触れることができるのも面白い。出てくる言葉は千差万別で、ときおり知らない言葉を知ることも。とても良くできたゲームだけれど、ハマりすぎて脳内の大きい範囲がそちらの為に使われてしまって、生活に支障が出ているのかもしれない。

ということで、このゲームを教えてくれた友人に勝って終わろうと思ったのだけど、勝てなかった。5戦5敗。わたしはS+1ランクまではいけて、結構強い方なのに、この前はスッと出たお題なのに、なんとなく、彼女に対する敬意や緊張に支配されて言葉が出てこない感じ。前にも思ったけれど、わたしは女性と戦うのが苦手だ。同じ性を持つ人と並べられて、優劣がつけられたりするのも怖い。私は、なによりも透明でいたいのに、誰よりも性差に敏感なのかもしれなくて、それが嫌だ。

彼女はわたしと違う女の子だ。顔や身長はもちろん、彼女は本をよく読んで、音楽をよく聴いて、演劇の脚本や演者をした経験があって、ベースが弾けて、精神的な病の気があって、家や服のセンスがとてもお洒落で、奇抜な髪色にしたことのある、あたりの優しい、ウーパールーパーを飼っている、歯並びがよく色の白い、個性があるけど可愛らしい女性だ。父母ともに音楽の素養があり、実家もマンションで片付いているらしい。私の持っている、彼女にないものって、私だから持てているものではない気がする。戦う前から怖じ気づく。

前に「詩合」という、お題に沿った即興詩を詠むイベントに出たときもそうだ。女流、と銘打って女性だけで詠んだわたしの詩はちぐはぐで、私の暗い部分ばかりが目立った。イベント中、身体をゆらゆら揺さぶられているような焦燥感があったのも覚えている。そのとき考えていたのも、「あの子はウェットな女性の気持ちをキャッチーに表現できて、そこに違和感のない魅力もある女性だ。」「あの人は自分の中にある膨大な言葉や感覚から、突拍子もないようで、しっくりとくる詩を詠める女性だ。」「あの子は優しく、近づくと暖かいものを生み出せる女性だ。」「あの人は女性としての経験も豊富で、私の知らない、けれど痺れるような、頭を打たれるような切なさや気だるさをセクシーに表現できるし、子どものような振る舞いもできる人だ。」みたいなこと思っていた。そして、「私は?私って何を求められているの?私って何?」とも。

あとになって、そんなことを考えて綴るものじゃないとわかるのだけれど(そんなこと思うのが一番つまらないことのくせに。と)、当事者でいると混乱する。自分のことがわからなくなる。でもこれは、とても良い経験になって、それからつくる音楽の素直さが上がった。まだまだ、誰かに憧れている音楽だけど、ゆっくり装備を脱いでいきたい。根本的な自我の強い人に憧れるけれど、こういう自分も大切にしたい。(わたしはワガママだしがさつだし道化だし自我も強いけれど、根本的なところがか細いと思う。)

ひとまず、限界しりとりは次にその子と戦う日までやめることにする。ああ、たんこぶが痛い。ジンジンする。死にたくないぞ。

明日、予定ややるべきことを片付けよう。フーテンになるのはまだ先だ。その日暮らしの真似事も終わりだ。当たり前のことをやろう。厄払いもしたいナ。お守りを買おう。それでは。

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