イノセンス

壊れかけのテープレコーダーズのニューアルバ厶、なんて美しいんだろうな。苦しい。

わたしは、高校を卒業する少し前にバンドを始めた。グッドバイモカっていうバンド。そのバンドで初めてコピーしたのが壊れかけのテープレコーダーズのアルバム、ハレルヤの中に収録されてる『街の灯』だった。なんかやたら渋くて寒い個人経営のスタジオで、池田(メンバー)がYouTube開いて、ライブ映像をみんなで見た。『蝶番をこじ開けろ』と、どっちをコピーするかって話合った。

ママチャリで40分以上かけて、スタジオまで楽器背負って向かってた。自腹で中古車買うまでそうだったから、冬の寒いときの思い出から夏の暑くなって、キーボードケース壊れてきてるときの思い出まであるな。冬はスタジオ終わったらソファーでストーブに当たって、持ってきたどうぶつビスケットとか食べてた。飲み放題のコーヒーはよく切れてるし、そもそも当時わたしはコーヒー飲めなかったし、独特の匂いがするスタジオだった。その頃はまだ母もピンピンして働いていてて、お菓子の卸しの仕事でもらってきた廃棄のお菓子を持ってきてたな。

遊佐さんが使っているのはYAMAHAのオルガンなんだけど、わたしが購入したのはRollandのシンセで、その中に入ったオルガンのプリセットの1番はじめに出てくる音をそのまま使ってた。何もわからなかった。別に今もわかってないけどさ。その当時、1番バンド活動の経験が豊富だったのはドラマーの子だった。わたしはほとんどバンドは未経験で、日々、真面目に反省していたな。手帳の、月のあとにある日にちごとの欄に日記を書く癖はこの頃からか。

初めてライブをしたり、恥ずかしすぎて逃げたりした。ライブハウスの扉をあけるのに緊張をしてた頃があった。ライブハウスの壁にあいた変な形の穴に、むりやり思いを馳せたりしていた。

わたしはどうしてバンドをやっているのか。根本。小学1年生のときの、将来の夢、に、バンドを組む、と絵を描いたから。スネアとシンバルしかないドラムと、ボーカルと、ギター、という無茶苦茶な編成のガールズバンドの絵を描いてた。わたしは頑固で、それから、ずっとその絵を心にしまって生きている。小さいころから音楽が得意だった。兄がバンドをやってる姿に憧れて、お風呂で熱唱して、適当にキーボードを弾いてた。バンドをやりたいけど、どうやったらいいかなんてわからなくて、高校入学しても友達できないし、何がやれるのかもわからなかった。グッドバイモカを始める前に、ネットなどで人を集めて組んだバンド、それだけの材料で「バンドやるから」と言い放った。そのあとグッドバイモカに誘われて、結局今までやってる。誘われたときに、「なにがあってもやるので、本当に嫌になったらそっちがやめると言ってね」みたいなこと伝えた。恥ずかし。でも今もそう思ってて、なんなら、やめると言われても反対した。

バンドをやること、自体が夢に設定されてたせいで、なんにも決まってないし、好きなものもよくわかってなかった。その中で壊れかけのテープレコーダーズをコピーしてよかったと今思う。理屈を越えたところで憧れられる。技術はもちろんだけど、ギターの、有象無象を蹴散らす轟音、繊細で優しく諭されている気になる音、「祈り」という言葉が思い浮かぶ音を、聴いていると涙が出る。二人の声が、少年少女の声に聴こえる。たしかに壊れかけのテープレコーダーズの音楽なのに、聴いてると、ほだされて自分の感情との境目がなくなる。世界にはいろんな良い音楽がある、でも、このバンドは特別かっこいいよな。

2020年になった。元号変わったし、予想のつかないことばっか起こってる。本当のことなんて何一つわからない。すべてを馬鹿にしたくない、ていう気持ちだけが一貫してる。もともと底辺と呼ばれるような暮らしを楽しんでしていたから、とくに不安もなく、激動だなぁと思って変な時間に眠っては変な時間に起きている。

バンドをやってるうちに、どんどん卑屈になったし、いい人間になんてなれてない。空気が読めなくて、人の目を伺って、それを責められて、さらに卑屈になって、動けなくなった。正しさなんてないけど、人と人と人が作用し合って何も起こらないわけない。いろんな人と会ったけど、あんまり打ち解けることもできなかったな。最近やっと少し、わたしはわたしのままでいいや、と思えてきた。剥がれる。わたしの、イノセンスと呼べる部分は、音楽がやりたい、という思いを捨てたくない、という気持ちだ。いやになる。

2020年になった。とりあえずの未来へ、って時々言い聞かせてもいいだろうか。

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