夜道を自転車で飛ぶ

多摩川を渡る橋を越えると、下道に出るための急な坂がある。うまくやれば橋のてっぺんから先、一度も自転車のペダルを動かさないで、家の近くまで辿り着ける。ブレーキを駆使して赤信号を回避しながら進み、街灯の少ない坂道に差し掛かったとき、暗い町を自転車が切り開いて、通り過ぎていく景色の速さに、ひとりだなぁと思った。ていうか、ひとりぼっちだなぁと思った。

荷台に誰かを乗せて走ることもできるけれど、大人になったらだいたい自転車ってひとりで乗る。わたしは自分本位な人間で、我慢するのは苦手だし、自由を履き違えて好き勝手に生きてきた。誰かと自転車を漕いでどこかへ向かっても、その誰かを置いて先に行ってしまう人生だった。それでいて誰かに置いていかれたら、寄り道して花を愛でる。そうしないと自由な気がしなかった。自分だけを乗せた自転車が夜道を抜け、ぐんぐん遠くへと運ばれていく。

若者がマンションの玄関先で話し込む季節が到来。いつまでだって話していられるのに、どこも行くところがなくて、立ったり座ったり入居者を避けたり。ひょろっと細いふたつの影を見つけて、春なのに夏の気持ちになった。団地、部活、夏休み、友だちの家にお泊まり会、夜になってから自転車で田んぼの側道を走ると、コウモリがたくさん空を飛んでいたこと。東京はたくさん歩かされるし、実家の周辺は様変わりして、今では遠いのか近いのかよく掴めていないけれど、当時はだいぶ遠かった友達の家。そういうのがわたしの過去に確実にあったのに、今、わたしはひとりぼっちなのかぁ、と、思った。そういうことに寂しさを感じない人間だったけど、少しだけ不老不死をこわがる人の気持ちがわかった瞬間だった。

実は本質的にまだまだひとりぼっちでもなんでもないし、色んな繋がりによって愛されているので、本気の孤独をナメていると言っていいくらいのインスタント・エモ。だけど、人生において寂しいと感じたことがあまりなかったので、日記に書いた方がいい気がした。4/17は寂しさ記念日。

それはそうとして。欲の核を追い求める、それを刺す。そうしないと進めないのだぞ、と腹の底から震える。寝不足だから眠いのか、生理がきたから眠いのかよくわからない。最近やっていること、得意なことばかりで転生者気分です。わたしはちょっと忙しいくらいが、色んなことをできるのかもしれない。、、とか、調子に乗っていると読み返して呆れる日が来そうです。


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