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はじめまして

note.
日本に来て、敦賀市で地域おこし協力隊をはじめたタイミングで知ったサイトです。
周りの協力隊員がnoteを通じて発信をしているので知りましたが、その当時の自分はあまりこの用途には興味がなかったです。もはや、noteが何かわからないが故の無関心。でも、今は何かわからないからこその関心があります。
今の時点で言えるのは、この書きやすさ・操作のしやすさは、何か思いついたら咄嗟に綴りたい自分にはとても合っている気がします。(逆に言えば、以前使用したウェブサイトの用に綴るまでにいくつかステップがあると、すぐやめてしまうという経験もあっての今です)

相変わらず日本語の拙いアメリカ人として、優しく見守っていただけると幸いです。
どちらかというと(ドMで)成長志向な私は、日本語の間違えに関してのご指摘をいただけるのが一番うれしいです。読んでくださる方にそこまでお願いするなんて野暮ですが、甘えさせてください。
ただ、日本語の間違い以外のご指摘、例えば生き方についての説教は、受け付けていないので、ご了承ください。
・・・という(つまらない)冗談は置いといて、
色々なご感想・ご指摘いただけると、本当にありがたい限りです。
ひそかにお目を通していただけるだけでも、光栄です。

余談ですが、説教って面白いなと思います。私が日本で暮らし始めたのは、今から4年前の2024年7月。東京があまりピンとかなくて、秋ごろには福井へ引っ越しちゃいました。そこから、福井には三年ほど住んだいたのですが、駅前の飲み屋で夜な夜な、多くの人に説教していただきました。基本、おじさん方でした。その時は「うるせぇ、じじぃ」と思ったり、ふてくしたり、黙りこんでいました。正面から受け止めすぎて槍の用に突き刺さった言葉も、2・3年後に「あの人はこういうことを言っていたかも」と理解が深まる瞬間があります。
難しいところですけどね。人それぞれ感覚や価値観は違うので、誰の説教を耐える・聞くのかは線びきは大事だと思います。
「あなたの価値観を私に押し付けないでください」と叫びたくなったり、痛いところをつかれて虚しくなったり、人生経験豊富な先輩から教訓を得られて楽になったり、説教されるという経験も豊かな気がしてます。皆さんはどう受け止めてますか?

本題に戻ります。
noteはじめた理由は?
深く考えてはないです。やりたいから、やります。
「思い立ったら吉日」
とにかく行動に移したい自分は今文章を書いているのですが、
その根底にはこんなモチベーションがあるのだと感じます:
① 自分の分岐点となる時期に近づいている予感がするから
② 今週から現地取材が始まるドキュメンタリー映画のプロジェクトの作り手として、そのプロセスと向き合うため
➂ 魅力的だなと思う人のnoteを見て刺激を受けたから
ここで感じた刺激とは、以下の通りです:
A. 「真似たい!」という(おそらく)憧れ=好奇心
B. 「くそー、なんだよこの天才」という自分がやりたいこととできてないことのギャップへの気づき=向上心・競争心
C. 「発信」というものへの興味=冒険心・見えない価値を信じてみる勇気・いらない客観視やプライドをそぎ落とす楽しみ(説明: 自分が書く文なんて誰も興味ないと思います。ただ、この人の文が自分に届いたように、自分の文が誰かに届く可能性は、発信するとしないでは後者にはその可能性はゼロ、前者ならゼロ以上にはなるため、失うものより得るものにかけてみようと思います。楽しいかぎり。)

ということで、
はじめまして。カコです。今更の自己紹介です。
最後までご一読いただき、ありがとうございます。
②のドキュメンタリーのメモは、公開していいものとしないほうがいいものが出てくると思うので、仕組みを考えます。
あとは、自分のつぶやきみたいな投稿になるかと思うので、面白い保証は一切ないですが、隠すこともないので、お付き合い願います。

ではでは~





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