「いなくなくならなくならないで」2024年4月29日の日記

今日は割と多く行っている部署での作業だったのだが、いつもと違う場所になった。人も多く、結構わちゃわちゃしている感じだったのだが、一人あたりの仕事量はそこまで多くなくて楽だった。


途中からはずっとバイトの人と一緒に作業をしていたのだが、かなり快適だった。色々と気を遣える人だったので、作業も順調に進んだ。


最近は眼鏡に慣れるために、部屋で眼鏡をかけていることが多いのだが、あんまり違和感もなく良い感じだ。マスク生活も長くなって、耳に何かがかかっているという状態に慣れたのかもしれない。あと、私にしては珍しくちょっといい眼鏡を買ったので、軽かったりフィット感があったりして良いのかも。


向坂くじら「いなくなくならなくならないで」を読んだ。少し前に読んだけど、感想がなかなか言葉にできなくて、ちょっとずつ書いていたものを以下に残しておきます。

この方の日記を読んで興味を持ったのだけど、凄く良かった。ここ最近で読んだ小説の中でも一番くらいに好きかもしれない。この方の感想もめちゃ良いので是非。

・この方が、この小説の比喩が面白いということを書いていたので、私もそこに注目して読んだ。確かに面白い。私は、p40の「朝日の手はお菓子みたいに冷たかった」という部分が印象に残っている。お菓子に冷たいイメージを抱いたことは無かったし、むしろ温かい(柔らかい?)イメージがあったから、冷たいという表現によってアンバランスさが生まれているような気がした。

・かなり引力が強い小説で、読み終えた後もしばらくはこの小説のことを考えていた。

・小説の中には、当時2人がやっていた交換日記が差し込まれるのだが、それが良かった。現実の時が進んでいくにつれて、交換日記では過去に遡っていくように書かれているのも面白い。私は12月19日の時子の日記が特に好きでした。

・途中から、だんだんと読むのが苦しくなってくる。憎しみも愛情も寂しさも嫉妬も全部書かれている。私は時子や朝日のような感情を抱いたことはないし、これからも多分ないけれど、まるで自分がそのような感情を抱いているかのような錯覚があって、時子の何十分の一かも知れないけれど、私も同じように苦しくなった。

・朝日の考えていることがあまり描かれていなかったからか、朝日が結構嫌なやつに見えた。小説が時子の視点で進んでいくので、朝日の物語は読者がしることはできない。朝日の苦しみをもっと理解してあげたかった。

・時子も嫌なやつで、時子以外の人間も全員嫌なやつで、それが作られた嫌なやつじゃなくて、生身のどろどろとした嫌さだった。時子の母親の「はあ、楽しかった。久しぶりだった。麻央子がいたとき以来だわ、ねえ」というセリフなんて本当に酷い言葉で、絶対に言ってはいけないと思うのだけど、それをつい言ってしまう様子がありありと想像できた。作者が作り出した意図的な言葉じゃなくて、本当にその人からポロっと出たようなリアリティーがあった。

・小説の一番最後は、「人の頭蓋はとても硬く、手のひらはあまりにやわらかい」という言葉で締め括られている。取っ組み合って首を絞め合うような壮絶な場面で、手を緩めれば殺されるかもしれない緊迫感の中で、最後に「手のひらはあまりにやわらかい」で終わらせるセンス。でもこの言葉が、2人の関係性がまだ続いていくことを示唆しているような気がする。お互いがぐちゃぐちゃになりながらも、多分しばらくの間は離れることができずに続いていくのだろう。それが良いとは到底思えない。けれど、そうあることしかできない。生まれちゃって出会ってしまったから、しょうがない。そんなしょうがない日々がこれからも続いていくのだろう。そんな気がする。

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