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「ぐるぐると回る日常に消えてゆく」2023年1月30日の日記

先ほど、音声を投稿した。
公開するか迷ったのだけど、深夜テンションも相まって今公開している。後悔するかどうかは明日になってからのお楽しみということで。
にしてもテンションが低いな。テンションが低い割にボケたりしているのでかなりシュールになっている。あとシンプルに噛んでたり詰まってたりするのは人と喋りなれていないからですね。まあこれから慣れていくでしょう。

自分の地声(と言ってもテンション低め、抑揚皆無なので少し違うが)をインターネット上に晒すのは初めてのことで、文章上とどう印象が違うのかとかが気になるな。もし良かったら感想等教えてみてください。




本日の日記。

昨日は深夜の2時くらいまでずっと「ちはやふる」を見た後、寝ようと思って布団に入るもうまく眠れなかったため、遅く起きた。新聞配達のバイクの音がしたのは覚えているから、多分ギリギリ朝と呼ばれる時間帯まで起きていたのは確かだ。

そのため、起きたのは昼頃になり、起きてすぐに歯を磨いてすぐに昼飯を食べることになった。
頭も働いていなかったので、カップラーメンのカレー味という1番馬鹿な味の飯(口が悪すぎる)を食べた。

今日noteにログインしたら、この日記が15コもいいねされていて驚いた。これにより、この記事が私の記事の中で1番いいねされている記事になった。

正直あんまり力を入れて書いたというわけでもないのだけど、まあ面白いと思ってくれたのなら幸いでございます。
あと、遠野遥関係の記事も少し読まれている。多分「浮遊」の単行本が出た影響だろうが、1番読まれている「教育」の記事も結構読まれている。
これに関しては今と考えていることが全然違ったりするので書き換えたいという気持ちもある。多分そのままにするけどさ。



回転寿司の目を背けたくなるような行為の数々が、話題とともに(昔の映像も含めて)どんどんと拡散され、視聴されている。「もう回転寿司には行けない」みたいな反応も当たり前だがある。一度その波が広がってしまえば、収まるには時間がかかる。

社会というのは基本的に善意が前提となって成り立っている。
それがたった1つの事件を皮切りにして、いくつかの動画が出てくるだけで多くの人に影響を与えている。
色々な店に対する不信感がどんどんと高まっているのを感じる。

でも極端に言えば、街で急に刺し殺されることだってあるわけで。普段、そういうのは小さなリスクとして、見ないふりをしている。
見ないふりをして、気にしなければ良いけれど、一度話題になってしまえばどんどんと拡散され、「気になる」ように設計されていく。

それが世間に広がればその波は収まることはない。通り魔が人を刺し殺す映像が広がれば外出したくなくなるように、今回の回転寿司の問題によって生じる様々な問題は仕方のないことなのかもしれない。考えれば考えるほど、なんでもかんでも「仕方ないよね〜」で済ませてしまう冷たい自分をどうにかしたい。

私は無頓着な人間だし、回転寿司の皿が多少汚れていようが、見えていないところなら何とも思わないけれど、人間の根底に「回転寿司は汚いかもしれないもの」という価値観が浸透してしまえば回転寿司なんて文化は簡単に消えてしまうのだろうなと思う。


ん〜、何が言いたいかよく分からなくなってしまったな。こういうときに文章力の無さと思考力の無さにムズムズとした感じを覚える。
でも、あくまで少数の物事に注目して、大袈裟に反応している人たちを見るといたたまれなくなるんです。リスクばかりが注視されて、リスクがあることは全て駄目となっていく世の中の流れをずっと感じています。それで社会が良くなるなら良いんです。みんなが生きやすくなるなら良いんです。でも、それが最終的に皆の生きづらさに繋がっていくような気がして。どんどん世界が狭くなっていくような気がして。

夜の11時になり、今日は一度も外に出ていないことに気がついたので散歩に行くことにした。
リビングにいる母親に散歩に行ってくると伝えようとして扉を開けると、扉の目の前に母親がいて、驚かしてきた。
「うわぁっ!!!」っと声を出し、後ろの壁にぶつかるくらい後退りをして驚いた。大いに心拍数が上がった。
「本来なら寝る時間で1番人が落ち着いている時間にさぁ.....驚かすなよぉ.....」と情けない声で言うと母親はよく笑っていた。


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