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私が私であった可能性「ファスト教養」②

この記事は以下のような方に参考になるかと思います。
・ビジネス本をよく読む方・ホリエモン、西野亮廣、NewsPicksなどYoutubeでビジネスチャンネルをよく見る方
・仕事に役に立つ教養、本、映画などに興味がある方
・会社の上司や取引先との会話で役に立つ教養を身に着けたいと感じている方

この記事は
1冊の書籍を読んだ感想とともに、その内容へ自分を当てはめ、考え、行動した記録を書いています。

この記事を書いたのはこんな人
・30代ワーママ
・2022年頃から読書をはじめる
興味がわいたビジネス本を読んで実践してみたことを「ビジネス本やってみた」として本ブログに書いています。
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私が私であった可能性「ファスト教養」②


今回の本

ファスト教養が招くもの

絶えずSNSなどで他者との比較を強いられる。
Youtubeで流れる広告は「ビジネス」「短時間」「効率よく」のフレーズばかり。
そんな社会で生き残るために終わりなき成長に駆り立てられる。

これが現代を生きるビジネスパーソンの精神状態だ。

「教養がないあなたは、このままでは中間層から脱落します」 というメッセージを、自信を持って跳ね返せる人は決して多くはないだろう

そんな「脅し」から、ファスト教養を求める。

手っ取り早く、役に立つ情報だけを知りたい。
コスパのいい本を読みたい。
最短で成功する道を進みたい。
お金を稼ぐための勉強をしたい。

ファスト教養とは
ビジネスで成功するため、お金を稼ぐため にフォーカスした教養、勉強、読書だ。

お金のために勉強する。そのための努力をすべき。

今、そう考える人が多い。
するといつの間にかこんな思想をもつようになる。

「効率的に成果をあげることこそ正義である」

(想像できる)

そして次に起こるのはこれだ。

お金を稼いでいない人を見下す。
すべき努力をしていない人を見下す。

「自分が生き残ること」にフォーカスした努力は、周囲に向ける視線を冷淡なものする。(中略) 知識を得ることで全能感を持ち、他者に対して優越感を覚えながらサバイブする



陥りたくない

人を見下す。

私が一番嫌いなこと。そして過去に、二度と陥るまいと思ったことだ。


✔ あわせて読みたい
「読書で学んでも他人を見下さない」と思ったときのブログです。ぜひ合わせてご覧くださいませ!



正直、 ビジネス本を熱心に読む+人を見下す がセットになった人を身近に何人か知っている。

私もそう。
数年前に読書をはじめた。きっかけは、そのとき抱えていた仕事をもっと効率的に生産性高くできるようになりたかったからだ。
ビジネス書をよく読むようになって、すぐに自分の異変に気が付いた。

なんだか他人を見下すようになっている・・・

(・・・)

それは自分の心の声で分かる。
夫や職場の同僚に対する心の声だ。

朝にタスク管理しないなんて1日終わってるわ
朝にそんなこと聞いてこないでよ、判断の回数は限られてること知らないの

言葉には出さないけど、そんなことを心の中で思うようになった。
仲間やパートナーに対する、相手を尊重する気持ち、大事に思う気持ちが薄れていく。
なんとなく冷たい態度をとることが増え、
見えていた長所が見えなくなる。


これはいけない


自分が頑張っているからといって、他人が頑張っていないことにはならない。自分は自分。 人を見下すこととセットにしてはいけない。

その頃はよくメンタリストDAIGOさんのyoutubeを見ていた私。
DAIGOさんが視聴者からのコメントを読むシーンがあった。

視聴者:
DAIGOさんの動画をよく見るようになって、なんだか彼氏を見下してしまいます

DAIGOさん:
えーなんでよ、一緒に勉強してよ

DAIGOさんは笑って流していたが、これを聞いていた私は「あ!」と思った。


今はもうDAIGOさんのyoutubeは見ていない。
なんだか私には強すぎて、徐々に見なくなった。
本書の著者は彼を「頑張らない人に自業自得だと冷たい視線を送るひとり」として紹介している。

私が「なんだか強い」と感じた理由はこれだったのかもしれない。


過剰な自己責任論

お金のために勉強する。そのための努力をすべき。
ゆえに、 「努力」をしていない人が成功しないのは当然である。

(そうでしょう)
(頑張ってないんだからね)

ここに自己責任論が登場する。

努力をすれば年収が上がる、努力をすれば幸せになれる、といった話は「自分の話」だけ。 そこには「自分に対して責任をすべて持てるのは、自分一人だけ」という自己責任の発想が内在化されている

私は自己責任論が嫌いじゃない。
自分が努力不足ならばその結果は自分に返ってくるものだし。
しょーもないショート動画ばっか見てる人が仕事のパフォーマンスが良くならないのは自業自得でしょうが・・・

(あ )


そう、ファスト教養は過剰な自己責任論を招く。

そんな効率の悪い方法をしているあんたが悪い
成功していないのはあなたが悪い
悪い結果は悪いあなたのせいだ


自分が自分となった可能性

「努力しない人→成功しない」は当然だと思う。
でも、「成功しない→本人だけの努力不足」ではない。
周りの人やおかれた環境、時代の影響で成果がでない時だってある。

本書には「その人であった可能性」というものが登場する。
政治学者の中島岳志さんのことばだそう。

私の存在の偶然性を見つめることで、私たちは「その人であった可能性」へと開かれます。 そして、そのことこそが、過剰な「自己責任論」を慎め、社会的再配分に積極的な姿勢を生み出します。


人はだれしも相互作用の中で生きているということ


(これだ!)

この考えは私の大好きな本、FULLPOWERにもあったやつだ。
読書や勉強を頑張っているとたまに出てくる「人を見下す」「謎の全能感」。
これに対応するため、私が何度も思い出す、大切にしている考え方だ。

人はだれしも相互作用の中で生きている

FULLPOWERにはこう書かれている。

『自分がすごいから「出世」するわけではない』

他の人よりも自分に価値があるなどということはない。 絶対的価値を持っている人などはおらず、私たちは誰もが、自分の周囲に何があるかによって変わる、相対的な存在なのだ。 今あなたの立場にいない人でも、あなたを形作った周辺環境を持っていれば、あなたのようになれる可能性はある。 他のひとたちが今以上に何をうまくこなせないとか、何か以上にはなれないなどと考え、「根本的な帰属の誤り※」を起こすようなことはどうかしないでほしい。

何度読んでもその通りだと共感できる。

私はこの考え方を持っていたい。


※根本的な帰属の誤りとは

他人のネガティブな行動を説明するとき、当人の性格や行動に焦点を当てすぎて、社会的かつ状況的な要因を過小評価する傾向。
他者の行動を説明する際、個人的な特徴や性格などの内的な要因を過剰に重視してしまうこと



私の結論

私はファスト教養を求める。
求めてしまうし、そうすることが心の安定にもなっていると認める。
これは今の時代を生きるビジネスパーソンの性(さが)だ。
でも私は、人と接するときに決してファスト教養を持ち出さない。
ただ自分のためにやっているものだと思う。

そして、
ファスト教養の過程で自分の「楽しさ」を見つけたなら、大いに寄り道をするのだ。


今週の記事はここまでです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
私のブログはnote以外で下記にて毎週月曜に更新しています。
https://ykakizoeblog.com/
ちらっと覗いていただけたら嬉しいです。

ではっ

今回の本


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